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雲から伝えられたこと。(西伊豆・仁科峠にて)
秋晴れの日に西伊豆までの尾根を走った。
蒼穹に雲ひとつない快晴の空を見ながら、爽快な秋景色を堪能した。 これは、修善寺・戸田線の途上にある達磨山のレフトハウス展望台からの、秀峰富士の眺めだ。眼下の海は沼津湾。 沼津湾の東の入り江深くにある小山群の中にある小島は、「淡島(あわしま)」である。(参考・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E5%B3%B6_%28%E6%B2%BC%E6%B4%A5%E5%B8%82%29) ここはある説によると“海底ピラミッド”と云われている。 島は「淡島マリンパーク」としてレジャーパークに組み入れられていて、入場料を払い専用の船で渡らないと行けない場所になっているが、島内に入ると不思議に、そこだけ南方の密林のような植生で一種独特な異質な世界がある。 長い参道を登ると、島の頂上には「淡島神社」がある。 この社の祭神とは関係なく、どうも海にまつわる神々が寄るところのようで、なぜか“竜宮”を感じさせるエネルギーがある。 社の裏から東を遠望すると、大瀬崎が臨めるのも「海」にまつわる何らかの古事のいわくがありそうな場所だ。つまり記紀神話と旧約の物語関連が匂う。 さて、行きかう車にめったにあわない、まるで貸し切り道路のような西伊豆スカイラインを南下していくと、尾根の終わりに仁科峠がある。 そこへ至る途中から、何やらえもいわれぬ懐かしく心地いい波動に包まれていった。 単に、壮大な風景のパノラマを愉しむ高原道路を走るものから来るものでなない、意識の内部へと広がるある魂的な恍惚感がやって来ているのだ。 そう、それは眼上の峠の上にある大きな雲から発せられているものだとわかった。 雲はときに、意識の遥か深くにしまわれた古代、いやさらに遙かな超古代の記憶のようなものを呼び覚ますようなエネルギーを送り出していることがある。 よく旅の帰路、高速道路をひた走りながら神代のいにしえの世界が再臨したような空気に包まれることが度々あったものだ。 雲は意識で消したり出来るくらい、意識波動に敏感に反応する流動的な存在物だ。 意識と同調しやすい周波数を持っていることは、逆に意識や情報や意志などを保存し、発散させる性質も併せ持っているのかもしれない。 ときに、そのような意識的な雲に遭遇することがある。 いや、うがった言い方をすれば、何らかの存在が雲のエネルギーを介して何かを伝送して来るとでも云おうか、つまりは転送媒体のようなものの役をすることがある。 今回もその雲に出会った。 形はどうでもよかった。ただまとまっていて、波動を拡散しているとわかる。 だが、こちらが受け取って気がつくと、すぐさま変形して、波動の伝送も止むのだ。 上の写真は、雲が解体をはじめてしまった後のものだ。(車を停めて、カメラを構えるまでは間に合わない) 下はさらに解体が進み、霧散している。 次にそのとき送られて来た波動を、自分流に解釈する作業がはじまった。 但し、このいいしれぬ懐かしさは、このユーラシアン期、つまりいわゆる石器時代から今日までの時代スパンの文明の記憶ではない、もっと遥かに超古代なことはわかっていた。 ムーやアトランティスでもない、レムリアでもない、もっと遥かな昔だ。 (参考・・http://saigaijyouhou.com/blog-entry-376.html) 政木和三氏によると、過去人類は4度滅亡しているといわれる。そのうちの10万年以上前の文明の頃ではないかと、そのとき感じたものだが、確かなことはわからない、ただ、現代文明にかなり似通った文明だったことはわかる。 政木氏の数々の発明品は、その頃の人類が使っていたものの現世における再現に過ぎない・・・と云っておられるように、ものすごく今と近しい文明だったことは、このことの他にもいくつかの不思議な体験から理解できるのだ。 (参考・・http://ameblo.jp/koji-kitano/entry-11639614389.html) かつて強烈な既視感(デジャビュ)として、現代の建築物を見たときに感じたことのいくつかの経緯がある。時期はバラバラだが、超古代にそっくりなものを見ていたという、潜在意識の驚きに遭った経験があるのだ。それと符合する時代が、この雲の示した時代だ。(過去のいくつかの断片的な超越的経験が、あるときひとつにまとまり意味が解ける瞬間がある。それがこれだ) では、それは何を意味するのか? どうもそれから浮かぶのは、二重の時の軌道線のような円環がクロスして、その結節点から別軌道を描いていくイメージだ。二重の楕円がほぼ重なっているのだが、微妙にズレはじめている感じか。 つまり、人類が滅亡した超古代の文明と、かなりな相似形を描いていた時間軸が、ここに来てにわかに変更され、わずかな軌道のずれを経て別の道筋を進み始めたということではないか。実に、同じように進む滅亡へのルートをこのときに、どうにかごくわずかでも変更し、タイムラインを変えた・・・ということのようだ。 なぜなら、決して暗いイメージはないエネルギーだということから、同じ道は回避した、まだ、ほんの数ミリに違いはないが・・・ということではないかと。 願わくば、これが間違いでないことを祈ろう。 ネットを開けば、暗黒世界の到来が確定したような情報に満ち、まったく暗澹たる気持ちの終末観を味わうのが余計に常になった昨今、一筋の光明が文字通り、雲間から射し込むのを夢見ながら、秋の日のこれからを思おう。
by martin310
| 2013-11-22 13:46
| スピリチュアル
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