伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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カテゴリ:ガーデニング( 56 )

ミモザが満開・・・冬枯れの中でただ一点、明るく黄色に染まるマイガーデン。


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冬のあいだ寒い寒いとすっかり庭仕事を怠けていて、そろそろ春の支度でも手を掛けていかなくてはと思っていたら、剪定もせず放置しっぱなしだった庭先のミモザの木が、溢れるほどの花房を点け、濃厚な黄色に輝いていた。
冬枯れた色のない庭先で、このミモザの黄色い花の大群がひとり息を吐いているようだ。毎年、我が庭ではこのミモザの黄色が、春の訪れの第一陣のように彩りを与える。

a0282620_14471579.jpgミモザは幹が柔らかく、あまりに枝が密集すると、自重で曲がってしまう。その上風の強い我が家では、強風の度に頭を激しくもたげるようになる。なので、細い丸太で支えたが、今やその添え木より幹が太くなり、支えなしでも立派に自立するほどになった。もはや幹は両手で掴むほどの太さになり、当然枝ぶりも豊かでそれ故花房のつきがもの凄い。
何も手入れもしてあげないのに、これだけの威勢のいい花つきを見せてくれる、ミモザのけなげな姿が愛らしい。当初細い枝木をこのあたりにと植えた頃からすると、見違えるほどの大きさになり、すっかり今では我が庭の春先の主役になった感があるほどだ。
ミモザが終わるとムスカリあたりが花を点けはじめる。その後は続々春の花々が開花する。

a0282620_14472839.jpg遅まきながら、芝生のエアレーションや肥料撒き、目土入れなどを行った。また例年通り、鮮やかな緑の絨毯を見せてくれるようにと。
傾斜面を掘り返して自分で張った芝なので、どうもまったくの平坦ではなく、手押し型の芝刈機があるのにそれではうまく刈れず、ツレは自分の仕事としてハンディなバリカンタイプの芝刈機を購入し、今年の芝の手入れに今から意気込んでいるようだ。(何やら、隣家の芝の出来栄えに闘志を燃やしているよう。これで役割分担が確定してありがたい)

それから、西側の庭のキッチンガーデン(小さな木枠で囲んだミニ畑)も、堆肥と有機肥料を入れて耕した。しばらく置いて、春野菜の種を蒔こう。
庭先で採れたわずかばかりの旬の野菜が、食卓に少し色を添えるのもうれしいものだ。自宅の庭で出来た無農薬野菜は、ことのほか新鮮で味わいも深い。

a0282620_14473817.jpg木にしろ、花にしろ、芝生にしろ、野菜にしても、土が生み出してくれる産物は自ずと暮らしを豊かにしてくれる。
D.I.Y 同様、自分で出来ることは自分の手で・・・というのが自分のモットー、というか、それが一番納得がいくし、安上がりだ。手と頭と気概があれば、そこそこの手づくりの豊かさを持つことができる。

今年も大いにハンドメイドライフを実践していこう。


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by martin310 | 2015-03-16 14:48 | ガーデニング

ベニシア エッセイ 北の自然に遊ぶ (ベネシアさんと砂由紀さんの邂逅)


ベニシア エッセイ 北の自然に遊ぶ -後篇-
https://www.youtube.com/watch?v=d9KV4ILHgUo


ベニシア・スタンリー・スミス(Venetia Stanley-Smith)
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Eテレで放映された「京都 大原 ベネシアの手づくり暮らし」
の動画がYouTubeにあったので、いくつか楽しみながら観た。その中で、ベネシアさんが北海道を旅する企画で、なんとあの北海道ガーデンの象徴的存在の「上野ファーム」を訪れたくだりがある。
上野砂由紀さんとベネシアさんとの取り合わせは、何だか不思議な感じがした。なぜかガーデン分野では、「北」と「西」で独立したものとして思えてしまっていて、京都・大原の里の古民家でハーブを中心に、イギリス風のセンスをもとに日本の古きよきものを暮らしに生かしているイメージのベネシアさんと、北の大地の元農場だった土地に広大なイングリッシュガーデンをつくった砂由紀さんの組み合わせは意外に思えてしまい、考えてみればイングリッシュガーデンでは元を同じにする二人であることにあらためて気がつくのだ。

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上野砂由紀さんといえば、あの倉本ドラマ『風のガーデン』の、まさにその風のガーデンを設計・制作したガーデナーだ。ドラマの撮影が開始される2年前から、倉本さんの要請でゴルフ場跡地を改造して、あの美しい広大なガーデンをつくりあげ、その庭は今でも新富良野プリンスの一角で一般開放されている。
a0282620_11345020.jpgドラマはDVD化されて大分経ってから観て、その世界に断然魅入りられて写真集なども手にし、今の我が家の庭のイメージの大きな模範にすべきモチーフになったことでも、この砂由紀さんの生み出した世界の影響は大きい。
とはいえ、小さな我が庭では、風のガーデンに咲いていた代表的花の品種を出来る範囲で集めて植えて喜んでいるに過ぎず、到底ガーデンなどと呼ぶにもはばかれるほどのものであるのは言うまでもない。
ただ、少しでも風のガーデンの持つ、天上的な風景の残像を身近な庭に留まらせたい希望で、せっせと苗を探しては注文して集めたという訳だ。

ベネシアさんはこの上野ファームのガーデンを見て、すぐさま故国イギリスで見ていた世界を思い出し、とても懐かしい気持ちに感動していた。
気候や土地、土壌や肥料や気温や日照や様々な条件を見て、またそれに合った植物の特性を生かして、適材適所にデザインしてガーデンをトータルなバランスでつくりあげていく。しかも日々刻々、その様相は変化し、完成というものはない、持続的で成長を続ける生き物としての自然との美の形成が、なによりの生甲斐を生んでいくのがよくわかる映像だった。

そして、ベネシアさんのエッセイとしてのこの言葉。
この美しい地球に住む人間として、自然と共に暮らす人として、これらのメッセージに込められた思いを忘れることなく、人は生きていくべきだとつくづく思う素晴らしいものに思えた。


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by martin310 | 2014-08-14 11:44 | ガーデニング

7月の庭・・・『田園の憂鬱』を思い起こす世界


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台風のニュースから、今年の庭もこれまでか、とも一度は思ったものの、見事分散消滅してくれたお蔭で、我が庭は今のところ無傷でそのままある。あるにはあるがすべてが伸び放題の鬱蒼とした夏の庭になっている。奥の小木が寄せ集まっている船形花壇のあたりは、通り抜けるにも枝木を掻き分けながらのジャングル状態である。
梅雨から真夏の花に少しずつ様変わりして、あちこちにそのときの旬な花色が見えるのがこの時期の愉しみなる。キッチンガーデンではトマト、ナス、キュウリ、インゲンなど定番野菜が、今年の植物の生長旺盛状態からたくさんの収穫が期待できるかと思いきや、丈ばかり大きくなって一向に実の生りははかばかしくない。
漸くトマトが赤く色づいて来たので、しっかり実の詰まった果肉を食せるかもしれない。ナスもキュウリも忘れた頃にぽつぽつできる。シソは元気で、シソジュースや梅干づくりに期待がかかる。

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夏の庭というのは、植物の生長の度合いがピークを超え、勢いが途絶えただけに丈の高いものは、頭をどこかへもたげて支えを求めるように傾き、折れ、向きもまばらに乱雑の様相を呈して来るものだ。陽光に焼かれたように花も葉も萎えて、勢いのあった整然とした庭相から、雑然とした荒れた廃園のような雰囲気になって来る。
例年、その荒れた感じに堪えられなくなり、止むを得ず倒れて駄目なものを刈り始めることになる。庭の花の整理を始めると、それに似せた草の方が優勢に伸びて来る。花壇はいつしか刈られても尚も生える雑草に取って替わるように占領されていく。

そんな夏の庭の姿を見ていると、かつて十代の頃に読んだ佐藤春夫の小説 『 田園の憂鬱 』 の世界を思い出した。(内容はざっとこんな感じだが、そもそものこの描かれた世界が好きだった)
都会の生活に倦んだ文学を志す主人公は、都会の喧騒を逃れて郊外の片田舎の民家で田舎暮らしをはじめる。今どきの田舎志向とはやや異なるが、フランスの文学者が牧歌的世界への移住で作品を書き上げる如くの、ある時代性を持った文学的世界がこのような舞台設定に至らせたのであろうし、実際、作者自身が、女優の川路歌子との東京郊外の田舎での同棲生活を始めた頃のことを素材に描いた小説であったようだ。

a0282620_1538050.jpg『 田園の憂鬱 』 ―或いは病める薔薇(そうび)― が正式タイトルだ。
「荒れ果てた庭に日が全く当たらないため、蔓草のようによろよろ と雑草の中で立っている薔薇の木を見つけた主人公は、この薔薇で自分を占ってみたく思う。「薔薇ならば花開ん!」と。つまり、彼は、この痩せ細った薔薇 に、己が姿を見ていたのである。」
ということで、荒れ果てた庭に咲く病める薔薇がひとつのテーマとしての点景になる。

今もかつて読んで描いたこの小説の世界が脳裏に残っている。19そこそこの頃の自分の受け取るものでは、風趣に富んだ田舎の家での文学に耽る雰囲気だけを味わってよしとしていたものと思う。今も本棚に失くさず持っていた佐藤春夫全集を開いてこの小説を読み始めてみると、かつての若年の夢想世界だけでない、作者の描き出した人間の現実の部分の方が表現上勝っているのが解る。
読み手の置かれた人生経験上の重みを経てから読むのと、そうでないまだ青き自分が読み込む内容は、これほどにも違うものかと、歳を重ねることの意味をも含み、改めて感じ入るものがある。

だが、もうひとつ、今の自分からはこの作品の文字面を追っていくのは、読み始めの頁をめくる毎に無理を感じはじめる現実がある。やはり、現代の表現ではないこれらが、懐かしく思う以上に、あまりに描写がくどく、ごてごてし過ぎてスマートな世界を脳裏に浮かべていくことが苦痛なしろものに思えて仕方がない。
そこに登場する人物の内部や、それを書く作者の思惑や意図などがあまりに露骨に感じ取れてしまうのが、面白みを失わせていることもある。

やはり、読みたいと思える内容や感覚というものも、時代とともに確実に変化しているものだということと、自分自身の興味を持てる対象というものの変化も大いに、このような過去の作品を再読することで見えて来るところがあるものだ。

昨今、若年の頃の愛読作品をもう一度、今の意識で読んでみたいという欲求がある。当時、読みきれていないものがあまりに多いのではないかと、今、読めば、きっとまったく別物の作品観が生まれるのでは、などと思うからだ。
だが、色褪せた文庫本の棚からいくつか選んで目を通しても、やはり読み通すことはどれも不可能だ。もはや求めるものがそこにない意識が強く、回顧趣味にはまることもなく、生き々した先進の感性を感じ取りたい欲求には、とても応えられるものではない気がしてしまう。
意識や魂、過去生やカルマ、闇意識のあれこれを垣間見て来てしまうと、この世界の成り立ちの奥の奥の陰謀の存在をも暴かれつつある現在では、あまりに過去の作品は、時代が開かれる以前のものでしかない気もどこかするのだ。
それだけに、この2、3年の時代動向、人の意識の内的な変動というものは、表からは際立ってわからずとも確実にタイムシフトが起こっている気がするのである。

そんなことまで思わせる、夏の庭だった。
“田園の憂鬱”はそれだけにさらに新たに深まる我が思いだ。
田園で憂鬱を思うのは、この世界そのものの行方にほかならない。


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by martin310 | 2014-07-14 15:48 | ガーデニング

懐かしい曲:ブレッドのオーブレーを聴きながら・・・マイガーデンの今を眺める 。


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えて3年目になるエゴノキの花が、今年はじめて咲いた。いや今までも咲いていたのかもしれないが、その記憶がないほど過去には目立つことがなかった。今年はあきらかにこれがあるべき姿だというように、存在を主張している。
a0282620_1430533.jpg緑が鬱蒼としてきた下段の庭のなかで、白い下向きの雫のような小さな花々が、ひときわいっそう際立って見える。あたりには、花弁の形がなぜかイラストアート風だからか、童話チックな感じが漂っているようだ。妖精の世界のイマジネーションを掻き立てるような趣がある。
木のつける花というものも、けっこう魅力的なものだと、あらためて思った。


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年は今まで、苗が植えられた環境が思わしくなく、どうも一様に華々しく咲けなかった花たちが見事に復活を遂げているものが多いようだ。このブルー・ムーン[Blue Moon](↑)も、コニファーのあいだに挟まれた日当たりが芳しくないところに閉じ込められて、「黒星病」や「うどんこ病」などに苛まれて、本来の花を華麗に咲かせることが叶わなかった。病んだシュートを何度も剪定されて、丈すらも大きくなっていないのに、今年はそんな日陰のなかから勢いよくシュートを伸ばして見事な花を咲かせた。香りもとても高い。
黄色いゴールド・バニー[Gold Bunny](↓)も同様、去年までの黒い斑点が残った葉にもかかわらず、花だけは整った姿を色鮮やかに見せている。
ガーデニング関連のブログを巡っても、案外、同様な復活したバラの花の記事が多いようだ。それだけ、今年のエネルギーは植物の生育にとって良好なものをもたらしているように思える。

a0282620_1431315.jpgそれと共に、虫たちの環境にも変化を与えているようで、もうバラの天敵である「チュウレンバチ」や「バラククバチ」それに「ゾウムシ」の最シーズンは過ぎたようだが、今は毛虫が異常発生してバラの強敵と化している。毛虫はバラに限らず、柔らかい葉を持った植物ならなんでも貧欲に食すようで、フリシアクレマチスギボウシの葉にも大きく太ってついている。そのままにしていては食い尽くされる危険にさらされているので、朝夕の庭の見回りは欠かせない。
その度に、驚くほどの数を退治しなければならないほどだ。最も多いときで20匹を超える。それほどまで徹底して排除した翌日には、また姿を現すという異常事態だ。いったいどこから湧いて来るというのだろう。


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このところ雨が多い。植物には恵みの雨でもあるが、せっかく形良く伸びた花がしなだれたり、花弁の並びも崩れることが多く、庭の概観がやや乱れる様相を呈するようになる。それも、“俄か庭師”の贅沢な望みなのだろうが、それを差し引いても雨がもたらす細菌性の病気の方がもっと恐い。梅雨が近づけば自ずと「うどんこ病」や「黒星病」が猛威を振るうことになる。これが蔓延するのは致命的な打撃になるので、今や予防が第一の防戦なのだ。
なので、雨の続いた後は、日没後消毒をする。黄モッコウは、花が終わると決まって葉に白い斑点が出る。するとシュートの勢いも鈍り、病的な感じになっていく。今年も予想どうり、既にその状態になっているので、このタイミングでの消毒は欠かせない。


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やバラに関しては、我が庭は最盛期にかかっているので、花好きな近所の人が見に訪れることもある。すると、今や盛りの大輪の花を見て、一様に自分の家にもと思うらしく、早速苗を買うような話をしていく。
確かにこの時期、庭がこれほどにぎやかしく色鮮やかに溢れるのは、誰をもうれしいものだ。文字通り花盛りというのは、植物を育てる者冥利に尽きる時節だから、この愉しみを味わいたい気持ちは人情だろう。
だが、その裏で、咲かせるに足る手間や気苦労のようなものも当然味わう。興にかまけて勢い良く大苗をたくさん買い込むと、それと同時に、虫と病気の「種」までももれなくついて来ることは、少しぼかして伝える気遣いは忘れない。

a0282620_14311496.jpgなにはなくとも、美しいものを見るにはそれなりの代償が伴う。その法則を如実に示すのが、このバラのガーデニングだろう。自分でやってみてはじめて、この美しくも脆くはかない植物のデリケートさを理解するだろうから、はじめから意欲を殺ぐようなことは云わないようにしようと、できるだけ心がけているつもりだが、つい今までの出来事が頭をよぎる。
惨憺たる情景を見た経験は、次に勤勉さを生むものだ、と言い聞かせながら、また“俄か庭師”はまだ駆け出しの部類の経験値をさらに積み重ねて行こうと、密かに決意のようなものをするのだった・・・。


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そんな庭の情景をご覧いただきながら、懐かしいこんな曲をどうぞ。ブレッド って好きだったなあと、ついあの頃を思い出す庭師なのでありました。


オーブレー/ブレッド Aubrey/Bread

https://www.youtube.com/watch?v=IDa7FdpsA5w
by martin310 | 2014-05-26 14:28 | ガーデニング

緑一色に膨れ上がる庭に、薔薇の鮮やかな色が加わる。


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a0282620_20214286.jpg一面に緑が制覇していた我がガーデンにも、漸く彩りの主役たるつるバラたちが開花しだした。
平地ではあちこちの生垣や庭先でバラの姿を見るが、標高を少し上げた我が家のバラ族もやっと大きく膨れた蕾から花びらを開きはじめた。

今年は消毒のタイミングがうまくいったのか、いつもより害虫や病気の被害は少ない。(それでも、ゾウムシや毛虫は数が多かった)肥料の具合もいいのか、例年より大ぶりで花にボリューム感があるようだ。
この咲き始めの花の香りを嗅ぐのがなんとも楽しみで、庭へ出る度にバラの花に鼻をくっつけてバラのアロマに酔うのである。一説には、この香りは脳にとても良いというらしく、くんくん嗅いでは脳の活性化を促しているのだが、まだ効果はない。

a0282620_20222328.jpg現在開花中なのは、「ホワイト・クリスマス」「レオナルド・ダビンチ」、それに「つるティファニー」あたりだ。これからまだまだその他の品種が開花を待っているが、あまりに人の目につかずひっそりと咲いているのが不憫にも思う。
なにせ、家の前の道は人通りがあまりにもなく、通っても決まった散歩の人だけで、しかも、生垣のコニファーがあまりに巨大に生長し過ぎて、道路からは庭の中がまったく見えなくなってしまったからでもある。
バラ好きの近所の人がちょっと見学に来るだけで、我がガーデンのバラたちはあまりに日の目を見る機会がないので、せめてブログ上でもお披露目してあげたい心境なのである。

もっとも、ガーデンネタのブログ記事は多く、しかも季節柄バラの画像はどこにもあるので、もう食傷気味かもしれないがありふれた画像にご容赦を・・・。



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今年は以前の記事にも書いたように、西側の庭の土留め板がどうにも腐敗がひどく、全とっかえしたので多少花壇のスペースが広がり、植えてある植物の空きが出たので、そこを埋めるためにまた新しい苗を買い足した。
サルビアのネモローサ“スノーチップ”“スノーヒル”“ローゼンウェイン”などで、成長すれば丈は40~60センチにもなるようなので、またいっそう庭先がもくもくと膨らむように花々が咲き乱れることだろう。
a0282620_20245550.jpgどうも、色彩的にはブルーや紫系の花を選んでしまうようで、割と青っぽい庭になりそうだ。庭づくりにも色の好みは色濃く出てしまうようで、絵を描くのと同じ感覚で色彩構成をしてしまう。特に、ネット上の花の画像を頼りに選ぶので、やはりパレットの絵の具を選ぶように、好みの色以外はなかなか手が出ない。

花の色や形、全体の姿形にも自分の受け入れられるものと、そうでないものは明確にあって、好まないものが入ることを極力避ける嫌いがある。なので、ホームセンターの花売り場を見てまわってもなかなかこれはというものがないのが現状だ。なので、おのずとネットのおきまりの苗屋さんと相成る。但し、今年はもう植える場所はない、飽和状態だ。


a0282620_202669.jpg今、庭の外れのコナラの樹の下に、木製ベンチでも置きたいと思っている。そこから母屋方向の庭を眺めるのがことのほかいい景色で、たいていの写真のアングルもそこが多くなる。ただ、座るところがないので、いつも突っ立って眺めている。
ネットで調べたが気にいるものがない。サイズも小振りなのがいいので、やはり自分でDIYすることにした。ペパーミントグリーンに塗装なぞすれば、けっこう夢見心地でかわいいのではないかと構想を練っている。
庭はほかにない寛ぎの場なのだが、案外、じっと眺めている時間は短い。そこでベンチでもあれば、もう少し自分がのんびりするのではないかと思うのだが、今でも母屋の外壁に沿って置いてあるベンチはあるのだが、なかなか座らない。じっとしていず、すぐ手をつけて動き出すのが常だ。だから、新しいのを作ってもきっとガーデンオブジェになることだろう。


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by martin310 | 2014-05-18 20:35 | ガーデニング

夕日に庭が映えて、空に富士が浮かぶ。我がガーデンのたしなみ。


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ひとくちに“庭づくり”と云っても、人それぞれにその定義や意味は違うのであろうが、自分の場合はどうも、おこがましくも建物を含めた住環境の構築というか、植物と共につくる居心地のいい住空間の創造のように思っているところがある。

a0282620_14144080.jpg我が家の建築前の、山を削った荒地の姿を原型とすると、そこを如何に気持ちのいい、光と生気に満ちた場にするか、というのがいつしか家屋を取り巻く庭をつくりあげていく愉しみとなっていったのだと思うのだ。それは、今ある庭の姿から、一切の植物たちを抜きにした像を思い描いてみればわかるように、まったく潤いのない寒々しい殺風景なただの立地になるだろうことからも了解できる。
建物の棟数が増え、オブジェとしてのガーデングッズが建ち、そこへ様々な低木や花々が追加されると、季節毎、時期毎に植物がつくり出す新たな空間の意匠が形成されていく。色や形や香りや光や影が、それぞれの時間軸の中で魅力的なアングルを生み出していくのだ。


a0282620_14145330.jpgその日の終わりに、庭のいろいろな箇所にしばし佇んでみることをする。
鳥の餌台のあるコナラの樹の下から、夕日に染め上げられる我が家を見上げる。
ミニログのデッキに立ち、下の花壇やキッチンガーデンの様子を見下ろす。
“Tool Shed” の裏から芝生の先で風に揺れるフリシアの若葉を眺める。
白いバードハウスに並ぶバラの花壇で、花芽が膨らんだ蕾の開き具合を見つめる。
母屋の二階のデッキから、暮れかかる空に富士のシルエットが浮かぶ黄昏を望む、などなど・・・。


傾斜した土地と建物で入り組んだ様々な空間のひとつひとつが、豊富な視覚の愉しみを与えてくれる。アングルの変化はそのまま庭の様相の豊かさを与えてくれるし、面白味のある空間性をどれほど持っているかが、庭の味わいを高めるもとにもなる。空間の均質化を破るのは、この複雑系の空間創造が決め手になるはずだ。家は入れ物だけではなく、外に空間を形成する基点でもあり、庭はそれらを生かす活性剤でもあり、延長空間でもある。

命の力に満ちた豊かな空間に居ることができるのは、すなわち身体も意識もそれらの調和と解放のエネルギーに満たされるということだ。癒しや活力は自然にこの場の波動から生み出され、人のこころや意識、細胞の隅々まで光の粒子が行き渡る。
例えプライベートな狭隘な庭であっても、自分なりの光の場を創ることがそもそもの目的になっていたのかもしれない。地上に光を・・・・とは、きっと本来の希望としてあったもので、それは大仰なことでもなく、こんなひとつの日々の愉しみのなかにこそ、知らずと少しずつ果たされていくものかもしれない。


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by martin310 | 2014-05-12 14:16 | ガーデニング

ガーデンは今、プレオープンのとき。つるバラ族のステージの前に。


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我がガーデンは、今、つるバラ族の開花間近とあって、これからはじまる花々の美の饗宴を前に、鉢植えやプランターなどの小さな花たちが、密やかにプレオープンの前座を務めているという感じだ。そこで色や形で目を惹くものを集めてみた。

庭先やデッキのそこここに点在して咲いている彼女たちは、これから華やかな貴婦人や女王のような気品の高い薔薇族のステージを前に、脇役ぶりに自然に徹して清楚に可憐に自分らしい姿をあどけなく見せている。その奥ゆかしい感じが実に初々しく、いじらしくもあり、決して姿形や色彩のデザインにおいては引けをとらないことを、これらのショットからも感じられると思うのだ。

こんな花たちをあまりにアプリオリにあたりまえのように見ていてはならない。よく姿形を眺めれば、どれほど造形的に優れているかはわかると思うのだ。ピンポイントでクローズアップすれば、これほどピンで映るのに充分耐ええる美しさを持っていることがよくわかるはずだ。
彼女たちも、創造主のデザイン力が遺憾なく発揮された被造物である。こんな優れた創造の賜物は、勝手きままな偶然の産物では決してありえない。ひとつひとつ実に手の込んだ、精緻で絶妙なクリエイティブティが与えられてこそ、完成した植物であるはずだ。

生み出されたものは、生み出したものの意図や意志や思いがそのものに内在しているはずだ。そうやって芸術作品を普段見ているはずだが、こと、自然界にあるものはそういう見方を自然と忘れる。作者など想定していないからだ。
でも、この世に在るというのは、やはり在らせようとするものがあるから在るのであるから、きっと創り出した存在や思いや起源となる波動のもとはあったはずであろう。そういう観点から花々を見ればまた、その美しさや存在感が違うものに見えて来るはずだ。

つくりだすという視点から自然を眺めるならば、そこにどれほどの神がかった創造の奇跡があるかが感じられる。これらがまったく小さな種や苗のうちに、この植物全体の要素をすべて持っているというのだ。それが時期をみてここまでに育ち、完成を見せ、また次につなげていくシステムを持っている。
なにせ自分が生み出すとしたら、完成した姿としてだけでも、とてもここまでのものをつくり出すことはできない。デザインひとつとっても完璧な精度を持っている。それが命を持って生きているのだ。

まさに神技なのだ、花々は・・・。


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by martin310 | 2014-05-05 23:04 | ガーデニング

5月の庭に生命のときめきを見る・・・それは小さな桃源郷(?)。


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        ▲庭の最奥にあるバードハウスの前に、ホリホック用の木製花壇を設置して苗を植えた。


毎年5月の声を聞くと、決まって庭がいっせいにざわめくように緑の攻勢がかかって来る。土の色が露出した面積が急激に小さくなり、あっという間に若緑色のふくよかな膜に覆われ始めるのだ。この時期の庭の姿の変貌ぶりは、日をおいてというより、朝夕でも変化の具合が目に出来るほどだ。

蔓ものはいったいいつの間に伸びたのかと思われるほど、朝にはなかった蔓が手がかりを探すようにゆらゆらしている。
葉ものはその広がり具合で別の植物と見間違うほどになる。
隣地の草の生い茂り方を見ればいっそう、その成長のピッチの度合いは了解できる。ことに、雨後の晴天の日はことのほか爆発的な生長度を見せつける。水と太陽と大地の滋養が申し分なく命を拡幅させるのだ。
静かにそよ風に吹かれながらも、この野辺一帯の植物群の協奏は音にしたらかなりけたたましいに違いない。

a0282620_200535.jpgそんな庭先でぼそぼそと土いじりや木工作などをしていると、えもいわれぬような心地よい至福感に包まれる。手を休める度におもむろに庭のそこらを眺め見る。脳波はゆるくなびいていても、傍らの思考はガーデンデザインの新たなレイアウトなどをおぼろげに考えている。常に植物の生長の度合いに、植栽の構成要素が変化する。いったいどこが完成点なのだろうか、そんなことを思いつつ、まだ見ぬ先の庭風景を予想する間もなく、現状の様子からまだ土の中で待機している宿根草のありかなしかを詮索している。
どこに何が植わっていたか、おおかた忘れてしまっていて、勢いよく芽を伸ばして来た見慣れぬ葉の形に、なんとか思い出せないかと、他との葉や茎の形の違いを見比べながら記憶を辿ったりもしつつ、彼らの正確な季節感に叱咤されるような気になるのだ。
ガーデンデザインなどといいながらも、実は思いつきで買い求めて空いたスペースに次々に植えていっただけの、“いきあたりばったり植栽法”に過ぎず、なんとなくまとまればそれで良しとしている“てきとうガーデニング”がその実態なのだが・・・。


さて、この日は頼んでおいたホリホック(タチアオイ)の苗が届いていたので、さっそく庭のいちばん奥のバードハウス前に、ホリホック用の花壇を作った。土留め用の板材が余っていたので、それを使って簡単な枠を作って土を掘って設置した。
以前、同じ場所にホリホックを地植えしたことがあるが、山の草地のままの荒れた場所なので、見事に虫たちにやられ全滅した経験がある。なので、今回はしっかり箱の中に培養土をいっぱいにして育てようと思ったのだ。
順調に生育して丈が伸びれば、この背い高バードハウスのまわりを色鮮やかな大輪が風に揺れることだろう。


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▲庭の入口の黄モッコウがいっせいに開花しだした。右手にも対で植えてあるのだが、やや日当たりが劣るのか勢いが弱い。左側は優勢だ。


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“Tool Shed” が奥に鎮座する東側の通路。ここは日当たりが悪いので芝が剥げやすくコケが生えやすい場所。シェードガーデン用の花を中央に少し植えておもむきを変えることにした。


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▲ミモザは花が終わって相当剪定で枝を落とした。幹が弱い割りに茂りが多すぎ、重みでしだれ過ぎるからだ。葉色の青みがモダンな感じに映る。


a0282620_20017100.jpg5月のうららかな晴れた日は、庭にいるだけで自然と内側から静かに歓喜が湧き起こる。限られた休日の時間の観念のみが現実感に水をさすが、それを忘れさせるほどにただこの「今」に存在することの幸福感に満たされる。
時間を超える感覚とは、案外、こんな身近なところに体験の場を用意してあるのかもしれない。どこかで修練を積まねば味わえない稀有なものではないのではないか。
草や花や木や風や、鳥や虫や雲や光の“精”と共に在ることのありがたさを、我が庭は与えてくれるように感じるのだ。超越的世界はこんな身近なところにもある・・・庭は奇しくもプライベートな桃源郷だ。
意識に意識が結びつき、つながり合う世界・・・、たとえ小さなものでしかなくも、そうやってこの世はあるべきだろう。
by martin310 | 2014-05-02 20:04 | ガーデニング

<庭が輝く>・・・我がガーデン観、人と植物と物との協働創造の庭づくり。


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今の季節、休日となれば雨が落ちていない以上、ほぼ一日中庭づくりに精を出しているが、もともとこんなことをしたいなどとは思っていた訳ではなかった。
現在の家を建築中は、まったく庭をどうするかなどというプランは持ってなく、元々が雑木林に草が鬱蒼と茂っていた土地なので、放っておいても草は茂って来るはずなので、それを自然のままに楽しめばいいと、草にも花を咲かすものもあり、それに加えて花の種をランダムに蒔いて勝手に草と一緒に這えているのもいいかなと、その程度の庭らしくもない野趣たっぷりの周りを想像していたものだ。
それが実際、建て終わり住み始めるようになって、さて、殺風景な玄関前のデッキにでも、ウッドプランターや素焼きの鉢にでも花を植えて飾ろうかという気になり、ただ床に置いておくだけではと、フラワースタンドやハンギングなどと変化もつけ、今度は基礎のコンクリートが露出している景観も気になり、そこへ隠すように木製の花壇を作ろうとか、木製パーゴラを通路に建てようとか、道路側には白いフェンスをなどと、あれよあれよと家を取り巻く周りにガーデニング的要素を次々と追加し出して、その過程で次なるプランが生まれ、参考にする資料やモデルやアイデアを漁り、徐々に独自のホームグランドを作りはじめたという訳である。
ただ、様々な雑誌や書籍、ネット上にある目を惹く優れたガーデンを見ても、大概が平らな場で、広さにも余裕のあるものが多いのだが、我が家の坂道の道路に隣接した不規則な傾斜地を庭とするような条件に見合うようなモデルはなかなか見つからないのがほとんどなのだ。なので、写真を見ながらこんな風にしたいと思ってみても、実際、平らな場所が家の裏側の狭い通路にしかない、後はすべて坂になった我がガーデンには不向きなもので、現状の景観から独自に考え出さなければものにならないのが実情なのだ。とはいえ、その場、その場で行き当たりばったりに考え、なりゆき任せでやっているに過ぎないのだが・・・。

そのうちに花だけでなく、小振りな樹木も植え、果樹や小さなキッチンガーデンも追加し、建物もログの物置小屋をかわきりに、離れのミニログハウスや最近の自作のガーデンハウス(Tool Shed)も加わり、敷地の中はかなりの空間性のバリエーションは豊富になった観がある。それによって敷地内の各所で庭の見え方も変化し、それぞれの場でのビューポイントに、さらにバードハウスや木製トレリスなどのガーデンオブジェをこれまた自作して設置することで、さらに庭各所の景観に変化をつけた。自分でもそれぞれの場に、お気に入りの撮影ポイントが出来、季節のつれづれにカメラを向けるようになっている。

a0282620_23102779.jpgもとは、こんななーんにもないただの荒地のようなところに、徐々に手を入れものを増やし、今や庭にいて、そこここに被写体になる場が出来るようになったのだ。考えてみれば、この殺風景そのものの世界から、今のすべてにまでしたのは自分の手からであるというのを思うと、それ相当の時間と手間の累積であるとはいっても、人間の手というのは実に地道ではあるが世界をがらりと変えることが出来るものだなあと、ある感慨を持つものだ。それも、自然の植物たちとの常に変化するコラボレーションのなせる技だとも思うが、住みやすく、暮らしやすく、自分が心地いい世界を創造していくのも、常に自然と共にであることをあらためて思うのだ。
庭が輝くとは、生命の輝き、人と植物と物との混交であり、協働創造であると、これらのお気に入りのアングルを被写体にしながら、しみじみと思うのである。


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by martin310 | 2014-04-17 23:12 | ガーデニング

新緑が芽吹き春たけなわ、庭仕事もそよ風に乗って・・・。ガーデニング&D.I.Y


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さて、いよいよ新緑が芽吹き出し、春もたけなわになり出したが、我がガーデニング作業は先週のひな壇型花壇の土留めの一段目補修に続き、今週は二段目を終えた。
a0282620_23481335.jpg二段目はさらに水糸との精度を増し、横も当然ながら、高さもきれいな一直線をつくれるよう奮闘努力した。ご覧のようにけっこうしっかり一段目との平行にまっすぐに出来たようだ。ただ、杭の打ち方がいまいちだったのが悔やまれる。目検討で垂直に打っていたつもりだが、意外にやや傾いているもので、斜面での作業は余計に垂直感覚を見誤る傾向がある。やはり、手抜きせずに水平器をそのつど杭の縦に当てて確認しながら打つ必要がある。終わりの頃はそれをやったので、しっかり垂直に打てたようだ。
花壇の奥行きは以前のものの最も広くなっていたサイズ(平行が歪んでいたので)を取ったので、当然、奥行きが広まった箇所は土を隙間に入れ込まなければならない。培養土を何袋も買い込んで、せっせと埋めていった。土の高さレベルも土留め板の上方に合わせていったので、平面にもかなり土を補給した。有機肥料も施しふかふかの土壌で、宿根草たちもきっとのびのび育ってくれるだろう。今はまだこんなに閑散としているが、今に丈高く鬱蒼と群れになって風に揺れるようになるのだ。


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さらに、花壇の上の白いガーデンフェンスをすべて新品に交換して設置した。これは今回もカインズホームのオリジナルの900mm幅のものを使った。8メートルあるので、計9枚をつなぎ合わせるのだ。ただ、これを既製品のまま使うには不便なところがあるので、少し工夫して工作して使った。
それは、ただつなぎ合わせるだけではぎくしゃく接続箇所で歪むし、地面に杭状の尖った先を埋めて固定するのは無理があるのだ。高さも歪むので、全体にふにゃふにゃして実に頼りない姿になる。強度もないので、やがて倒れたりもする。
a0282620_23483854.jpgそこで、考えたのは幅の狭い板で裏打ちすることと、本体とは別に角材の杭を打ち、それに固定することにした。ちょうど1800×45×12mmの杉荒材というのが売っていたので、これを補強材にした。(なんと本体に使われている材料とまったく同じサイズだったのは当たりだった)ついでに、地面に接するところにももう一本取り付け、それを化粧砂利と土の花壇の境界にしようと思った。合計、2枚の補強板がつくので、かなり直線的強度は上がるはずだ。
それに、ホワイトの水性塗料で3度塗りして仕上げる。もともとの塗装は1年位でひび割れして剥げて来るので、これを厚めの皮膜で覆って耐性を高めるのだ。これなら2年は持つかもと目論んでいる。


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木工の加工自体は大して手間もかからず出来るのだが、さてこの9メートルに及ぶフェンスの表裏、側面を3度塗りするというのは、実に根気のいる時間のかかる仕事だった。やってもやっても終わらず、投げ出したい気にもなったが、明るい春の日向でもくもくと刷毛の手を動かしていると、さっきまで遠くで啼いていた鶯が、もうすぐ近くまで来て大きな声で啼き出すのだ。もう目と鼻の先の枝を渡りながらパタパタと羽の音をきかせ、いい声で啼く。
a0282620_23474412.jpg鶯などという野鳥は、ことのほか警戒心が強い鳥で、そう姿も身近には目に出来ないはずだが、2メートルもの至近距離に来て頭の先でホーホケキョとやるのだから不思議だった。もっとも、以前から意外に野鳥が恐れず近づいて来る傾向が自分にはあったのだが、夢中で根気をつめて仕事する自分には、いささか耳元のホケキョは「もうちょっと向こうで啼いてくれる」と思うほどだった。が、これも応援のひとつと考え、最後までやり通した。谷間に野鳥の声がこだまするのを聞きながら、無心に作業に没頭するのはまったくありがたい至福の時だ。
塗り終わってこれも杭で固定して、見事に美しいまっすぐなラインを描くことが出来た。
造作物のプロとアマを分けるのは、やはり直線や垂直、水平、平行などの精度にあると思う。今回はこれをことのほか意識して、出来うる限りぴんと張り詰めたまっすぐなラインを作ることに専心したので、仕上がりは気持ちのいいものになったようだ。


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a0282620_2347536.jpgそのほか、庭木の剪定や木の支えを設置したりもした。白樺とアルプスサクラとミモザには、“二脚鳥居支柱”という鳥居型の補強の仕方をやってみた。まるで造園屋さんになったように真似てみた。まあ、一応これで強風でも揺らがないで育ってくれるだろう。
日に日に植物は目を見張るほど伸長している。宿根草はあっという間に株から目をにょきにょき出して伸びて来る。クレマチスもツルを伸ばし、誘引が必要だ。バラも一気に葉数を増やし、早いものはもう花芽を持っている。芝にも肥料をやり、目土を撒き成長を促す。キッチンガーデンの野菜たちも芽をもたげている。緑の勢いは益々日を追って盛んになっていく。

それにしても、庭仕事というのはあれもこれもと次々にあるもので、気がつくと一日午前午後で7~8時間も動いているのだ。それを今回は3日も続けた。それが凄いのは、一日1.2食の少食を実行して早1ヶ月を過ぎ、身体もそれなりに慣れてきたのか、今まで疲労やら筋肉痛やらでとてもしんどかった庭作業が、驚くほどの回復力で毎日連続して出来るのだから凄いものだ。くたくたにくたびれていても、2時間ほどすると何でもなくなって次のことをはじめる。気力も充実しているので、次の段取りをしてやる気満々なのだ。睡眠も以前よりいらないようで、休みでもゆっくり寝ていない、早々と起きてしまうほどだ。
a0282620_2348527.jpgやはり、少食や断食の効果は1ヶ月もすると目立って自覚できるようになる。だから、早々に諦めてしまうのは何もならないということだ。これからまだ先、より効果は出て来ることになるだろうし、4ヶ月経ったときが本領発揮のようだ。

今年のガーデニング及び、DIY はまだまだこれからだ。
バラの葉をよく見ると、既にチュウレンジバチの子供に少し喰われていた。早くもバラを襲う虫たちの攻撃ははじまっているのだ。これからアブラムシやバラゾウムシ、チュウレンジバチやバラクキバチなどのにっくき虫たちと、うどん粉病や黒点病などの病害との壮絶な闘いがはじまる。美しく優雅なバラには、まわりに外敵ばかりがひしめき合って狙っている。か弱くはかない姫君たちの絶世の美を守るのは庭師の役だ。その結果が5月のバラの盛りに顕れる。春の闘争はこれからが本番だ。


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by martin310 | 2014-04-12 23:53 | ガーデニング