忌野清志郎さんからの手紙 湯川れい子 山本太郎 2012/12/15
去る12月の衆議院選挙のときの、湯川れい子の山本太郎応援演説の模様をここに記録しておきましょう。
往年のキャリアがものを言った名調子だったと思います。(演説というより、ラジオでおなじみの語り掛けが、感動を素直に呼んだ感じです)
特に忌野清志郎の手紙の内容が白眉でした。
安冨歩教授との対談の為に、清志郎著作の「瀕死の双六問屋」(小学館文庫 2007)の文庫本を探していたところ、その本に挟んであった当人からの手紙が出てきて、それを読んで涙したエピソードが主題になっています。
『地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。 国民をバカにして戦争に駆り立てる』ではじまる文面に、今から10年前にこれを書いていた清志郎の先見性と、今まさに予見の的中にビクッとする感がありますね。
▲清志郎の手紙(01/18 湯川れい子さんがTwitterで公開)
※同日、記事に追加しました。
Amazonの「瀕死の双六問屋」のレビューを読んでも、この本の内容はかなりハイレベルなもののようで、興味をそそられます。あの清志郎のこと、今になって気になりはじめてもいます。
そう、彼が仲井戸麗市と最初に組んでRCサクセションとして、あの記憶に残る若き日の歌「僕の好きな先生」をやっていた本人だったというのは、やっと後年のメイキャップした彼とが結びついた感じで、やっとひとつに像が結んだところです。
それほど興味の対象外であったものの、反原発の詞の「サマータイムブルース」や「ラヴ・ミー・テンダー」などはそれでも知っていたものです。
1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後から、早くも原発問題への関心が深くなっていったようで、そこから「サマータイムブルース」の歌詞へつながっていったようです。
まさに、反原意識の先駆だったところが類まれな才知を今になって感じます。
また、余談では、かの三浦友和とは中学、高校時代の同級生で、三浦はデビュー前のRCに参加しパーカッションを担当していたという。意外なつながりに、人の縁の不思議を感じますね。
by Martin
ラヴ・ミー・テンダー 忌野清志郎 [歌詞・Lyrics]