伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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カテゴリ:文学( 8 )

西伊豆・安良里港

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黄金崎のあと、三島由紀夫が『獣の戯れ』の執筆の為、長期滞在していた安良里の漁村に寄ってみました。
安良里港は懐の深い入り江で、国道から折れた港沿いにはびっしりと身を寄せ合うように集落が固まっています。そのなかの細い道々をゆっくりと超低速で走行しながら、様子を眺めながら奥の方まで行きました。途中、古めかしい旅館が目に入りましたが、そこが執筆の場、宝来屋旅館であるのは、帰ってからネットで調べるまで知りませんでした。なので、残念ながら撮り逃してしまっています。
最も入り江の奥まったところに、大型船が停泊しているおそらく船のドックでしょうか、大きなクレーンのある船の補修をするようなところがありました。
また、湾の中には白く輝く近代船が停泊していました。
普段、なかなか船を写すことなどないので、思わぬ絶好の被写体にやや興奮気味になって夢中で撮っていたようです。船という構造物もなかなか魅力的な形をしていると、あらためて思いました。


by Martin

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by martin310 | 2012-11-17 20:38 | 文学 | Comments(0)

『獣の戯れ』三島由紀夫・・・西伊豆/安良里

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▲宇久須から恋人岬方面を望む

下田以外では、三島さん関連の地がまだ伊豆のなかにあるのかと考えると、以前黄金崎に文学碑があるのを観光地図で見たのを思い出しました。
さっそく調べてみると、昭和36年の小説『獣の戯れ』の舞台だったところが、西伊豆の安良里とこの黄金崎で、しかもその前年の8月、この安良里の旅館・宝来屋でこの作品を執筆したことがわかりました。
富士山が朝からくっきりと見える秋の日に、この地を訪れてみました。
修善寺からR135号線で土肥経由で西伊豆へ向かい、途中、宇久須の手前のトンネルができて廃道になった道に入り、上の写真と下の写真を撮りました。海沿いの脇道は意外にいい撮影ポイントに出くわしたりするもので、国道を一直線なぞとなかなか行かずに、脇道探索もするのです。

『獣の戯れ』については、Wikipediaにあらすじがあります。
この本の挿絵は、なんと東山魁夷さんなんですね。この小説は、主演が若尾文子さんで映画化もされているそうです。(1964 大映)


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▲宇久須から黄金崎方面を望む(先端の2つの岩は田子島)


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▲黄金崎の三島由紀夫文学碑


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▲三島さんの父、平岡梓氏の筆による『獣の戯れ』の中の黄金崎の描写の部分。


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▲文学碑背後の一本松


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▲黄金崎の特徴であるプロピライトの岩(右の岩は馬が水を飲んでいるように見えませんか?)

●黄金崎のプロピライト
(昭和63年指定 県天然記念物)
黄金崎付近の岩石相はプロピライト(変朽安山岩)と呼ばれ、今から約1600万年前に安山岩や安山岩質凝灰岩が、熱水によって変質作用を受けたもので、本来は暗緑色であるが、風化が進み黄褐色となったものである。
黄金崎のプロピライトは、岸壁の長さ92メートル、高さ32メートルと規模が大きく、伊豆半島の生い立ちの特徴や変質風化の状況を典型的に示しており、学術上貴重なものである。(説明板より)

この黄褐色の岩肌に、折からの西日が当たると、まさに黄金色に輝くこちからその名を黄金崎というのかもしれませんね。


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▲黄金崎公園全体に群生するツワブキ


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伊豆でまだこんな素晴しいところに行っていなかったなんて、伊豆は我が庭なぞと思っていた自分にちょっと恥ずかしくなるほど、ここは凄い景観の場所でした。公園はよく整備されていて、階段やデッキもよく出来ています。岩の上から見下ろす海には、誰でも足がすくむでしょう。
三島さんは、船からこの岩肌を見て、先の文学碑にある風景描写をしたようです。
3人の男女の間に生まれた奇妙な愛と共同生活と、その終局への物語りをこの地を舞台に描いたことをふまえて、この小説を読んでみると、きっとよりいっそうリアルな世界として感じ取れるかもしれません。
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by Martin
by martin310 | 2012-11-15 22:00 | 文学 | Comments(2)

伊豆の踊子 -2-(恋ごころ)

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        ▲旧天城トンネル

10/19の記事の「伊豆の踊子 -1-(出会い)」の続編です。

主人公の「私」は、一夜の宿を出て天城峠への山道を急ぎます。
それは昨晩見初めてしまった踊子の姿を追って、先に旅立った旅芸人一座の行った街道を朴歯の高下駄で登って行くのでした。
「─あの日が修善寺で今夜が湯ヶ島なら、明日は天城を南に越えて湯ヶ野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだった」そう告白しています。

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        ▲つづら折りの天城街道

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小説「伊豆の踊子」は短い章で7つに分かれて編んであります。
その第1章が踊子との出会いと、峠の茶屋での至近距離での遭遇が描かれています。
映画のイメージもあってか、この場所のシーンで云えば湯ヶ島から天城トンネルまでのあいだが、もっと長く書かれていると思って読み直してみると、意外なことに物語が始まってすぐに到達しているのがわかりました。頁にして2ページ余りでしょうか。

実際の道のりで云えば、湯ヶ島を後にして、天城峠までのあいだには、浄蓮の滝や滑沢渓谷、太郎杉などの伊豆の名所があります。もちろん、小説では名所案内をする訳ではないので、そこには一切触れられていませんが、ここでは後の方にこの伊豆の名所の写真もご紹介しておきたいと思います。

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▲旧天城トンネル(北側口付近)

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        ▲旧天城トンネル(内部から北側口を見る)

この旧天城トンネルを調べると、次のようにありました。

正式名称を天城山隧道(あまぎさんずいどう)と称し、1904年(明治37年)に完成した。全長445.5メートル。アーチや側面などすべて切り石で建造され、石造道路トンネルとしては、日本に現存する最長のものである。
1998年9月2日に国の登録有形文化財に「旧天城隧道」として登録され、2001年6月15日には「天城山隧道」として道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定された。また、日本の道100選にも選ばれている。


松本清張の「天城越え」や石川さゆりの名曲「天城越え」の歌詞でもおなじみでしょう。ちなみに「天城越え」の歌詞で歌われている「寒天橋」はトンネルを抜けた先にあります。



踊子と初めて言葉を交わすのは、映画でも有名なシーン、茶屋でのどぎまぎしたふたりのやり取りです。しかし、「私」は座布団を差し出してくれた踊子に、「ありがとう」がのどにひっかかり「ええ・・・・・。」としか云えずじまいでした。
あと、天城峠を越えた下りで一行に追いつき、「冬でも泳げるんですか。」の問いに、踊子は思わず赤くなってうなずくあたりが、ふたりのふれあいの最初でした。

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        ▲梨本付近から湯ヶ野方面を望む

「湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。」とあるように、天城峠を越え、湯ヶ野までの山を下ると、今までの天城山中独特のいわゆる「陰」の”氣”から、南国的な「陽」の”氣”に変わります。
今の国道414号線でいえば、ちょうど有名なループ橋にかかるあたりからは、その「陽」の”氣”が顕著になり、明るい晴れやかな視界の広がりに南方的な雰囲気を感じるはずです。
その”氣”の変わり目をさすがに川端さんは感じ取り、境界点である天城トンネルの「南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた」と表現しています。

「私」は湯ヶ野の藁屋根の見える梨本あたりの道で、下田までの「旅は道連れ」の同行したい思いを彼らに打ち明けます。
ここからがさらに踊子への思いが高まり、かかわりがより近くなっていくところです。


つづく

by Martin


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▲浄蓮の滝(伊豆最大級の名瀑で、玄武岩の岩肌を幅7m高さ25mに渡り流れ落 ち、「日本の滝100選」にもその名を列ねている)


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▲滑沢渓谷(天城峠の北側、狩野川の支流にあたる深い樹林に包まれた渓谷。急流が安山岩の間を白布となって流れたり、深い淵になっていたりと変化に富んでいる)


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▲太郎杉(樹齢400年以上、高さ53m、幹周りは13.6m。静岡県の天然記念物でもある天城山中最大の杉)


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▲河津七滝の遊歩道にある踊子像
by martin310 | 2012-11-13 14:22 | 文学 | Comments(0)

三島さんの秘密の場所:亜相浜に行く

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10/11の記事(三島さんのアッカンベー事件)の続編として、故三島由紀夫が晩年の毎夏、家族と共に訪れていた伊豆下田のゆかりの場として、今回は吉佐美(きさみ)の亜相浜(あじょうはま)を訪れました。
この小さな浜は、三島さんが生前に家族はもとより、知人や友人(そのなかには演劇関係者や外国人記者も含まれ)と共に海水浴を楽しんだ、当時もっともお気に入りの夏のレジャーの場だったそうです。
ここは下田からいくぶん南伊豆方面へ行ったところで、海水浴客の群れからは逃れられる人があまり来ない砂浜で、まるでプライベートビーチのようにのんびりできる絶好の秘密の場所だったのでしょう。

この日は西伊豆方面からあちこちと立ち寄りながらの行程だったので、昼間の短い今の時季では、もう夕暮れぎりぎりの時間帯に現地へ着きました。
ですが、あらかじめ略地図で調べたふたつのトンネルの間にある浜辺は、どうもあの三島さんが写る写真の浜辺にはとても見えず、結局元に戻って吉佐美大浜の右端の白砂の浜辺へ降り立ちました。
地図で目測していた場所は、砂浜どころか、波にえぐられたのか小石が露出し、しかも波打ち際までが狭く傾斜し、とてもあの三島さんがにんまりご満悦に寝転ぶ海岸風景には見えなかったのです。波の浸食が激しく、また、細かく美しい白砂が運ばれてこなくなったのか、趣がまったく変わっていたので、これは違うと判断して大浜の右隅をそこと思ってしまいました。
帰り着いてから、ネットでいろいろ調べたところ、やはりあの、ここは違うと思った浜辺が目的地の亜相浜だったことがわかりました。でも、距離にしては短いトンネルを隔てた向こうにしか過ぎず、まあ、それでもここでいいではないかと思った次第です。

夕暮れどきの海岸はとても美しく魅力的で、ましてや粒子の細やかな砂の上を歩く感触はえもいわれぬ心地いいものでした。
暮れかかる光を最後の頼りに、幾カットものシーンをカメラに収めて、さあ、帰ろうと防波堤の方へ歩きかかると、連れの者が俄かに砂の上にかがんでしきりに何かをはじめていました。
何をやっているのか、早く帰るぞと、腕を振って合図しても、まだ、戻ろうともしません。ふだんそんなことはない仕草に不思議を感じながら、事の次第を離れてしばし見ていました。

a0282620_15155293.jpg戻って来て両手の中のものを見せたとき、あまりに細かく精妙な貝殻の形に感嘆の声をあげました。
でも、どうして貝など?と問うと、そんな気はなかったのだけれど、なんだかわからないけど、貝を拾わなくちゃとしきりに思い、何してるんだろうと思いながらも貝殻を探していたと・・・。
「はーん、貝を拾って行きなさいよって、そういうことだよ。三島さんが・・・。」

そういえば、この日も多少霊的感受性がある連れは、南伊豆を通過中あたりから異常な眠気に襲われ、せっかくの伊豆半島の先端付近の風景も、うつつの中でぼんやり眺めたに過ぎず、ましてや、この地に近づくにつれ、口の中が乾くとしきりにおかしいと訴えていました。
口の中が異常に乾き、唾液がなくなり、口がくっついてしまい、開かなくなるようだとその症状を伝えていました。
a0282620_15162986.jpgこれも何らかの霊的な影響を受けているなあと判断していましたが、それを三島さんに関連づけて見るのなら・・・、浮かんで来たのは、おそらく、あの自決のときの状態ではないかと・・・、そう思えたのです。
決起を企て市ヶ谷のバルコニーでの演説から自決するまでのあいだ、おそらく水は一適も口にはしていないはずです。死を前にした極度の緊張の中、絶命するまで、口が乾かないはずはないと。
車中からも出ようとしないほどだったのが、この砂浜に足を踏み出したとたんに、もとの元気を取り戻して、今までが嘘のように動き始めたのにも、ああ、解けたんだなと思いました。
そして、贈物の小さな貝殻。
あぐらで腕組みのにんまり顔の三島さんが、きっと声なき声で伝えているなと、暮れ色に沈む砂浜をあとにしました。

三島さんへのレクイエムのような風景が、夜のとばりを待っているような夕暮れでした。


by Martin


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by martin310 | 2012-11-12 15:29 | 文学 | Comments(0)

伊豆の踊子 -1-(出会い)


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伊豆半島は大きく分けて3つのエリアにそれぞれのルートがあって、先端の南伊豆へと続いています。東伊豆・中伊豆・西伊豆。
鉄道は東伊豆を通って下田まで行く伊豆急と、三島から修善寺まで行く伊豆箱根鉄道の2本があるだけです。中伊豆は修善寺までの鉄路の先は、バスか車か徒歩しかありません。

a0282620_2025295.jpg大正7年(1918)秋、一高時代の19歳の川端康成ははじめて一人伊豆の旅に出ました。その時に出会った旅芸人一座とのかかわりを後年小説にしたものがかの有名な「伊豆の踊子」です。なので、この小編には、中伊豆から下田までの大正時代の伊豆が、その舞台として描かれています。しかも、すべて徒歩での峠越えをしての下田までの旅です。

伊豆に住んで伊豆をくまなく走りまわっている自分にとって、こんな伊豆を描いた代表作をご紹介せずにはいられません。過去に撮った写真と最近のこの為に取材した写真を織り交ぜながら、「伊豆の踊子」特集・Martin編をときどき気まぐれと都合で少しづつお送りしていこうと思います。

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a0282620_2029870.jpg川端青年がはじめての伊豆の旅で、湯ヶ島の温泉宿で泊まったのは、この湯本館です。
小説にあるとおり、主人公の書生さんと同じように川端青年は、この湯本館の梯子段で玄関の板敷で踊る踊子を一心に見ているときに、恋心が俄かに湧き立って来たのでしょう。

このときの2泊から、昭和の初めまでの約10年間、この宿が川端さんの伊豆の定宿になります。川端さんがしばしば長逗留していた4畳半の部屋は「川端さん」いう部屋名になったそうです。
名作「伊豆の踊子」の前身になる随筆「湯ヶ島の思い出」は、この宿で書かれたものです。


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「伊豆の踊子」は過去6本の映画が撮られていますが、1963年の吉永小百合主演と1974年の山口百恵主演の2本は、西河克己監督が共に撮っています。昭和38年と昭和49年は、我が世代の映画ですので、とりわけ何度も観てこの時代の違う2本を懐かしく偲んでいます。
1954年(昭和29年)の美空ひばり主演の野村芳太郎監督作は、DVDも出ており、中でも伊豆の最も古い風景が見られるので、川端さんの時代を遡るには格好の作だと思います。


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       ▲西平橋から狩野川上流を眺める(左の建物は白壁荘)


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       ▲世古橋から世古峡を眺める(左奥の建物は木太刀荘)


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       ▲白雲楼の赤い橋(猫越川)


湯ヶ島は、猫越川と本谷川が合流し、狩野川になって下ってゆく川を主体にして温泉宿が点在する山深い温泉郷です。渓流の瀬音が響く情緒漂う温泉宿に、古くから文人墨客が数多く訪れ、日本の近代文学のひとつのエポックに与えた場の意味は少なからずあるのではないかと思います。
川端さんの「伊豆の踊子」はこの地がなければ生まれはしなかったであろうし、梶井基次郎の「闇の絵巻」もしかりです。

湯ヶ島は文学が生まれる情趣を持ち、若き作家の才知を導き出す力のあった場だと思えます。かつてはそういう光があった地でした。

つづく

by Martin
by martin310 | 2012-10-19 21:13 | 文学 | Comments(2)

下ノ畑ニ居リマス 賢治

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▲羅須地人協会の入口の黒板
 このいくつもの輪がオーブなのか、単なるレンズへの斜光なのかはそれぞれの分析におまかせします。


下ノ畑ニ居リマス 賢治

a0282620_21205632.jpg宮澤賢治の羅須地人協会の入口には黒板がかかっており、賢治さんは行き先をチョークで書いて、来る人にわかるようにしていました。
下の畑とは、この建物が建っていた台地のまわりに広がる賢治さんの耕作地のことです。
賢治さんは昭和元年(1926)30歳の頃、北上川の岸近いこの地に、砂畑二反四畝ほどを開墾して、白菜・馬鈴薯・トマトなどを栽培していたようです。(現在は畑地から田圃に改良されています)

この建物は前回書いたように、実際には跡地と離れて別のところに移築されています。なので、別々の空間に存在しているのですが、この記述の中ではそれを前提に記していきます。

a0282620_21212944.jpg下根子桜の跡地に立ってわかるのは、この安定した大地の一角が実に光溢れる麗しき場であったことです。地形的にも下の畑地の広がる場に、まるで半島のように突き出た岬の先端の見晴らしのいい場所に位置しています。
このような場が、天界からの光を受けるエネルギー場に相当することは想像がつくでしょう。
実際、あたかも岬の灯台のように四方からの「氣」を集約する力学を持っているようです。
そこの中心位置に建っていた建物である訳で、オルガンのある集会室はどのくらい天と直結した波動が降りていた場であったかが理解できるでしょう。

創造者が創造の力を発揮するのに適した場であったことと共に、この家で妹トシさんが献身的看病の甲斐なく亡くなったことも併せて、賢治さんの生み出した晩年まで推敲を重ねたいくつかの童話作品に、この場からの「氣」が多分に含まれているのを感じ取れるかもしれません。

by Martin

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by martin310 | 2012-10-15 21:29 | 文学 | Comments(2)

三島さんのアッカンベー事件

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▲下田東急ホテルの庭からの伊豆の海の眺め(中央の三角の島は赤根島)


◆下田にゆかり深い三島由紀夫

a0282620_19563667.jpg三島さんが昭和39年から自決の年の45年までの7年間ものあいだ、毎夏家族と一緒にその頃オープンしたての下田東急ホテルに逗留し、伊豆の夏にいそしんでいたことは、横山郁代著『三島由紀夫の来た夏』を読むまで知りませんでした。

この本には、あの巷の三島像とは違う、くだけた親しみのある三島さんが生き生きと活写されています。深刻な論評調の本がほとんどのなか、家族思いで、人懐っこく、ときにおちゃめでマドロス的な三島さんが下田の町を自分の故郷のようにして闊歩している姿がこの本にはあり、ジャーナリズムの脚光をあびる小説家や前衛的な盾の会の三島像を容易に撃破してしまうような驚きと安堵があります。

a0282620_195708.jpg三島さんはホテルから下田の町に出て、ペリーロードを越えたあたりの角にある日新堂菓子店のオリジナル洋菓子、マドレーヌとレモンケーキが大のお気に入りだったようで、滞在中は何度となく訪れては、箱ごと買っていくことが多かったようです。
『三島由紀夫の来た夏』の著者の横山郁代さんは、この店の娘さんで今も店を引き継ぎ、2階のレストラン・ポルトカーロも営んでいます。
去年、この本を読んだ後、この店を訪れ、横山さんともお話をしました。
そこでは、横山さん宛てに来た桑田佳祐氏のこの著書についての手紙を見せてもらったり、桑田さんが心酔している三島さんについてのスピリチュアルなお話に花が咲きました。


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       ▲三島さんがお気に入りだった日新堂菓子店


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       ▲日新堂菓子店のオリジナル菓子、マドレーヌのポスター


◆三島さんのアッカンベー事件

a0282620_2016698.jpg横山さんの本には、三島さんの人柄を思わせる愉快なエピソードがいくつも記されていますが、中でもその白眉は三島さんとの最初の遭遇時のアッカンベー事件のほかないでしょう。
今回は、その現場を実際に下田の町から歩いて、当時の面影を偲んでみました。

下田東急ホテルの海側の入り口は鍋田海岸にありますが、三島さんは当時、その車道を使わずに、鍋田トンネルを越えたところにあるプライベートなホテルへの小径を使っていたようです。
人ひとりしか歩けない細い道は、ジグザクの階段を登り、ホテルのプールに続いています。さらに坂を登るとホテルの前庭に出ます。ここは伊豆の海を臨む最高のロケーションを持っています。この海を眺めながら、晩年の作を完成させたのでしょう。

では、三島さんのアッカンベー事件を横山さんの著作からご紹介しましょう。

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a0282620_2017528.jpg あの日の三島さんは、ちょっとメッシュがかった黒いシャツに細身の白のトラウザーと白い靴を履いていた。強い日差しの中でその白さが目にしみるようだった。・・・・・・(略)
 三島さんは宇宙人的オーラを発散させながら1メートル四方に入れない近づきがたい雰囲気を漂わせていて、だからこそ私たち中学生に、もっと近づきたい、追っかけてみたいという気にさせたのかもしれない。・・・・・・(略)
 三島さんはいま、大浦荘旅館の前を過ぎて鍋田浜の方へ歩いてゆく。私たちは忍者のように追っていった。でもいったいどこまでゆくのだろう。
 鍋田浜のトンネルに入ったので少し距離をあけた。見つかったら大変。ドキドキしてきた。私たちがトンネルに入ったとき、三島さんはちょうど東急ホテルのプールへの上り道を登ろうとしていた。
 そのときだった。急に三島さんが私たちの方を振り向いた。そして黒めがねを上にあげてアッカンベーをしたのだ!キャッと声を上げて私たちは後ずさりした。要するに、ずっとお見通しだったわけだ。中学生は簡単に遊ばれてしまった。
 三島さんの目はやさしく笑っていた。


                            横山郁代著『三島由紀夫の来た夏』より抜粋
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        ▲この鍋田隧道を出たすぐ右手にホテルのプールへの登り口がある。
         そこが三島さんのアッカンベーの現場。


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        ▲この階段を登りかけたところでいきなり振り向きアッカンベーをした。


※日新堂菓子店のマドレーヌは、通販もやっているようです。
 確かに絶品の味です。ここからどうぞ→日新堂菓子店


by Martin
by martin310 | 2012-10-11 20:39 | 文学 | Comments(2)

賢治さんのオルガン

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a0282620_19344255.jpg◆賢治さんのオルガン
この2台のオルガンは、宮澤賢治が大正15年(1926)に、実家から約1.5km離れた花巻川口町下根子桜(しもねこさくら)の別宅に入って、独居自炊生活をはじめ、羅須地人協会を設立した頃に愛用していたものです。
下根子桜の別宅は、北上川の畔の、まわりの畑地よりやや高台になった見晴らしのよいところに建ち、この家はもとは賢治の祖父・宮澤喜助翁の隠居所として建てられたものです。
賢治の没後、人手に渡り現在の花巻農業高等学校に移築、復元され保存されています。
花巻農業高等学校の前身は、賢治が教員として勤務していた稗貫郡立稗貫農学校(後の岩手県立花巻農学校)です。
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◆「星めぐりの歌」
賢治はこの家で、農学校での教え子を中心に若者たちを集め、クラッシックのレコードコンサートを催したり、演劇や講演や器楽の合奏などを行っていたようです。
賢治はオルガンとセロを弾いていたようで、東京に出た折、レッスンも受けていた形跡があります。ただ、その期間もごく短く、音楽熱の高さはあっても演奏は独学に近いものだったようです。
しかし、そのなかで「星めぐりの歌」「月夜のでんしんばしら」「イギリス海岸の歌」など8曲を作曲しています。特に「星めぐりの歌」は有名で、シンプルな曲ながら耳にも、こころにも残る名曲だと思います。

a0282620_19353891.jpg賢治さんの収集レコードのリストを見ると、蓄音機の時代ながら驚くほどの数のクラッシック曲を聴いていたことがわかります。
バッハ、ハイドン、シューベルト、ベートーベンはもとより、ラフマニノフ、メンデルスゾーン、ワーグナー、チャイコフスキー、リヒャルト・シュトラウス・・・などなど、なかでもドビッシー「牧神の午後への前奏曲」などは伝説から童話世界への近似性を感じますし、当時まだ前衛だったストラヴィンスキーの「火の鳥」まで聴いていたとは・・・。また、ジャンルを超えてジャズにまで触れていたことがわかります。

※マントの写真はあの有名な賢治像で来ているマントです。この建物の中に展示されています。


それでは賢治さんの名曲「星めぐりの歌」を3ヴァージョンでお楽しみください。

【1】オルガンで弾いた「星めぐりの歌」



【2】歌(ソロ)



【3】林光編曲 合唱



※この宮澤賢治シリーズは、間隔をおいてまだ続きます。

by Martin
by martin310 | 2012-10-09 19:44 | 文学 | Comments(2)