“漂白の自由律俳人”と呼ばれる「
種田山頭火(さんとうか)」や「
尾崎放哉(ほうさい)」の句を読んでいて思いついたのだが、このような自由律の俳句のような、またはコピーのような言葉を、自分で撮影した写真画像に添えたら、また新たな表現世界がもしや広がるのでは?と、そう思って早速試したみたところ、写真だけでは出せない、ましてや、言葉だけでは到底ものにならないものが、ふたつをマッチングさせることで思わぬ効果が出て来るように思えたのだ。
これは案外イケるかも!と、今まで撮りためた日の目をみない写真画像も、これなら表に出る機会もあるかもしれないと、そんな風に考えているのだが。
別に俳句にこだわるつもりもなく、写真作品にこだわる気もなく、でも、こんな風景に出会ったときの思いを、こんな方法を用いると意外に伝わり易くなるかもしれないと、これを題して、写真と句での組み合わせから「Photo+句」、“フォト句”ってことにしようと・・・。
そんな大したことない訳から、この“フォト句”作品の初回展示であります。
中伊豆の湯ヶ島の奥にある名もない山。この山道を通るとき、いつもこのこんもりした小山が気になり、車を停め、しばし眺めたり写真を撮ったりする。なぜかあたりの山とはちょっと違う力を感じるのだ。案外、未知のエネルギーが出ていたりするもので、でないとここまで反応しない気がする。
西伊豆の宇久須あたりの海だと思われる。ここから小金崎にかけて見事なコバルトブルーが続いていた。寄せては砕ける白波とのコントラストが、いっそう生きている海を際立たせていた。音楽のように、詩のように白い飛沫が語り続ける。
河口湖の勝山村あたりの湖面。変幻自在に変化する模様のような水面をずっと眺めていると、時の呪縛から解放されたようにやすらかな境地に入っていく。そういうつかのまの自然との交流を失わないように。