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伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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カテゴリ:秘史探求( 9 )

戦中・戦後から今日まで続くCIAの傀儡統治の実態を知っておこう。「児玉機関と笹川良一」~ドイツ国営放送


戦後の日本・欧州の視点 No.3-1 児玉機関と笹川良一.flv

http://www.youtube.com/watch?v=vSSwdGV9UHg

戦後の日本・欧州の視点 No.3-2 児玉機関と笹川良一.flv

http://www.youtube.com/watch?v=2rF2SKbetWo




a0282620_20462756.jpg『東条英機と東京裁判 日本は何をまちがえたのか?』
(TOWN MOOK完全保存版)より引用


A級裁判打ち切りで釈放された戦犯たち

A級戦犯容疑者の逮捕・拘留は米軍進駐後まもない1945年(昭和20)9月12日の東条英機、嶋田繁太郎ら39人の逮捕を皮切りに、合計で118人にのぼった。

 
日本の保守党の55年体制の功労者こそ岸信介

a0282620_2120345.jpg日中戦争~太平洋戦争の中枢として、A級戦犯容疑者の岸信介は1000日余りの巣鴨の牢獄では、
「冷戦が悪化すれば、首を絞められずにすむ、それがわれわれの頼みの綱であった」
「牢獄から生きて帰る自分」のことしか考えなかった。
 戦後の冷戦から、アメリカによる秘密の、『A級戦犯をソ連対策に流用する』作戦で使われることになった、
「幸運のA級戦犯の考えたのは、自分の命だけ」であった。

 日本人が、戦争を指揮し作戦を実行したA級戦犯の岸信介ら戦争の中枢としての責任を問う事はなかった。
   

日本のフィクサーになるスガモ卒の児玉誉士夫

a0282620_20464788.jpg 児玉誉士夫(こだまよしお)は自由党創設時からの大スポンサーであり、その後、自民党長期政権下では「日本の黒幕」「戦後最大のフィクサー」として暗躍した。
 ロッキード事件でも、A級戦犯容疑者の重みを最大限に発揮して、日米の裏パイプ役を果たしていた児玉が暴露された。
 1945年(昭和20)12月、児玉が戦犯容疑で逮捕された時は35歳。
老人が多いA級戦犯の中では最年少だが、その大物ぶりが注目された。G2のウィロビー少将は「児玉と笹川良一の釈放は日本社会に危険をもたらす」と、起訴するように勧告をしていたが、1948年(昭和23)12月、児玉は釈放され、以後CIAに協力するようになった。
 児玉は弁舌と筆も立ち、スガモプリズンでは、指導者とは名ばかりの小心翼翼の老人たちの獄中生活とその人間性を詳細に記録したスガモ日記『芝草はふまれても・巣鴨戦犯の記録』(1956年)を刊行して、大物ぶりをアピールした。

 児玉はさまざまな事件に関与して人出獄を繰り返し、日中戦争中は陸軍参謀本部嘱託として汪兆銘政権を援助した。さらに1941年(昭和16)11月に、笹川良一の裕介で海軍の物資調達機関「児玉機関」を設立し、上海に本部を置いて鋼やボーキサイト、夕ングステンなどのレアメタルの買い付けをはじめ、大量の海軍軍需物資を取り扱った。終戦の1945年(昭和20)8月15日には特攻隊創設者の軍令部次長大西瀧治郎中将の自決にも立ち会った。

 終戦時には児玉機関の資産は32億円の巨額にものぼり、その秘匿分のダイヤ、プラチナ(7000万円相当)を辻嘉六(つじかろく)の紹介で鳩山一郎の日本自由党らに献金、これが同党の結成資金となった。
 鳩山一郎、河野一郎ら党人派と親しく、1955年(昭和30)に自由民主党が誕生した後も大きな影響力を持って政界の汚れ役を引き受けた。
 だが1976年(昭和51)のロッキード事件で、その虚像が一挙に暴かれた。
 1978年に児玉はロッキード社の秘密コンサルタントとなり、第1次、第2次FX(自衛隊の次期主力戦闘機)選定やその後のトライスター(旅客機)売り込みに暗躍して、約23億6880万円を受け取ったことの脱税、外為法違反で起訴された。
 しかし、児玉は判決を待たず。1984年(昭和59)に72歳で亡くなった。


もう一人の「日本のドン」は世界的社会奉仕家に

a0282620_2047376.jpg 児玉と同じく『日本のドン』と言われた男に笹川良一がいる。
 笹川は1931年(昭和6)に国粋大衆党総裁となり、1939年(昭和14)12月には日独伊三国同盟締結を促進するため純国産機『大和』でドイツ、イタリアに飛行、イタリアではムッソリーニと会見した。
 1942年(昭和17)4月の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。
 敗戦の年の12月、『超国家主義者、暴力、愛国結社の主要人物』のA級戦犯として連座、スガモプリズンに拘置された。半世紀後に出版された笹川の『巣鴨日記』(中央公論社)によると獄中ではオロオロするばかりの老人のA級戦犯たぢを助け、若いBC級戦犯には自分の食べ物を分け与えて、その家族の面倒を徹底してみるといった義侠心が強調されでいる。

 しかし、当時の検察局の資料と比較すると、戦中の行動はかなりの自己弁護、歪曲が施されており、日記とは大きな落差があることが指摘されている。
 また、戦後の活躍の場になる競艇は獄中で見た『ライフ』誌のポートの写真を見てアイディアがわき、釈放されるとモーターボート竸走法の制定に走り回り1952年(昭和27)に金国モーターボート競走会連合会、1962年(昭和37)には日本船舶振興会(日本財団の前身)を創設して会長に。

 その膨大な収益金の一部を国内外の団体に寄付、世界では著名な社会奉仕家として知られるようになった。
 1982年(昭和57)には国連平和賞を受賞して、「日本の黒幕」「日本のドン」といったイメージとはまったく別の一面をのぞかせている。


日本のメディア王に復活した正力松太郎

a0282620_20472128.jpg もうひとつ注目される戦後活躍組はメディア関係のA級戦犯容疑者である。当時の3大新聞社、通信社のトップがいずれも逮捕された。
 朝日新聞は緒方竹虎(編集局長。小磯国明内閣の国務相兼内閣情報局総裁)、下村宏(同副社長、昭和20年鈴木内閣の国務相兼情報局総裁)、読売新聞は正力松太郎(同社長、小磯内閣の顧問)、毎日新聞の社賓として[皇国史観]で戦争の旗振り役の徳富蘇峰(大日本言論報国会会長)古野伊之助(同盟社長、日本新聞連盟理事)らである。

 新間からテレビの雄、日本のメディア王にのし上がる正力松太郎(読売新聞社主・日本テレビ創業者・社長)は、わが国では初の民間テレビの導入や原子力政策をめぐってCIAと協力して導入した事実が、米公文書で半世紀ぶりに明らかにされた。(有馬哲夫『日本テレビとCIA~発掘された正力ファイル』新潮社)
 正力は警視庁警務部長の後、昭和初期に読売新聞の経営者となり、徹底した大衆路線とラジオ欄の創設、シャイアンツの前身のプロ野球を創設して、朝日、毎日に肩を並べる大新聞に育て上げた。

 戦争中の大政翼賛会総務などの経歴でA級戦犯で1945年(昭和20)12月3日に巣鴨に収監された。
正力は逮捕されることを予期して秘かに“英語の勉強”に取組んでいた。
『巣鴨に入る直前、CIAから40億円で読売を買収したいという話がもちこまれた。正力は心を動かされたが、務台光雄(後の読売新聞社長)が断固反対して、正力は折れて、CIAの買収話はつぶれた」(佐野眞一『巨怪伝』文藝春秋)
 1947年(昭和22)9月の追放解除後はテレビに目をつけ、1953年(昭和28)、日本テレビ放送網を創立して社長。衆議院議員にも当選。北海道開発庁長官、原子力委員会委員長、科学技術庁長官を歴任した。

 この日本テレビ設立の裏には、米CIAと正力の深い結びつきがあった。
正力の暗号名はPODAMで「CIA正カファイル」は474頁にものぼり、CIAが極秘に正力を支援する作戦計画が詳細に記録されている。

 日本テレビには米の技術、資金、特許が提供されたが、放送目的は娯楽、教育ばかりでなく、反共主義の親米プロパガンダ・メディアとしでの役割を担わされた。

a0282620_20474350.jpg 緒方竹虎は朝日の編集責任者として東条とは正面から対決したリベラルな新聞人である。
朝日の記者から政界に出た中野正剛との交友は有名で、「戦時宰相論」で東条に対して自刃した中野の葬犠委員長を東条、憲兵の妨害にもかかわらず引ぎ受けた。
 1944年(昭和19)、小磯国昭内閣の国務相兼内閣情報局総裁に就任、大政翼賛会副総裁を兼任。
 1945年(昭和20)に大日本翼賛壮年団団長となったが、その点がA級戦犯として追及される要因となった。
 1945年(昭和20)末にA級戦犯に指名され、翌年に釈放されたが公職追放となった。この追放解除後の1952年(昭和27)に自由党から衆院議員に当選。すぐ第4次吉田茂内閣で副総理格兼内閣官房長官として入閣した。引続いて第5次吉田内閣でも国務相(副総理)として、一貫して吉田を助けて保守本流の形成に尽力した。
 1954年(昭和29)に吉田が退陣した後に、自由党総裁に就任した。そして1955年(昭和30)の保守合同によって自由民主党が結成されると、総裁代行委員の一人となった。
自由民主党の初代総裁は鳩山で、その次は緒方と首脳部の間で話はついていたが、1956年(昭和31)1月、67歳で急死した。


財界人のA級戦犯は全員免責された

 財閥関係、財界人ではA級戦犯として12人が逮捕されたが、結局、全員免責された。キーナン検事は、軍閥ほど財閥の戦争犯罪を追及しなかった。
 財閥解体はGHQの「財閥解体指令」のほうにまかされ、三井・三菱・住友・安田の本社をはじめ、83社が特殊会社に指定され、11家族計56人が財閥家族の指定を受け、その持株と財産は国家に買い上げられた。
 A級戦犯となった財界人で、その後の復活、活躍したのは日産コンツェルンの鮎川義介、日立コンツェルンの久原房之助らである。
a0282620_2048362.jpg 鮎川義介は日産コンツェルン(現・日産自動車などの前身、日産化学、日本油脂など)の創設者だが、満州事変後の軍需インフレを利用してのし上がった新興財閥である。のち軍部と共に満州に進出、1937年(昭和12)、満州重工業社長となって「三スケ」の一角を占めて満州経済のリーダーとなり、東条内閣では内閣顧顧問を務めた。
 その点がひっかかり、1945年(昭和20)12月に逮捕されて20ヵ月間拘置されたが、不起訴釈放となった。
 獄中で戦後の経済復興は中小企業の育成しかないと考えた鮎川は、1953年(昭和28)に参議院議員になり、中小企業助成会、「日本中小企業政冶連盟」(中政連)を組織して、40万人もの大組織に育て上げ中小企業の教祖的な存在となった。

 岸とは満州以来の太いパイプが続いて、1958年(昭和33)2月、岸内閣最高経済顧問に就任し、日米貿易問題で首相特使として渡米するなど、昭和30年代の日本の政治、経済の中枢で活躍した。
a0282620_20481935.jpg 一方、義弟にあたる久原房之助は「鉱山王」から久原財閥の総帥となり、その豊富な資金をパックに政界に進出して田中義一内閣で逓信大臣に、1936年(昭和11)の2.26事件では右翼に資金提供した容疑で連座したが、その後立憲政友会(久原派)総裁に復活するなど[政界の惑星]と呼ばれた。
 1945年(昭和20)年11月19日にA級戦犯容疑で逮捕されたが、釈放された。
そして公職追放解除後は衆議院議員に復帰して、1955年(昭和30)には日中・日ソ国交回復国民会議会長として訪中し、毛沢束、周恩来らと会見し、1961年(昭和36)には来日したソ連副首相・ミコヤンとも旧交を温めた。「アジア合衆国論」を唱えて、意気軒昂で、1965年(昭和40)、95歳で人生の幕を閉じた。


by martin310 | 2013-10-17 21:27 | 秘史探求

ヒストリーチャンネルTV 古代の宇宙人シリーズ #19 「宇宙人と聖地」

ヒストリーチャンネルTV 古代の宇宙人シリーズ #19 「宇宙人と聖地」


http://www.youtube.com/watch?v=jstQxM26r-E

「聖地とは、人類が神を崇めた場所なのか?それとも古代の宇宙人と接触した場所なのか?エルサレムの神殿の丘は天上への入り口だと言われてきた。イスラム教の聖地メッカの神殿には、天から降ってきたと信じられているブラック・ストーンが奉られている。そして、レバノン・バールベックの神殿は、離着陸場のような巨大な石の構造物の上に建てられた。人類はこのような聖地で神と交わったのか?それとも、古代の宇宙人と接触していたのか?」


まさにETの介在なしには、このような歴史的建造物や宗教の形式、聖典などは出来ようがないだろうというのがよくわかる番組だ。
まったく人類にとって「宗教」というものは、何故に生み出されたものなのだろうか?
まあ、それが漸く馬鹿げたものであることがよくわかる時代になったものだと思う。自分というものを帰依という信仰によって見失わせ、未知なる幻想の力に明け渡すことで利を得ようとするもので、逆に最も人心をコントロールし、支配しやすい道具を拡大する手法であることは言うまでもない。それが戦いを生み出し世界を荒廃させるに容易い武器となる。
宇宙からの置き土産とそれを地上で仕組む者、その人心掌握システムを利用して世界を支配する者、また、この宗教によるマインドコントロールシステムを他の分野でも利用し、様々ないわゆる陰謀の数々が積み上げられて来たのが、この我々の知る限りでの人類史ではないのか。
まあ、古代から実に永きにわたり、我々はそのあいだいくつもの転生を繰り返す中でも、この騙しに騙され続け、殺しに殺され続けて来たものだと、つくづく思うものだ。そのような積み上げられた転生のカルマを、この時代で解消する為にも、過去の人類史の真実を知ることが是非とも必要となるだろう。デスクロージャーの時代とは、そういう意味なのだと思う。「開示」される時だ。

by martin310 | 2013-09-20 22:06 | 秘史探求

これは興味深い番組だ。 「テンプル騎士団からフリーメイソンへ受け継がれた古(いにしえ)の秘密」

テンプル騎士団からフリーメイソンへ受け継がれた古の秘密


http://www.youtube.com/watch?v=A4QJn_hDOuQ

ヒストリーチャンネルTV 聖杯伝説の謎

コロンブスがアメリカ大陸を発見する前に、すでに多くの者たちがアメリカ大陸に渡っていた。フェニキア人、スカンディナビア人、アイルランド人、ウェールズ人、ブルターニュ人、バスク人、ポルトガル人。

スコットランドのロスリン(チャペル)の王子ヘンリー・シンクレアもその中の一人だった。そのことはフレデリック・J・ポールによって書かれた稀こう本『王子ヘンリー・シンクレア1398年新大陸への航海』のなかに述べられている。シンクレアの航海のパートナーはヴェニスの黒い貴族・ゼノ家のアントニオ・ゼノであった。

二人は現在、ニューファンドランドと呼ばれている地域に上陸し、1938年にはノヴァスコシア(ニュー・スコットランド)に到着した。アントニオはノヴァスコシアのピクトー群のピッチ帯(現在のニューグラスゴーの近く)について、手紙の中で詳しく述べているが、それは事実にぴったりと一致している。シンクレアは続いて、現在のニュー・イングランに上陸した。

マサチューセッツ州ボストンから40キロ行ったところにある町ウェストフォード。その「見晴らしの丘」と呼ばれる場所で、岩場の間から剣を持った甲冑の騎士の彫像が発見されている。ケンブリッジ大学の考古学・民族学博物館キュレーター(学術専門家)のT・­C・レスプリッジは、「その武器、甲冑、紋章は、j4世紀、北スコットランドの騎士のものであり、オークニー伯であった初代シンクレアのものに酷似している。」と言っている。

ブラザー・フッドはアメリカ大陸のことを何千年も前から知っていた。クリストファー・コロンブスは、公式のアメリカ大陸発見」物語を作り上げるために利用されたに過ぎない。アメリカ大陸の占領を大ぴらに開始するためにだ。これがことの真相だ。」デーヴィッド・アイク著『大いなる秘密(上)』

ちなみに、コロンブスの中心的支援者はバビロニアン・ブラザーフッド・ネットワークの二人の高位階者だった。その一人がロレンツォ・ド・メディチでメディチ家はヴェネチア最強のレプティリアン一族である。もう一人はレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼はシオン修道院のグランド・マスターだった。

「新世界への扉を開いた冒険者たちは、すべてマスタープランに従って操作されていた。彼らは発見者というよりむしろ、「再発見」の任務を与えられたエージェントたちであった。これらの勇敢な冒険者たちについては、その出自、生活、性格、考え方など、重要なことはほとんど何も知られていない。彼らの生きた時代には多くの歴史家や伝記作家がいたが、彼らについては、ただ口をつぐむか、無条件にほめたたえるかのどちらかだった。」マンリー・P・ホール(『大いなる秘密(上)』p435文中から引用)
by martin310 | 2013-09-19 22:29 | 秘史探求

ホイットニー文書:昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約(1946)


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出典元:全共闘会議(原文の英文もあり)
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm


【ホイットニー文書】

この文書は、昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約が全編にわたり記された、「極秘」扱いの、英文3頁以上にわたるメモランダムである。1946年4月から6月の間に、東京駐在の国務省員によって作成され、マッカーサーの腹心であったコートニー・ホイットニーの私物として保管された後、1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館に寄贈され、1978年に機密解除されている。

資料名:General Whitney to C-in-C, dated 24 April 1946
年月日:24 April 1946
資料番号:GHQ/SCA 民政局文書 GHQ/SCAP Records Government Section;Box No. 2225
所蔵:国立国会図書館
原所蔵:米国国立公文書館


【天皇ヒロヒトの発言記録(1946・4~6)】

(以下、日本語翻訳)
二、三週間前に占領が長く続くべきであるとの希望を述べた根拠を説明したい。日本人の心には未だ封建制の残滓が多く残っており、それを根こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。

日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。

徳川政権は、民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない、という論理のうえに築かれていた。かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。かなり闇雲に従うという本能によって、現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていない。

この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。

日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。

以上のようなことから、私は今は日本人のもつ美点を述べている場合ではなく、むしろその欠点を考える時だと感じている。

私は、マッカーサー元帥と元帥の行っていることにたいへん大きな感銘を受けている。また、対日理事会におけるアメリカの態度にとても感謝し、それが安定効果を持つと感じている。

しかし、私は今、この国の労働状況をかなり憂慮している。日本の労働者は、物事を真似する事において、義務を等閑にして自分の権利を利己的に追求しやすく、米国のストライキから有害な影響を受けるので、米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。

自分の治世に与えられた名前 ―昭和、啓発された平和― も今となっては皮肉なように思えるが、自分はその名称を保持することを望み、真に「煌く平和」の治世となるのを確実にするまでは、生き長らえたいと切に願っている。

私は鈴木(貫太郎)提督の被った損失に心を痛めている。鈴木は、降伏準備のための内閣を率いるよう私が命じたのであり、海軍の恩給ばかりでなく、それは理解できるにしても、文官としての恩給までも失った。彼は侍従長を長く勤め、そして降伏準備の任務をよくこなした。彼の提督という階級と戦時の首相という地位が追放に該当するのは当然としても、彼は、皇室に仕えていた地位の恩給の受け取りも現在停止されている。私は、鈴木提督個人のためだけでなく、このような価値剥奪が日本人に理解されず、占領軍の利益にも日本自身の利益にもならない反米感情をつくり出すという理由から、不安を募らせている。


まさに唖然とするばかりの発言の数々であるが、今や、昭和天皇の真の姿はそこここに暴露されている現在、逆に、今このような文書が公開されることで、それらが単なる陰謀論に終わらぬ真実であったことの強力な裏打ちになり、確証を得る契機になり得ることになろう。
散華していった200万もの英霊の方々は、いったいこの現人神であったこの方の御言葉をどう思うのであろうか。
by martin310 | 2013-08-21 22:23 | 秘史探求

【重要情報】小沢さんの出自に新事実判明!?

20130711小沢代表千葉街宣で聞いた平野証言



小沢さんの出自についての重要情報が語られています。

小沢一郎氏の母方の祖母は、幕末の日仏の友好に貢献した外交官シャルル・ド・モンブラン伯爵の孫であることが判明。
そこからさらに、同氏の祖父は、徳川将軍家の封印されている秘密に関わる可能性が大であることがわかってきているという。
つまり、この小沢氏の出自が隠匿されているのは、この重大な日本の秘密に触れることを避ける為に隠蔽されてきたということのようだ。
なんとこの時期に、このようなことが開示される予兆が現れるとは。
平野氏によると、この秋には調査内容の開示ができるようだ。
まさにディスクロージャーの時代を象徴するような話だ。


日本一新の会公式サイトより
日本一新の会・代表 平野貞夫氏の記事
http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-272.html

〇 日本の近代化に貢献した「モンブラン」の血を引く小沢一郎!

 7月2日(火)、八重洲ブックセンターでの鳥越俊太郎氏とのトークで、私は、小沢さんの政治思想の形成を「民衆の福寿が国の安寧の源」という北辰妙見思想が原点にあると論じた。理由は、父・佐重喜の故郷奥羽と、母・「みち」の故郷である千葉県での家系が、平将門などの妙見信仰という共通の文化で結ばれていたことが論拠だった。ところが、5日後の7月7日、折しも七夕の日であったが、驚くべき情報を得たので補足しておく。

 千葉県在住で小沢さんの母方の親族から、「小沢の母・「みち」の家系について説明しておきたい」との話が予てからあった。7日に訪ねたところ、驚くべきふたつの情報を聞かされた。

 母・「みち」は、千葉県東葛郡風早村藤ヶ谷で、荒木儀助を父とし、「かの」を母として明治34年2月15日に生まれている。問題は母・「かの」の出自である。「かの」の祖父は、幕末、日本で活躍したフランス人で、日仏友好の父といわれるモンブラン氏である。モンブラン氏と日本の女性の間に生まれた娘の子が、小沢さんの祖母になる。

 モンブラン氏は1858年(安政5年)に初めて来日、日仏通商条約の締結にかかわる。1862年(文久2年)、再び日本を訪れ、日本文化を研究し、パリ万博の薩摩藩代理人として活躍したことなどで知られる。明治になって新政府の外交顧問格となったり、在フランスの日本総領事館の領事任務にあたったりした。西園寺公望など日本留学生の相談役でもあった。著書に「日本事情」などがある。

 幕末、日本の女性が生んだ外国人の子どもを、戸籍などで証明することは困難である。ごく一部の人たちに伝えられた傍証がいくつかあり、私は真実であると確信している。「かの」の母が美人のハーフで、「かの」の名の原案はモンブラン氏が「カノン」と名づけたもの。また、モンブラン氏は風早村の金山地区に葡萄を植え、〝葡萄酒〟を造っていたとの話も残されている。荒木家に〝葡萄酒〟をつくる技術を教えた話もある。

 荒木家では、これまでこの情報は〝秘事〟とされており、小沢さんにも知らされていなかった。理由はわからない。外国人の血が入っていることを嫌うという単純なことではないと思う。私の推測では、「みち」の祖父、源吉(小沢さんの曾祖父)の出自を封印するためだと思う。源吉の出自は、説明によると、徳川家の歴史に重大な衝撃を与えるものだ。十分な調査・研究が必要となろう。

 最近、家系を研究してこの情報を私に伝えた親族の気持ちを察するに、「心ない人たちが、ネットで小沢さんの両親が、済州島生まれという偽りの発信に対応して欲しい」というものだと理解した。

 小沢さんと40年来の付き合いとなる私は、日本人には珍しい「合理的で論理性のある思考力」と「デモクラシーに対する拘り」を、不思議に思っていた。どこで勉強したのかと?。フランス人・モンブラン氏の血統に続くことを知り、長年の疑問が解けた。いよいよ「日本一新」を断行する政治家であると確信する。

by martin310 | 2013-07-12 12:02 | 秘史探求

Atlantis Found:アトランティス発見される

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スザンヌ・リー/“愛と光の時代へのニュース”より
Atlantis Found
Suzanne Lie

http://www.suzanneliephd.blogspot.co.uk/2013/05/dear-readers-i-usually-only-post-what-i.html

※転載元記事は、目覚め Despertando.me さんの「スザンヌ・リー 2013年5月30日 アトランティス発見される」

親愛なる読者の皆さん、
通常は自分の記述かチャネリングしたものしか掲載しないのですが、下記記事はとても重要なので皆さんにお知らせします。

バミューダ・トライアングルにピラミッド、巨大スフィンクスを発見。
このニュースはツタンカーメン王の墓やトロイ発見を上回るだろう。

a0282620_23364460.jpgアトランティス大陸が発見されたのである。二人の勇敢なる科学者、Paul Weinzweig 氏とPauline Zalitzki氏はアトランティスの遺跡を発見した、と声明を出した。
彼らはキューバ湾沖に沈没した古代都市の遺跡を発見したのである。

遥かなる昔、この地域は陸地だったが、現在はキューバ島だけが水上に残っている。その古代都市は海面下600フィート(約183メートル)にあり、Zalitzki氏・Weinzweig氏率いる研究者チームはこれが1万年以上前に失われた都市、アトランティスであると確信している。

二人の科学者、Paul Weinzweig 氏とPauline Zalitzki氏はキューバ湾沖をロボット潜水艇で調査をしている際、海底に巨大都市があることを確認した。その古代都市にはいくつかのスフィンクスと少なくとも4基の巨大ピラミッド、その他があるが、その敷地は伝説のバミューダ・トライアングルの境界線内に驚くほどにおさまっている。

a0282620_233747.jpgTerra Forming Terra Arcleinの報告によると、キューバ海中のピラミッド複合体の痕跡からこの都市で増水と海への地盤沈下が同時に起こり、浸水したことを示しているという。これはアトランティスの伝説と全く一致している。この災害は最終氷河期末に起こった可能性がある。北極氷床が大惨事をもたらすほどに溶け、海水位が世界中で急速に上昇したが、特に北半球に影響を及ぼした。海岸線が変わり、土地はなくなり、島々(島大陸を含む)は完全に姿を消した。最終氷河期末期の海水位は現在の海水位よりも122メートル近くも低くなっていた。理論上ではその頃の技術をもってしても、また現在の技術をもってしてもアトランティスが水中墓場となることから救い出すことはできなかっただろう。今この地球ではカリブ諸島が海中に沈下するのは確実なのだから、それがよい証拠である。

Arcleinの見解はこうだ。「大西洋海嶺中域の大部分、リオーネや島々、アゾレス諸島一帯の島々も低下していた。これが起こっていなかったとしても、それは大規模な崩壊をもたらしていたはずだ。」「垂直圧が起き、東も西も崩壊が起きたはずだ。キューバとユカタンの間にある畝が湾岸海盆沈下とカリブ海盆を分ける自然の成した弱い部位であり、その畝は当然深くにまで達している。これが進んだのは静水圧の変化のためで、その原因は二つ。もともと12900年前に起こった表層の変化、私が更新世地層不整合と呼ぶものが一つ、さらに最終氷河期末期までハドソン湾海盆が徐々に上昇していたためである。


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Fernandez 氏、アトランティスの件でPauline Zalitzki氏を訪問。

Cuban Missile Crisis Halts Research誌ジャーナリスト、Luis Mariano Fernandez 氏によるとこの都市は何十年か前に発見されていたが、キューバ危機の間、そして危機の後もアクセスすることを全面的に禁止されていた。「米国政府が1960年代、キューバ危機の時代にその場所を発見していた。原子力潜水艦が巡航中に(深海で)建造体を発見し、湾岸にはピラミッドもあった。ただちにその一帯は閉鎖され、その辺りもそこにあるものも管理下におかれた。ロシアの手が伸びないようにするためだ。海の専門家、海洋学者や考古学者から成る科学者チームが海面下183メートルの所に古代建造物の遺跡を発見した。彼らはそれがAtlántida(アトランティス)だと言っている。

キューバ島はかつて強大な文化を持していたという事実もZalitzki氏の発見によって裏付けを得ている。極めて古い時代から残されているシンボルや象形文字は、海底の建造物に見られるものと一致するという。潜水艇を用いて彼らは建造物を発見したが、中でもピラミッドはエジプト・ギザのピラミッドと似ているが更に高いものだという。アトランティスのピラミッドは数百トンもの石で築かれたと信じられている。

Fernandez氏によればこの古代都市には壮大なスフィンクスや「ストーン・ヘンジのように並んだ、言語が刻み込まれた石」もあるとのこと。さらに、ある巨大なピラミッドがバミューダ・トライアングルでダイバー達に発見されたというが、その頂点にはクリスタルのようなものが冠されていたという。(Pyramids of Glass Submerged in Bermuda Triangleを参照)

歴史を書き換える発見。
この発見によって人類の歴史の展望は変わるだろうか?その通り、全てが変わる可能性を秘めている。

Fernandez 氏はこう述べている。「これらの石は大きな建造物を築くために切られ、掘られ、磨かれたのだということが立証されている。碑文は未知なる文字で中にはエジプトの象形文字に似たものもあるが、ほとんどは未知のもので、ただその文字は全域にわたって至るところに記されている。シンボルや絵のようにも見えるが、その意味は不明である。」

Project Exploramarと呼ばれるアトランティス探査により、巨大シウダードの神秘が更に発見されている。この遺跡が実際にアトランティスであるかどうか、その可能性について科学者に尋ねたFernandez氏は、専門家の答えを次のように報告している。
「・・・現在のユカタン文化、アボリジニも、オルメカ文明もしくは中米北部、ユカタンの原始的文明から由来しているかもしれない。どれも地殻変動によって沈没したある島に起源しているからだ。そのある島とは、Atlanticúと呼ばれている島だ。」

これも、突然消えたアトランティスの物語と見事に適合している。
Atlanticú、Atlantis(アトランティス)。アボリジニ先住民は今もその歴史を呼び戻している。オルメカ人やその他先住民達には初源的言語形態があり、この大陸の出現を伝えている。つまり、キューバ方面から巨大地震が起こり、土地が沈んでしまったことを意味する。その形態によると彼らは救われた3つのファミリーに属しているという。一つのファミリーはオルメカと推定されるベラクルス湾に着いた。他のファミリーは中米にたどり着き、太平洋岸を旅して私達が今日南北アメリカ文明として知るものを築いた。彼らは全ての知識を広めたのである。人類学者がこの水中の彫刻や石柱、シンボル、碑文を見た時、それらはオルメカのモチーフと同一であると見なした。大変驚いていたそうだ。
(更に詳しくは、「paul weinzweig」と「pauline zalitzki」で検索)

翻訳:Riekoさん


UNDERWATER PYRAMIDS AND CITY RUINS PRE 10000BC BIMINI (CUBA)



Crystal Pyramid in the Bermuda Triangle

by martin310 | 2013-06-05 23:49 | 秘史探求

天皇の陰謀を暴いたバーガミニ:太田龍講演録より


ツイートテレビの服部順治氏が、2013/2/8(金)のツイートTVとブログで、ATSUHIKO TAMEKIYOさんのサイト『Beyond 5 Senses...』にある「2・26事件の全容を知り、天皇の呪縛を解こう」の記事を紹介していた。
これは、故太田龍氏の公開講義の録音テープから文字起こしをしたものをもとに、録音された音声と文字起こししたスーパーを加えて構成したYouTube画像と、その文字起こし文面が掲載されているものだ。

太田龍氏は、2009年5月19日(満78歳没)で亡くなられている。
この日本義塾公開講座での講義は2008年1月25日のものであるから、亡くなる1年4ヶ月前の貴重な講演録である。
太田氏の聞き取りにくい話を明確に文字起こしされたのには頭が下がる思いだが、それとともに、内容は文字にして残しておくべき重要な言説を含んでいると思える。
晩年の太田氏の主張の真骨頂といえる内容であり、その講義に込める熱い思いに、振り絞る声の力が後押しされているようである。まさに入魂の講演録だ。

太田龍 二・二六事件の真相、全面開示 (1/14)

※全2時間15分のものを、各10分弱に14分割して制作されている。


内容は『Beyond 5 Senses...』のページにて読んでいただくとして(全文転載するにはあまりに長文なので・・・)、ここではトピックとしていくつかのことを記すことにしよう。

a0282620_21134760.jpgまず目を引いたのは、イルミナティの「396年計画 1549/8/15~1945/8/15」だ。
聖フランシスコ・ザビエルが、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着したのは、1549年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日)。そして、太平洋戦争は、1941年12月8日(カトリックでは聖母の無原罪の御宿りの祭日)の真珠湾攻撃に始まり、1945年8月15日(カトリックの聖母被昇天の祝日。ザビエルの上陸記念日)の「終戦の詔勅(玉音放送)」で終わったということだ。(8.15-8.15)

そして、ザビエルが、今まで教科書で習ったキリスト教の伝道師ということだけではないのはなかなか知られていない。彼の正体はイルミナティの世界支配の将校、斥候というか将軍くらいの役割を持って日本に来たことをまず認識しておこう。
現在の「エコノミックヒットマン」の存在がこれにあたることからも、宗教者が先陣を切って侵略の斥候をはかるというのが戦法だ。

そのザビエルが当時、表では聖職者の顔をしながら、密かに本国に申告していることばが実にその恐ろしさをあらわしている。
「日本はこの地上から抹殺されるべきだ」
「日本人はこの地上で生きていてはならない民族だ」
「これは我々にとって極めて危険な強力な敵になる可能性があるから、一刻も早く一人残らず皆殺しだ」そう伝えていたという。

つまり、現在まで営々と続く侵略のことはじめは、イエズス会の創立メンバーであるザビエルにあったということだ。

そして本題に入っていくと、
バーガミニ『天皇の陰謀』の「新版への序文」に埋もれていた衝撃の事実に」ついてである。

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バーガミニはこの1983年の新書版(全7巻)の第1巻の巻頭の「新版への序文」で、驚くことに、アメリカで大ベストセラーになったこの書で、「天皇の陰謀が物書きとしての私の経歴をお終いにしてしまった」と書いているのだ。
「私の愛国心は幻滅に帰した」とも。
つまり、敵国の天皇の陰謀を暴いた書を評価されると思ったところ、まったく逆に、エドウィン・O・ライシャワーを中心とする、アメリカのまさしく権力エリートらが、バーガーミニの著述家としての活動の全てに渡って、完全に抹殺するように総力を挙げて襲いかかったというのだから驚きだ。
このことは何を意味するのか?
ようするに、同じサタニスト世界権力側の人間の内幕を暴いたことが、彼らの逆鱗に触れたのだ。天皇裕仁の秘密を晒すことは、彼らの陰謀の内幕がばれるからだ。

太田氏はこう言っている。
「昭和天皇が単に日本的存在であるだけではなくて、イルミナティ、サタニスト世界権力によって育成された、極めて有能な重要な貴重な傀儡である。イルミナティ、サタニスト世界権力の道具として裕仁は機能したし、ずっとこの本が出た当時もそうだし、今に至るまでそうである、ということの明確な証拠であると私は思います」と・・・。

そしてさらに、こうまとめている。
「裕仁と称する人物は日本人ではない。天皇を詐称するイルミナティの傀儡です。イルミナティは、日本という国は彼らにとって最も危険な、致命的・驚異的な存在となるであろうから、絶対抹殺しなければならないと、ザビエルが来た時に既に決定してる。
彼らイルミナティのアジェンダ通り、450余年、日本は攻撃され侵略戦争を仕掛けられているんですよ。その侵略戦争の傀儡、道具として、裕仁は百点満点を与えられた存在なんです。
そしてその事が、二・二六事件の全経過を通じて完全に暴露された」と・・・。

「私たちは、地球を支配しているユダヤ・フリーメーソン・イルミナティといった勢力をちゃんと確認して、明確に意識して、デーヴィッド・アイクは『グローバル・コンスピラシー』という本を出してますが、そういう枠組みのなかで、もう一度日本の歴史を見直すことが必要です。
グローバル・コンスピラシーという大きな枠組みのなかで、孝明天皇弑逆と、それ以降イルミナティの傀儡として作られた歴代天皇、こういうものを批判的、客観的、詳細に検証していく精神的・心理的な力が必要です。」

まったく同感である。
今まで信じ込まされて来た歴史観が、まったく真実を隠蔽し虚偽の歴史としてつくられたものであったことを、多くの日本人が知ることになる世が早急に来なければ、今のマインドコントロールされた夢遊病から醒めることは益々遠くなるであろう。
まさに騙しと隠蔽の世界から、覚醒した眼を開ける日がやって来なければ、彼らのアジェンダを完璧に成就させるだけであろう。
by martin310 | 2013-02-12 21:24 | 秘史探求

落合秘史「堀川政略」で幕末史の謎を解く -2-


a0282620_2123037.jpgそもそも「堀川政略」(著者落合氏が命名)とは、どういう目的のもと想起され実行されたものかといえば、要は黒船来航以来の開国を求める厳しい外圧に対して、開国後の世界王室連合への加盟を前提とした、国體の保全と開国とを両立させる為の方策として岩倉具視が献策したものとしている。
この欧州王室連合の世界戦略の対応策の意味と同時に、開国に際して生ずる国民間の各種対立と抗争に、必ず介入の機会を狙うであろう外国勢力から国を守る為の方策でもあった。

このような世界情勢を的確に掴み、進むべき道を見極めていた人材が存在したことが救いだった。水戸・藩校弘道館の会沢正志斎だ。
烈公・徳川斉昭の幼少の頃からの学問の師であった正志斎は、一橋慶喜公に献策した自著『時務策』で、次のような要旨の上申をしている。(要約の要約)

a0282620_214352.jpg西欧列強の強大な圧力を前に、一国で諸国の兵を引き受けることは国力が耐え難いものになる。外国全面拒絶は時勢に合わず、国家の存亡を度外視し過去の国法に固守するだけは偏ったものとなる。今や外国との通好はやむを得ない時勢となった。但し、通好を続け外患に遭わないならば、油断と慢心から外国の介入を許す事態になりかねない。富国強兵政策から士気を励まし、皇統正しき万国に比類なき日本を守っていかねばならない。

これらは憲法九条の論議につながっていくほどの見識を感じさせる。
また、帝国主義の経済的世界戦略に晒されもがく崩壊寸前の幕藩体制下の神州の姿は、基地問題や原発・TPP問題などなどで翻弄される、今日の対米従属の姿と重なり、今、さらに宿命的な存亡の危機が再来していることを実感する。

a0282620_2142787.jpgこのような危機意識があって、早くも烈公は國體保持の為に、皇室を二元化した後、ウラの國體天皇を京都六条通堀川に隠すよう、秘密裏にいわゆる「堀川御所」を造営したのだという。

「堀川政略」は、孝明天皇のもと朝彦親王(青蓮院宮)と侍従・岩倉具視が考案したもので、そこに慶喜をはじめとして勝海舟や榎本武揚、小栗忠順が中枢を務め、その流れは維新後の明治中期にまで及ぶという遠大な計略だった。

a0282620_216574.jpgしかして孝明帝は慶応2年(1866)12月25日、自ら崩御を装い堀川御所に隠れ、國體天皇となり、政体に代わり皇室外交と国際金融を担当した。
一方皇太子睦仁親王と入れ替わった南朝皇統大室寅之祐は践祚し、東京城に入り東京奠都を宣言し、政体天皇に就いた。
そして、睦仁親王・皇女壽萬宮(すまみや)・理宮(ただみや)も薨去を装い堀川御所に父と共に隠棲した。

孝明天皇は開国に関して、欧州列強に交わることになるわが国の政体のかたちとして立憲君主制の樹立の必要性には同意していた。
これを前提に、古来からの國體を護持しつつ皇室を国際化するには表裏二元化するほかにないことも理解し、それを自ら志したのである。
つまり、ここが今までの「孝明天皇弑逆説」とはまったく異なるところだ。
孝明天皇はすべての筋書きを認めた上で、大室寅之祐に表の皇位を譲ったということだ。

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                         孝明天皇の意を受けて大室寅之祐が
                         入れ替わって即位した明治天皇


まとめ要約
by Martin
by martin310 | 2013-01-09 21:25 | 秘史探求 | Comments(0)

落合秘史「堀川政略」で幕末史の謎を解く -1-

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▲函館戦争での旧幕軍の戦艦「開陽」(復元模造)
船体にある隠し窓の中には、クルップ砲を含む26門が並ぶ。

歴史は覆される。
それはそうだ。歴史とは勝者の歴史だ。
勝者の都合で捏造されたものでない訳がない。
だから時代、時代で新たな封印が解かれていく。
そこにまったく新たな歴史の真実が立ち現れるのが常だ。
逆にそれが時代を生んでいくとも言える。

今まさに、近代の日本成り立ちに新たな照明が与えられつつある。
明治維新の実態が隠された闇から実像を現す。
これを機に真実を掴まずには、またさらに「今」の真実をも隠蔽の闇に消される。



a0282620_15575675.jpg落合莞爾著『明治維新の極秘計画』「堀川政略」と「ウラ天皇」(成甲書房)を読んだ。
明治天皇すり替え事件はネット上ではすでにポピュラーな説になっている。
「大室寅之祐」の名もそこここに散在している。
昨年読んだ松重楊江著「二人で一人の明治天皇」にはこの件についての詳細が記されていた。
あまりのリアルな内実開示から、まったくそちらを信じて疑わなかったが、こと「堀川政略」の概要を知った今では、孝明偽装崩御の方がもっともらしく思える。長州の下忍だった伊東俊輔(後の博文)が惨殺した説も捨て難いが、遠大な計略が張り巡らされていた「堀川政略」には、あまりに様々な焦点が合うことからも納得をせざるを得ない感がある。

この本の帯にもあるように、「堀川政略」の大絵図はこうだ。

・孝明天皇⇒偽装崩御⇒京都皇統:国體天皇(国家シャーマン)
・大室寅之祐⇒睦仁すり替え⇒東京皇統:政体天皇(明治新帝)


ここではこれらの内容検証よりも、書中にある何気なく記された幕末史の新たな知見について、主観の刷新を余儀なくされた私の驚愕のことのあらましを綴っていきたいと、そう思うところであります。


個人的に幕末関連の歴史の場には、かれこれ10余年のあいだかなりの頻度で出掛けている。特に、新選組関連の史跡には足繁く通った。同じ場を違うテーマで複数回に亘る場合もあった。京都はもとより北上していった足跡を追い、甲府・勝沼・板橋・流山・塩釜・会津・・・、日本列島を北に上った。最後は函館、松前、江刺に至るまで足あとをつけたほどだ。
特に、土方の死によって徳川260年の幕を閉じた・・・というのが北の大地まで巡り切るいわれだった。
だが、この本の中で、ほんの少し触れている記述に体が震えた。
史実の定石をあたりまえに捉えていたなかに、何かもやもやした疑念がそこここに点在していたのも事実だった。結果としての史実に、どうして?こうなったのだろう、なぜかちぐはぐさを隠せない、そんな懐疑的な靄が残ったのだ。

そのひとつに、榎本艦隊の北上があった。開陽、回天、蟠竜、千代田形、神速丸、美賀保丸、咸臨丸、長鯨丸の8艦から成る大艦隊を持ちながらも、なぜに近海で徹底抗戦せずに北へ逃げるように向かったのか?
函館戦争でも、他艦が座礁や撃沈され唯一残った旗艦「開陽」であったのにもかかわらず、結果として幕府人員の輸送にしか使われず、交戦力としてまったく役に立たずに、最後は無残にも江刺沖での暴風雨による座礁・沈没で終わったのか?という疑問だった。
書中にはその答えとしてこうあった。
「最後は不可解な自沈で終わるのは、幕軍が新政府軍に勝たないように、榎本が手段を尽くしたから」と。
そう、戊辰の役とは、最初から結果ありきの八百長だったということだ。旧幕軍の残党の火消しの為の戦さだったのだ。

つまり、
「慶応三(1867)年十月、大政奉還を奏上した将軍慶喜は、玉砕より軟着陸を選び、慶応四年の年頭に戊辰戦争が始まるや、直ちに恭順の意を表し、幕臣たちが武士の一分を貫く戦いの終焉を待った」

これが真実だったのだとしたら、土方の近藤亡き後の人生の意味は八百長レースの先導役を担がされただけのものになってしまう。
いや、もともと負けを承知の上、最後の武士道を極めた彼の生き様には、事の如何にあらずとも決して翳るものではないのかもしれない。

しかし、榎本とは、その後の降伏から明治政府入りに至るまで、腑に落ちないことばかりだったが、これで予感は的中したことになる。
そもそも「文久の改革」で幕府は榎本らをオランダに派遣している。このときの榎本のミッションは、「黒船来航以後の日本に関係する海外動向の情報を収集し、勝海舟を通じて慶喜に伝達することであった」
そして、榎本のさらなる重要な職務は、「大政奉還後の小栗忠順の海外渡航の筋道を計画することであった」
小栗は後に、米国に秘密亡命し、三井物産創立に陰で動いた。小栗惨殺は偽装だった。
つまり、すべては「堀川政略」の一環のうちにあったということだ。


つづく

by Martin


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▲江刺沖で暴風雨で沈没した「開陽」の復元
これだけの戦艦を持ちながらも劣勢を余儀なくされた旧幕軍とは?出来レースだったからに他ならない。


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▲江刺の丘の上にある「土方歳三嘆きの松」
ここから海に沈む無残な「開陽」を見て、土方はこの松を拳で叩きながら嘆き悲しんだ。このことで敗戦を悟っただろうに、主君:総督榎本には実はおあつらい向きだったのだ。


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▲函館山にある碧血碑(へっけつひ)
箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っている。
by martin310 | 2013-01-07 15:59 | 秘史探求 | Comments(0)