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神秘の夕景に見るものは、・・・自然界の現象のもたらすもの。これらの画像は、我が家の前の路上から、西の駿河湾側を望んだ夕日の光景である。 西の空が茜色に輝くとき、たまたまその時間帯に家に居合わせたときは、空の気配に気づくと、すかさずカメラを手に庭先に飛び出して行く。この、時間にして1分にも満たないタイミングを失わずに、落日の光景に露出を合わせられるかが勝負どきなのだ。とはいえ、常にその瞬間を狙っているわけでもなく、ただ、美しい自然の織り成す秀麗な景色を、そのまま視界に留めおくにしてはあまりに希少めいて心細く思えるので、ひとつの「画」として残したい思いに駆られてのことだ。 撮るかどうか迷っているうちに、輝かしい一期一会の光景を取り逃がしたときの口惜しさは、眼前に広大で崇高な神のドラマを無にした怠慢さに後悔の念に苛まれる。そういう思いを残さぬようにと、決断後のダッシュを心掛けることにしているのだ。 もうこのとき、この瞬間しかない、神秘の像を留めおけるかどうかが、その場に居合わせた自分の役だとして勝手に思い、それに従うまでで、ときに曖昧にして意志固まらず、撮り逃したときの不甲斐ない思いは、これを見せてくれている大いなる意識に向かっているのかもしれない。 というのも、ここにあるような光景はそう易々と対面できるものではないのはもちろんのこと、自分以外にこの場、このときに画像としておさめる者はいないことから、ある意志を感じてそれを尊重しようとするからである。 もともと写真を糧に何かを成すわけでは毛頭なく、ましては趣味の類としての嗜みでもなく、ただ、必要とあるものを「画」として保存し、なにものかに生かそうとするだけの自分に見せられた、奇異なる世界であることに、ただ答える恩義を感じての行為であることは確かだ。 いったいどのようにして、これだけのまさに神懸かった光と色の動的世界を創り出せるというのだろうか。大気と水と光と風と・・・、それらを絶妙な動きのうちにまとめあげ、現象としての実在として見せる技を何者が有するというのだろうか。 こと、この自然界の一大スペクタクルに出合わせた者こそが、これを伝え、残さねば雲の如く、霞の如く、またたく間に消えさる光景を如何ともするべきであろうか。 そんな密やかな意義を感じて、そそくさとレンズを向けるのである。それが作品であるかなしかを問わず、当の自分が感銘を受けるが如くに、次の誰かがなにものかの感性の琴線に触れるやもしれぬ可能性に賭け、次に受け渡すかのように届けようと思うのである。 はたして現象とはただの偶然が生み出すものであろうか。そこにはじめに意志があり、意識が働くからこそ現在するものではないだろうか。では、その意識とは何か? そう、それをしてこの世界をあらしめる無限の意識、大いなるもの、聖なる光、そのものではないだろうか。 両眼の視覚から、こんな小さな一画像から、その意図を汲み取れることこそが、大元から分かれて存在する我ら分霊の愛しみではないだろうか。忘却し分離してしまった意識を取り戻すためにも、これらの夕景の神秘から、大いなる源を指向しようと試みようではないか。
by martin310
| 2014-04-29 19:08
| 風景探勝
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