休みの一日目は、どんよりした曇り空の中、夕方は霧雨になったが、何とかガーデンフェンスの続きの作業が出来た。が、二日目となると、予報どおり小雨、霧雨で作業は中断された。台風は去ったものの、秋雨前線が居座っているので、なかなか晴れ間に会うことがない。
そこでどうしようかと時間を持て余したが、何気なく入ってみた自作ガーデンハウスで、ブログ記事でも書こうと思った。
というのは、今年のはじめに完成して以来、この極々狭い小部屋の中で、長く時間を過ごしたことがなかったからだ。
せっかく思い通りに仕上げた空間なのに、いざ出来上がってしまうと、キャンプ用品の収納庫としてしか使わず、なかなか部屋の中に長居することをしなかった。
もっとも、庭の修繕作業が連続していることもあって、ゆっくり小部屋に篭って何かするような機会はまったくなかったこともあり、セルフビルドの小屋空間の居心地をゆっくり味わうこともなく来ていたからだ。
窓辺に置いた、これも自作ミニコーヒーテーブルの上に、今日はB5サイズのミニノートPCを置いてキーボードを打った。
外付けマウスを右に置くと、もう余裕のないほど小さな背高テーブルは、このモバイルPCにはちょうどいい感じだ。
格子窓越しに隣地の草地を見ながら、雨に煙る高原の一画で、たわいもない内容の文章を記すというのもおつなものである。
谷間に見える雨に濡れたくねる道を眺めながら、しばし腕組みをして脳裡の言葉を巡るのも、「静かな暮らし」の味わい深い愉しみであるのに、かつて一度もやってみたことがなかった。
元来、自分は窓辺を前に机に向かうような光景が好きで、[Tumblr]でもそういう類の外国の画像をつい“リブログ”して集めてしまう。海外の作家の書斎の写真なども好きで、窓と机の陰影の濃い室内の光景にことのほか心惹かれるところがある。
窓から射し込む柔らかな光と、室内の翳り、そして窓外の緑の明るさなどが、どこか古い外国小説の世界のように思えて、とてもロマンを感じるところがあるからだ。
なので、そういう雰囲気の中に身を置き、例え書くものが単なる駄作の類であっても、ある種、小説的創造の世界に遊ぶようで心地いいのだ。
そういえば、このガーデンハウスの内装も、ある意味、そんな外国のコテージのような感じを醸し出したい気があったことで、現在のようなものに仕上がったのかもしれないと思った。
暮らしの中に、どこかそういった非日常なロマンティシズムを持った空間をしつらえることは、ひとつの心の開放地にもなり、せっかくの山の家の自然の風趣を愉しむ場にもなり得るのだ。
同じ自然の風景でも、それを切り取る窓の意匠によってまったく違う世界に見えることがある。
それ故に、こんなちっぽけな小屋の窓であっても、すべて手作りで、自分好みの窓を設けたのだ。
はじめて長居するこの小部屋で、居心地のいい創造的空間を感じ、何か次なるインスピレーションの気配を感じる時間を味わった。