人間の世界で起こる事柄のみに注力し過ぎていると、どうも頭の中も、心の中も、薄汚れた煤煙に巻かれたように胸苦しくなる気がする。
たくさんの声があちらにもこちらにも沸き立ち、騒然とした舞台を眺め過ぎているうちに、この実在の世界が人間だけの狭苦しく、猥雑で偏狭な空間にしか思えなくなるものだ。
そんなときは、ひとたびそこから離脱して、自然界の颯爽とした息吹に意識を洗浄したくもなる。
冬の海の青々した波間を見つめていると、その絶えることない波の生成の現場では、自然の生み出す清冽な潮(うしお)と飛沫(しぶき)と白い波頭と海風を全身で受けることで、なにものにも代え難い地球の脈々とした命を感じるものである。
沖を見つめる目の中に、波風に乗る微細な潮の微粒子を見るように、自然の神が臨在したように意識と身体の全体をすり抜けていくようだ。豪壮な砕け散る波音のうちに、吹き溜まった情報の綾のつくり出した煩悶が拭い去られるように貫通していく。
誰もいない海辺を潮風に吹かれて歩んでいけば、今までの狭まっていた自然の領域が、これこそ全体を成していたのを思い出したように遥か拡張していく。主体はこの無限なる世界ではないかと、人間の居座る限られた極小の世界が遠のいて幻のように消失していくようだ。
どのようにしてこの目の前の風景が生み出されて来たのかを考えている。地形が出来上がるその生成の根源には何があるのだろうか?
なぜ生きて動いて変化し続けるのだろうか?
現象には何が働きその像を生み出しているのか?
光や色、匂い、大気、渦、質、群れ、形、組成・・・、やがて意識の目は、あらゆる視覚の対象に向けられていく。
我々人間はそこにどのように存在すればいいのか、おのずとつつましやかな身の在り方を意識しているのに気づくのだ。
畏敬という自然な思いは、崇高な実在を身を持って感受したとき、忘れていた野生を取り戻すように復活を遂げて来るものだ。
まさに原始の遺伝子として眠っているはずのもの・・・。
調和して生きるとは、これを甦らせてこそ在り得ることだ。
人間の世界は、そこからはじめて省みて見えて来るものが本当なのだと、紺碧の海の色が語っているようだ。
Dan Gibson の曲を聴きながらどうぞ。
Eternal Wave - Dan Gibson