伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
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冬の湖水を歩いて。(澄み切った大気のなかで見えて来るこの世のマトリックス)


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a0282620_1527233.jpg本栖湖の湖岸を一周した。
ウォーキングを兼ねてのつもりが、周囲12kmもあるのを考えていなかった。
夕暮れまでには車に戻れたが、ややもすると危ういところだった。

本栖湖は、富士五湖のうち最西端に位置する湖で、奥まったところにあるだけに人の手からはひそやかに守られている、なかでも神秘性を保った湖水だ。
最大深度が138mもあり、標高は西湖、精進湖と同じ900mで、この三湖は地下でつながっているらしく、水位が連動するらしい。

冬の冷え々した大気のなかを歩くのは、とても身が引き締まる思いがして心地いい。周遊道路の半分は凍結によって車両は完全閉鎖されているので、人以外に入って来るものはない。わずかに岸辺に立つ釣人の影が見えるほどに、湖水のまわりは静寂に包まれていた。山蔭の路面は、分厚い氷の層がまるで硝子を溶かして覆ったように輝いていた。

思いつくとき行って見たいと思う場所で度々訪れるのだが、このときはいつになく水の透明度が限りなく高かった。浅い場所では湖底の小石がきらきら陽に輝いて見えた。深みの色は、陽光が当たるとことはエメラルドグリーンに、翳るところでは濃紺に、色彩の純度は高かった。透明度は16mを誇るというようだが、数値以上に水の生きているのがはっきり感じられ、湖水の波動の高さが今年の光の降下を明らかに物語っていた。


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このような自然の姿に直に触れる美しい場所にいると、不思議なことにその対極の人に制覇された人工の都市世界のことを考えるものだ。いつもはそこに関わらざるをえない自分が、幾分そのエリアから遠くに避所を得ているからもあるが、離れてこそ遠くに客観的に顕れて来るものなのかもしれない。
人工都市世界というより、個人に複雑にまとわりついたこの世のあらゆる呪縛、それは社会システムでもあるし、社会規範でもあるし、つくられたコモンセンスでもあるかもしれないが、それ以上に現実世界を超えてからめとられている精神の牢獄、つまりそれらの総体、総称であるいわゆる“マトリックス”を意識することになる。
我々は“ゴイム”の語の如く、見えない巨大な力に飼育され、閉じられた惑星ドームの中で使役されているに過ぎないのではないか?見える世界、見えない世界を跨いで、これらを見通す何者かによって、巧妙に操作され、騙され、脅され、恐怖で操られ、幻想の自由を餌に搾取され、偽の法を行使され、使用価値の尽きたときは廃棄されるという、獰猛野蛮なプロセスに閉じ込めれているだけではないのか。それにさえも気づけないように巧みに教育されて、疑念も持てないように洗脳を施されているのではないのか。

そんな遠い昔からどこかに抱いていた考えが、この清らかに冷ややかに澄みわたたった冬の湖の傍らで、意識の霧が解けるように実感を伴って露になって来るのだ。


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映画『マトリックス』(The Matrix)の“モーフィアス”と“ネオ”との対話シーンをいつも思い出す。この作品の白眉はこの言葉に尽きる。ウォシャウスキー兄弟のメタファーは、はからずも99年時点でその後の展開を待たずに既に世界の実相を暗示していたのだ。911以降の雪崩を打った虚構の崩壊が始まっているのは既に周知のとおりだろうし、それをもって覚醒と謳う風潮にも辟易もしているが、情報による目覚めを足場に、立ち遅れている意識の内部世界のディスクロジャーを急ぐこともまた、現実世界の解放と共に天のはからいの動きが加速するところであろう。


Blue Pill or Red Pill - The Matrix (2/9) Movie CLIP (1999) HD



モーフィアス:
「何を知っているのか説明できないが、感じはあるだろう。
世の中、何かが間違っていると生まれてこの方ずっと感じてきた。
それが何だかわからないが目の前に存在する。
心の中の棘のように、君を狂わせる。
この気持ちが君を私のもとに運んだのだ。
私の言っていることがわかるかね?」

ネオ:「マトリックスか?」

モーフィアス:「それがなんだか知りたいかね?」

モーフィアス:
「マトリックスはあらゆるところにある。われわれを取り囲んでいる。
今この部屋にもある。窓から外を見てもテレビをつけても見ることができる。
仕事に行くとき、教会に行くとき、税金を払うとき、感じることが出来る。
真実を隠すため目の前を覆っている世界だ。」

ネオ:「何の真実?」

モーフィアス:
「君が奴隷だって言うことさ、ネオ。
他のみんなと同じように君は生まれながらに囚われの身だ。
匂うことも味わうことも触れることもできない牢獄に生まれついた。
精神の牢獄だ。」

モーフィアス:
「残念ながらマトリックスが何なのか誰も教えてくれない。
自分で確かめるしかない。」

         ・ ・・中略・・・

モーフィアス:
「マトリックスは一つのシステムなのだよ、ネオ。
そのシステムこそが私たちの敵だ。
だが、君がその中にいるとき、あたりを見回すと何が見える?
見えるのはビジネスマン、教師、弁護士、大工・・・
そういう人々の精神こそ私たちが救おうとしているものなのだ。

だがそれができるまでは、この人々は依然としてシステムの一部であり、彼らが私たちの敵であるということなのだ。
ほとんどの人々はまだプラグを抜く準備ができていない、ということを君は理解しておかなければならない。

彼らの多くはそれに慣れてしまっていて、仕方なくシステムに依存している。
だからそのシステムを守るために戦うことになる。」 


by martin310 | 2014-01-30 11:28 | スピリチュアル

光の時代の到来は、闇の時代の検証からはじまる。


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a0282620_1527233.jpg2013年12月2日の記事「見えない意識の世界を牛耳るのが、見えない闇勢力の手法。そのサテライトの存在について。」や、2014年1月13日の記事「残月と朝焼け(変遷する時代の元で)」でふれたように、地上に張り巡らされた非物資次元の闇のサテライト基地は、もはや機能不全化されたか、完全に無力化されたと言っていいところまでになっているようだ。逆にそうでなければ、先日来記している光の降下による自然界の変貌はありえないことでもあるからだ。

さて、それらサテライト基地について、ここでもう少し記しておこうと思う。それも、ここまでの時空になったからこそ開示できるのであって、それ以前ではとても不可能なことと思えた。ここからは、闇の支配に瀕してこの世界が閉鎖系のなかにあった時代を、ひとつひとつの事項について検証し、その成り立ちの概要を識り、まるで秘史をひもとくように過去を明るみに出していく必要があると思える。それがきっと解放の時代に向け、意識をさらに高めていく一助につながるのではないか。そのような動きこそがまた、さらに闇の収束を完全にすることになるはずである。

以下にある額入り写真をどう思うであろうか。
これはまさに時代の転換点にある今であるからこそ、過去の時代を象徴するような記念碑的なものだと実感している。こんな風に、古めかしくセピア色の写真にして額縁に入れられる時が来るとは、どれほど待ち望んでいたことだろう。これこそ、未だその途上であれども、ひとつには涙ぐましい勝利の讃歌である。

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これは列島中に配されていた中級以上のクラスのサテライト基地である。中には最大級のものも含んでいるが、数ある中の強烈に実態としてかかわった場であるものを選んだ。ほぼすべて古来から信仰の対象にされている岩山や、それに付属するものである。
山自体が御神体というのは、なんという闇のトリックであろうか。人々は一切の疑いを持たず、敬虔に信仰のもとになる神である山をことあるごとに拝するのである。社を建て、仕える者を配し、信仰形態を生んでいく。やがて修行者が山籠りし、山岳宗教が形成されていく。霊山が確立すると、その場は禁足地が設けられ、中心核になる場は完全に秘される。
これで闇サイドのセンター基地は、古代から守秘され、侵すべからざるものになり、存在は確定的に安泰なもになる。

列島各地にまるで携帯電波塔のように細分化され配置されている小規模サテライトのように、マイナス波動の発生拡散と、一定周波数の時空の維持とを目的とするものとは別に、中級クラス以上の基地局はその目的範囲がさらに上段になり、各々別々の機能を持ち、大規模なエリアを保持していた。
あるものは、大都市部への飛来への重要ポイントで、主に組織の上位にいる影響力の大きいと思われる人間の意識内部への潜入を目的とするもの、あるものは、かつては信仰、現在は観光資源として人の流入の多いことをターゲットに、参拝者・拝観者の意識内部に潜入し拡散することを目的としたもの、さらにあるものは、女性の性(さが)、性意識をコントロールし、男女の欲望と情念の相克劇の渦中へ落とし留めておくのを目的にしたものや、さらには、列島内の集合意識の低減、つまり覚醒状態に高まることないように周波数の低域調整をするもの、そして、最大規模のものはそれらを含め他にもある全基地局の総合コントロールセンターが存在していた。もちろんこの中央管理局の上位には、地球圏外に存在する司令局があるという具合で、まるで軍管理の地上ネットワークのように、見えない非物質レベルのサテライト網が配備されていたのだ。

手を合わせ崇めるものが、実は闇の巣窟だったとは、開いた口が塞がらないのも当然だが、えてして現実世界での闇の実行犯にしても、911のように存在しないテロリストに恐怖し、その為に新たな戦乱を起こさせるという手口によく似ているように、それらはつまりは同根なのでそうなる訳である。

いずれにせよ、これらが博物館入りしたことは実に画期的なことで、今後はこの例に留まらず、あらゆる分野で25000年にわたる闇の支配の実態が次々と暴かれていくことになるであろう。ことにこの日本のおおもとの歴史が記紀神話の陰に隠され、6世紀以前の詳細は霧に包まれている、故国のそもそもの成り立ちの史実でさえ、知らされていない我々はいったいどこに真のアイデンティティを持つべきなのであろうか。
この転換点はその意味でも、人類史全体の書き換えの命を帯びている時代の到来を意味するのであろう。

※ここに集めた闇の基地局は、最大規模のものを除いてほぼ2000年代前期までには光的な破壊が完了していた。後期は、既に意識内部の侵入しているものとの対峙の期間だった。その為に、過去10年前後のあいだに、各自の過去生から持ち越しているカルマが吹き出し、人との関係性(肉親を含めた関わらざるをえない対人関係)のなかで、いくつもの過酷なドラマが生成されたはずである。思い当たる節が多いのではないだろうか。それらが一段落し、平穏を迎え、また次なるステージへという間際が今このときに位置しているのではないだろうか。この流れが、全体および個的な範囲でも、光の時代への移行ルートなのだろう。


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by martin310 | 2014-01-28 14:32 | スピリチュアル

「ロセッティな樹」 ~“ベアタ・ベアトリクス”のメタモルフォーゼ~


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この写真は、伊豆・修善寺の修禅寺奥の院付近の間道で撮った樹で、あたりの風景の中でこの場だけが異彩を放っていたのでカメラを向けたものだ。すでに何度も記しているように、この日も以前の風景とは違い、目にする森や山や空が妙に物語的と云おうか、文学的と云おうか、まるで古い小説や古典画の世界を彷彿とする感じで輝いていた。
それはひとえに光の降下による時空の変化によってもたらされたものであるのは、もうすでに書いたことで、この日も目をやる至るところで、冬ざれた色彩のトーンの落ちた風景でありながら、実に魅力的な姿を見せていた。

なかでもこの樹は、あたりの光景とは異にして、どこか中世の騎士道の世界のようなロマンティックな物語性に溢れて立っていた。まるで「アーサー王」の世界に登場するような樹だと思いながら、ファインダー越しには、あるイギリスの絵画作品とまるで同じ雰囲気を持っていると感じながらシャッターを切っていた。
作者も流派の名も思い浮かばず、ただ、イメージだけは記憶の底にあった。その以前見たイメージ記憶というものは、作品の具体的な詳細は思い出せねども、構図や色調や雰囲気などはしっかり記憶に残しているものだと思った。

帰って調べてみると、それは「ラファエル前派」の画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti, 1828年5月12日-1882年4月10日)の「ベアタ・ベアトリクス」という作品だった。対象は樹でありながらも、ベアトリクスの女性像の傾きや構図の流れが重なって見えていたのだ。しかも、天から柔らかく落ちている微妙な光が実によく似ていた。絵ヅラこそ違えど、これはまさにベアトリクスのメタモルフォーゼだと思った。

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         ベアタ・ベアトリクス 1863年頃 テート・ギャラリー(ロンドン)蔵


Wikipediaで「ロセッティ」を調べてみると、この「ベアタ・ベアトリクス」という作品は、かなりいわくつきの彼の人生を垣間見るような意味が込められていることがわかった。作品中に見える様々な対象物には、すべてに象徴が用いられているのだ。その説明は、ここに詳しくまとめられている。
そして、この描かれた女性はロセッティの妻エリザベス・シダル(リジー)であり、彼は亡き妻の死の悲しみを、ダンテの『新生』でダンテが愛するベアトリーチェの死と対応させて描いたのだ。
ロセッティの妻、エリザベスの死には以下の悲劇があったのを知った。

ロセッティの生涯はエリザベス・シダルとジェーン・バーデンという2人の女性と関連づけて述べられることが多い。この2人の女性とロセッティとの関係は複雑であるが、ロセッティの芸術を語る上で避けて通れない事項でもあり、以下に概略を述べることとする。

エリザベス・シダルは長い婚約期間の後、ロセッティの妻となった女性で、ロセッティの代表作の一つである『ベアタ・ベアトリクス』の、またミレーの代表作『オフィーリア』やハントのモデルも務めた女性である。

一方のジェーン・バーデンは、19世紀イギリスの装飾芸術家・デザイナーとして著名なウィリアム・モリス(1834年-1896年)の妻となった女性であり、『プロセルピナ』をはじめとするロセッティの多くの絵でモデルを務めている。また、101篇からなるソネット集『生命の家 The House of Life』(1871年)にも謳われている。ジェーンはロセッティが終生追い求めた理想の女性であったとされ、男を破滅に追いやる「ファム・ファタル」(femme fatal=運命の女)の一例とされている。

a0282620_20213040.jpgロセッティがジェーン・バーデンに出会ったのは1857年、ウィリアム・モリスらの仲間とともに、アーサー王伝説に登場する王妃グィネヴィアの壁画を制作中の時であった。当初、壁画はエリザベス・シダルをモデルに制作されていたが制作に難航し、気分転換にと出向いたロンドンの下町の劇場で、ロセッティらはやはり観劇に訪れていたジェーンを見出した。当時、ロセッティはエリザベスと婚約していたが、ロセッティとジェーンは互いに惹かれるものがあったようで、以後、ロセッティの作品にはしばしばジェーンがモデルとして登場するようになる。繊細で病気がちな女性だったと言われているエリザベスにとって、ジェーンの存在は激しい心痛の種となった。結局、ジェーンはロセッティの弟子にあたるウィリアム・モリスと結婚し、ロセッティは婚約者のエリザベスと予定どおり結婚した。しかし、これら2組のカップルの結婚生活はともに幸福なものではなく、ロセッティの、人妻になったジェーンに対する思慕は止むことはなかったと言われる。冷え切った夫婦関係や女児の死産に心を痛めたエリザベスは、薬(阿片チンキ、クロラ-ルという鎮痛麻酔剤の一種)に溺れるようになり、結婚2年目のある日、大量の薬を服用して自殺同然の死を遂げた。彼女の死を悼んだロセッティによって描かれたのが、前出の『ベアタ・ベタトリクス』である。ロセッティはその後も絵画制作を続け、世間的な成功は得たものの、人妻への思慕と自分の妻への罪悪感にさいなまれて次第に心身を病み、1872年には自殺を図ったこともあった。晩年は酒と薬に溺れる生活で、不眠症のため真夜中にロウソクの灯りで絵を描いていたという。
ロセッティは1882年、ケント州バーチントン(現在のバーチントン・オン・シー)で失意のうちにブライト病により54歳の生涯を終え、同地に埋葬された。(Wikipediaより抜粋)

さらに、ジェーンについての詳細にこうあるように、ロセッティとモリスのミューズになる如く、生涯類い稀なる魅力を持った女性であったようだ。そこが「ファム・ファタル」と呼ばれる所以のようだ。


なぜにこの日、ここに「ロセッティな樹」があらわれたのかは未だわからないが、これをきっかけにロセッティからジェーンの生涯にまでに辿り着いたことは、とても興味深いことだった。


さらに、同じようにレンズを向ける気を起こす風景というものの中に、以前、どこかで見た絵画作品のイメージの下地記憶がある例を示しておこう。
こちらはフィンセント・ファン・ゴッホの作品のイメージ記憶をもとに画像に収めているようだ。
このあと、同様にゴッホの生涯を改めて調べてみて、十代の頃に知った驚き以上に、歳を重ねてさらにリアルに現実味を帯びて、彼の生涯と作品について感慨を新たにしたことも付け加えておこう。(また新たにゴッホ研究の虫が蠢き始めたようだ)

こうして、汚れを拭われ甦った風景を見つめることで、また新たな識ることへの興味が湧いて来るというのも、天からの光がもたらした新鮮な、時代の贈物なのかもしれない。


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             ゴッホ「果樹園」(1888)



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          ゴッホ「オリーブ畑」(1889)
by martin310 | 2014-01-24 20:27 | アート

天からの光の降下は、すでに自然界を一新した。~山を見よ、森を見よ、空を見よ。~

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a0282620_1527233.jpg今年に入ってずっと書き続けているが、天からの光の降下によって自然の場は、明らかに一変している。それは、自分の行ける範囲の各地で目撃し、画像にも収め、同行する第三者の目にも明確になり、もはや主観の範囲を超え出て確実のものになっている。
どれだけの人がこの異変に気づいているかは知るよしもないが、視覚を超えた霊眼で光を見たことのある意識レベルの人であるなら、もうすでに既知のことであるかもしれない。
断っておくが、ここで言う“光”とは、太陽光の明るさという視覚的なものを指しているのではなく、異次元の霊光とでも言おうか、つまり天上界から指す高次元の波動のことである。それを意味するわかりやすい言葉がないので、便宜上、“ひかり”と表現しているのだ。
この“光”は、おそらく魂の記憶として意識の深層に残している人もいると思うが、今までの時空では、この“光”を見ることはとても稀なことであったはずだ。それは、天がその者に見せるべき必然の時以外、見ることはないからだ。見てもごく限られた短い時間で、範囲も機会もごく限定的である。その者の意識の進化に必要とする絶妙のタイミングのときにしか、経験させることはしないだろう。

だが、現在の大きく以前よりシフトした時空では、この“光”を見ようとすれば、どこにでも見ることが出来るほど、地球全域に降り注いでいるのだから驚くべきことだ。特に、標高の高い場所など、人的な低次な波動に撹乱されない場なら最適だ。つまり、人的に破壊されていない平穏な自然界のエリアにこそ、濃厚にこの影響が見られるということで、煩雑な人口の多い密集地では、人の粗雑な意識波動、特に三次元的なエネルギーの充満している領域では、感じようとも既に意識がそのレベルにないので困難となる。それに、見るべき自然がないのだから無理もない。ただ、そこにも隈なく“光”は降りているはずだ。

トップの山は、中伊豆の“昭和の森”あたりで撮ったもので、車を降りて仰ぎ見てただものではないと、すぐさまレンズを向けたものだ。感覚的に、常に“光”を感じないものにはカメラを手にすることさえないのだが、これは緊急を要した感があった。雲が今しかないと思ったからだ。

次の山は、天城峠付近の以前から波動の高い場所で、三方を山で囲まれた別天地のようなところだ。ここは峠越えの車が猛スピードで往来しているので、路上を歩くのにも危険を感ずる場だが、どうしても撮らねばということで、決死の思いでいいアングルの場所まで細い路側帯を歩いて行った。

三点目は、河津あたりの小高い山だ。ここでは完全に、山が物語りを持ったと感じたものだ。通常はこんなところでは目もくれないのだが、フロントガラスから見て衝撃的だった。もう既に、この地上に“高天原(たかまがはら)”が降りている、と大袈裟にも思った。点在する雲が、絶妙に語っている。

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さて、喫緊のことなので、取り急ぎ記したが、こんな世界になるとはまったく思いもよらなかったのが実感だ。これほどの高エネルギーが地上に降ろされているということは、実にえもいわれぬ素晴しさだが、喜んでいるのも束の間、このことは逆に、この波動域には地上にいる全人類が遭遇しているし、また、この中で今後毎日、肉体も脳も意識も包まれて生きていく訳になることは当たり前のことなのだが、さあ果たして、当然、こんな高次元のエネルギー領域に適合出来る魂の数は、実際的にはそう多くは存在しないだろうと思える。少なくとも、過去の長い年月にわたり、それ相当の試練を越えて、意識レベルをはからずもこの波動域に適うように準備出来ていなければ、とても理解しがたい時を迎えるようになるだろうからだ。
今後、この影響は世界レベルで大きなものになっていくだろう。ただ、その原因がこのことにあるとは、まさしく気づける人のみの理解に限られることになる。
混沌としたカオスの渦の中に、どうしても巻き込まれざるを得ない人の数は相当なものだけに、世情に自明のことになるまではかなりの時間を要することになるはずだ。
by martin310 | 2014-01-23 22:24 | スピリチュアル

高島野十郎という生き方 ~そして、風景の奥に見ていたもの~


a0282620_20194615.jpg高島野十郎は、“kaze no ko”さんのHP「甘口辛口」の記事ではじめて知った。
「孤高の画家」というタイトルがまず目を惹いた。最近、この「孤高」なる言葉に弱い。一種の天の上の憧憬のようなものを感じているからかもしれない。そうありたいと敬いながら、生き方に学びたいという思いがあるのは確かだ。
野十郎氏の詳細は、“kaze no ko”さんの以下の記事をはじめに、Wikipediaや、その他、ネット上で調べて知った。さらに詳しく生涯を知りたいと、川崎浹著『過激な隠遁 高島野十郎評伝』も取り寄せて読んだ。

●“kaze no ko”さんの論考集「甘口辛口」
 http://tao.matrix.jp/kaze/

・孤高の画家(その1) http://tao.matrix.jp/kaze/b/314.html
・孤高の画家(その2) http://tao.matrix.jp/kaze/b/315.html
・孤高の画家(その3) http://tao.matrix.jp/kaze/b/316.html
・孤高の画家(その4) http://tao.matrix.jp/kaze/b/317.html
・高島野十郎の「蝋燭」 http://tao.matrix.jp/kaze/b/496.html
・高島野十郎の「月」  http://tao.matrix.jp/kaze/b/497.html


野十郎氏の回顧展の案内文に、簡潔に氏を紹介した文があったので転載させてもらった。

◆高島野十郎
a0282620_2020074.jpg明治23(1890)年、福岡県久留米市の酒造家に生まれた髙島野十郎(たかしまやじゅうろう)は、東京帝国大学農科大学水産学科に学び、首席で卒業しました。しかし周囲の期待と嘱望された学究生活を投げ捨て、念願であった画家への道を選びます。以来、約4年間の滞欧生活をはさんで東京、久留米に居を構えながら主に個展を作品発表の場として画業を続けました。70歳を超えた1961年(昭和36年)からは都内・青山を離れ、千葉県柏市の田園のなかに質素なアトリエを建て、晴耕雨描とも言える生活を貫きました。世俗的な成功や名誉とはほど遠い位置で制作を続け1975年(昭和50年)、千葉県野田市の老人ホームで85歳の人生を閉じます。
髙島野十郎は果実や花を題材にした卓上静物をはじめ、信州や武蔵野、そして故郷の筑後地方や房総の風景を、いずれも写実的に、しかもきわめて微細かつ克明に描き出しました。特筆すべきは、彼の絵の写実性は対象の単なる再現性を超え、ときには対象の生命や息吹にまで至って、独自な輝きを発露させていることです。
髙島野十郎が静物画や風景画とともに描き続けてきたのが、火のともった蝋燭や月だけを描いた作品群です。これらの不思議な作品には、見る人の眼をそらさない強い求心力を感じさせるとともに、どこか宗教的感情を呼び起こしさえします。そこには、彼が若い頃から関心を寄せていた仏教への深い含蓄が含まれていると言われています。
「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」と、彼はある手紙に書いています。この真摯さは、なによりも「描くこと」への彼自身の執着のかたちであり、それはまた「描くこと」のひとつの根源のかたちを、いまもわたしたちに教えてくれています。
彼の遺した作品は没後、ようやく広く知られるようになり、その透明感をたたえた深い精神性と卓越した技量で、今日多くの人々を魅了し続けています。


まあ、実感として、このような「過激な隠遁」を生涯を通じ実践し、そのなかから深い精神性を湛えた珠玉の作品を残した氏の生き様を知り、先んじて道を歩んだ傑人がいたことで、どこか安堵の気持ちが湧いたのも確かなことだ。まったく及ばずながらも、どこか似たような性向を感じ、精神傾向の同族性をどこかにまとわりつけている者の自覚として、この野十郎氏の存在は大きい。

氏の作品と生涯についての論説は、既に数多く書かれているのでそちらに譲り、ここでは氏の見ていた世界、見えている以上の見えない世界について、以下の作品をモデルに記しておきたい。

高島野十郎の作品といえば、大抵がその代表作、「蝋燭」「満月」「からすうり」「雨 法隆寺塔」、そして衝撃的な「自画像」などが挙がる訳だが、かえって画題的にもそれほど特徴的でない、氏のなんともない風景画の方にこそ、案外、氏の見ているその先の世界があらわれているものだ。


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          高島野十郎「林経秋色」(1961)
          油彩 キャンバス 45.5x37.7cm


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          高島野十郎「萌え出づる森」


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高島野十郎「すいれんの池」(1948)
油彩・キャンバス 89.0×129.9cm


これは絵であって写真ではない。氏の作品は写生をもとにした細密描写がその真骨頂だから、このような小さな画像で見ると写真との差がわからないほどになる。現物はもちろんキャンバス地の上に油彩で描かれた、おそらく味わい深いマチエールで描かれているに違いない。技法的な研究を常に怠らない、画術を究めた人でもある。

野十郎氏のプロフィール写真を見てもわかるように、この世の先の異界を見る目を持っていることは明らかだ。現実の風景を前に、相当な実物凝視の研究を限りなく続け、それをもってあばら屋の画室で長大な時間をかけて絵を仕上げてゆく。氏は絵を描くとは言わず、研究すると言っているように、描いたものもまた長い時間をかけて見つめ、その世界を深めてゆく。
氏の描きだした風景は、そこにある風景をとっくに超えて、まだ見ぬ、次元を異にする世界を、その絵の中に降ろしているようだ。おそらく、氏にとって、作品はそのまだ見ぬ世界の間口に過ぎず、異界への窓であったのだろうと思える。

そのことは同族の端くれとしてよくわかるのだ。同じような対象を、同じようなアングルで撮っている。(以下に3点の写真あり)見ているもの以降の世界を脳裡に感じているのだ。
このことはまた、先回の記事にした、風景の対象物にまとう「時間の奥行」というものとの関連も考えられる。
野十郎氏の時代は、もちろん現在の時空ではない、地球の過去の世界だった。そのなかでまだ見ぬ世界を描き出す手法の探求によってこれらの作品が成立した訳だ。
で、あるなら、この変化した時空で獲得した新知覚をもってして氏の作品のを見るなら、氏の画室での孤独な苦闘ぶりが別の意味でわかるのではないだろうか。

氏は見ていたのだ。既に光を・・・。


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          高島野十郎の住んだアトリエ兼住居。(右に見えるのが本人)


以下に氏の作品にたまたま近似した拙作写真を並べておこう。(同様の並び順から比較するとわかる)絵画と写真の色彩の違いは致し方ないが、画面構成はほぼ同じ図式を採用している。だからどうという意味は何もないが、氏の作品を見ながら、同じような風景を撮った記憶があるなと思った次第だ。

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※「林経秋色」と対


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※「萌え出づる森」と対


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※「すいれんの池」と対
by martin310 | 2014-01-21 20:38 | アート

風景の奥にあるもの ―たたみ込まれている時間の積層―


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野辺山原からの落葉松の疎林と八ヶ岳連峰。
八ヶ岳山麓にひろがる広大な丘陵地は、雪のないときは高原野菜の宝庫で、見渡す限りの野菜畑が延々と続き、東は峻厳な秩父連山が八ヶ岳と向き合い、南には遠く富士の峰を望み、北には厳粛に佇む浅間を控えるまさに天に巨きく展いた土地だ。畑地のスケールがほかとは桁違いに広く、点在しながら動くトラクターの大きさから、ここは“北の大地”かと思うほど大陸的な大型農業が行われる土地で、その風景も北海道を彷彿とさせる気配がある。普段なかなかお目にかかれない、空の広さを味わうにはもってこいの場所だ。
このような大規模農業が行われる以前は、この一帯は「野辺山が原」と呼ばれ荒涼とした荒地であったようだ。あたりの村々も開拓以前は赤貧洗うが如くの寒村だったようだが、馬の餌になる秣(まぐさ)が豊富に獲れることからやがて馬市が立つようになり、遠方から何千人もの人が押しかけるようになった後は、軍馬の繁殖で牧場が広がっていたようだ。
緑濃い「八ヶ岳高原 海の口自然郷」においても、元は放牧により荒れ果てた牧場跡地に30万本以上の樹木を植えることから始まったそうだから、現在の美しい風景になるまでは、いくつもの歴史があり、人間と自然のドラマがあったことだろう。

野辺山が原の明治の末頃の情景を、島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見てとれる記述がある。この藤村の散文による写生文の作品は、藤村が小諸義塾に赴任した際に、小諸を中心とした千曲川一帯の自然やそこに住む人々の暮らしを鮮やかに描写したもので、読んでみれば、当時の風物や人々の暮らしなど、実に鮮明な映像が浮かぶほど見事に描写している。それは、文学作品を超えて、民族学の片鱗をも見せるほどに、当時の暮らしぶりや農民の生活心情まで活写されているのがわかる。

青空文庫→島崎藤村「千曲川のスケッチ」
(その六の「甲州街道」「山村の一夜」「高原の上」あたり参照)


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雪原の先には浅間が輝く。


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 「風景の奥にあるもの」
 ―たたみ込まれている時間の積層―

a0282620_1527233.jpgここのところ時空の変化のことをよく書いているのだが、またひとつ新たに見えて来たものがある。
この数日、風景を見ていて感じたのだが、どうも以前と風景の見え方に変化が生じて来ているようだ。それは単に主観性の変化の問題ではなしに、対象物そのものに視覚を超えた要素が付随するようになった感があるのだ。
もちろん視覚に映ずる像としては変わりはないのだが、どうもその像に重なるように三次元以外の要素がたちこめているのを発見するのだ。だからといって、オーラのようなものが見えるというのでもない、反射光が網膜に映じ像を結ぶ視覚認識の法に、もうひとつの四次元的知覚とでも言うべきか、より重層的で厚みのある時間の集積のような波動がまとわりつくようになった。
それを示す言葉を知らない。だから表し難いのだが、言うならば風景の中の個々の対象物に、近い表現を当てるならば、「時間の記憶」、「積層する時間の集積」とでも言おうか、比喩的に言うならば、つまりは「浪漫」や「追想」、そして「詩情」のような感覚か・・・。
ようするに、事物にまとわる過去のドラマの重なりが、まるでグラデーションのように、フイルムのコマのように対象の背後に光彩を放っているように感ずるのだ。いわば「物語」がアトモスフィアとなってたちこめているのだ。

もちろん、ここのところの光は見えるものを実にクリアに美しく輝かしている。それは一部を画像にして載せたように、驚くほど純度を増したことは既に書いたとおりだ。
そこにさらに加わったのがこの感覚だ。
冬枯れた草叢を見ても、裸木の細やかな枝のシルエットを見ても、樹木の尖端の輪郭の先に見える青い山を見ても、そして、空を蔽う雲の群れの複雑な色のニュアンスを見ても・・・、眼に見えるもの以上のものが見えている。だから、いっそう限りなく美しい。
これは今までにないものだ。過去には、何度か小ぶりの覚醒のようなことを経験したことがあるが、その後は見るもの、感ずるものが実に美しく、麗しく、瑞々しく生命に輝いて見え、存在の感謝の念から感涙を得ることもあったのも、これとはまた違うものだ。主観による意識のブロックが解けたときや、小さなカルマの覆いが外れたときなどに経験する、感受性の先鋭化とはまた別ものだ。

おそらくこれは、今まで眠っていた感覚器官の、ひとつの新たな起動なのではなのだろうか。従来のいわゆる「五感」と呼ばれる感覚の「視覚」というカテゴリーに、いわば追加オプションが加わり、またいっそうの美を感受するバージョンが開花された、というもののように思える。
この新知覚を獲得すると、俄然、世界の美しさ豊かさが違って来る。

上記の野辺山が原の例のように、広大な八ヶ岳の裾野には、かつての人と自然のドラマがあったように、藤村の散文スケッチが示す如くに、目にする存在物のまわりには、この「物語」の時間の重層コードが新たに加わり、自然の美観に多次元の織物が重なったということだ。

今在る世界からどれだけの歓びを享受できるかは、受け取る側の感受性の強化にかかっている。もともと与えられているものは無限にあるのだ。そこからどれだけ引き出し、命のよろこびを感受できるかで、存在の幸福度は変わる。
超感覚的知覚の発展は命の豊饒を促し、そのことは自ずと、この世から「娯楽」の概念を一掃するだろう。


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by martin310 | 2014-01-20 20:33 | スピリチュアル

冬の“高原へいらっしゃい” 八ヶ岳高原ロッジ


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―雪―
緑に覆われた八ヶ岳は、気候もいいことから年間何度となく訪れること多く、このブログにもいくつも記事にしてきたが、真冬の八ヶ岳高原だけはついぞ今まで経験がなかった。冬景色にはどうも色彩の単調さから、撮ってみようという気が案外起こらなかったからかもしれないし、氷点下の世界におっくうにも尻ごみしていたのかもしれない。
今回はその気を起して、真冬とはいえ、まだ雪の浅い今頃ならと、冬タイヤに履き替え、いつもの八ヶ岳高原ロッジへ向かった。

この日は、いつになく一日中、空にまったく雲のない完全な晴天だった。高原の大空を360度見回しても、一切の蒼穹を遮るものが浮かぶことはないこんな日もあるのかと、ファインダーを覗いていても、大抵は画面の構成に雲のアクセントはつきものだったのに、逆に蒼いオゾンの天球に点景をつけるのは今日のところはまったくの抜きだった。
それだけにいっそう、光の透明感、大気の清澄度がこの上なく増し、こんなに地球は澄みわたっていたのかと思えるほど、天から降り注ぐプラーナの純度は完璧なまでになった感があった。

さらに新たな発見をしたのは、雪のあまりの白の美しさだ。単に色彩の「白」というものを遙かに超え、“純白”、“極白”としたいほどの高純度、高密度の結晶体を感じた。
どうしてこんな風に見えるのかと、雪原を注意深く観察すると・・・。
それは無数の切片の集合体ではあるが、個々の極微なクリスタルな結晶が、7色のスペクトルを縦横に放射拡散している様子が見えたのだ。そのクリスタル光は、もう既に従来の7色光線ではない、白銀やチタニウムのようなものの高エネルギーな光輝度現象を感ずるくらいに思えた。つまり、雪自らが発光しているのだ。
こんな山紫水明で、しかも1500メートルを超える高地で、元々が波動の高い地であるからこそ、そう感じられるのかもしれないが、この高エネルギーな雪を冠した赤岳や横岳が、天に聳えて蒼く輝くのは、もうそれだけで世界が変わっていると思えるのだ。時空の周波数は、このように雪ひとつをとっても、既に歴然と密かに変貌している。天からの贈物は、もうこうして地上に届けられているのだと、踏みしめる雪の鳴く音に耳を傾けながら、神聖なる充溢した「氣」の中にいた。

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―氷柱―
高原ロッジの屋根の庇からは、この地の大気の厳烈な冷たさを示すように、鋭利に伸びた氷柱が幾本も下がっていた。折からの陽光に光り輝き、氷結した氷の棒の中には、あたりの風景が小さく取り込まれていた。
屋根の場所によっては、建物の壁が複雑に巻き込む風の影響で、溶けた水滴が縦に流れず、風の導く方向に斜めに伸びているものもあった。風の動きが一様でないものは、ランダムな不定形で伸長していて、これが氷柱かと思えるほど、番外な形のものもあった。ただ、いずれもこの自然の織り成す氷の塑像は、実に精緻に玄妙な形体を持っており、そこには単なる蓋然性による傑作とは思えぬほどの秀逸な作品も含まれていた。

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これはいったい何なんだろう?
こんな氷柱、ありえるのだろか?

a0282620_141546.jpg先端の形があまりに不思議と思い、この生物の頭部のような形を見ながら、どこかで見た記憶のイメージを探していた。そうだ、恐竜?、怪獣?ラドン?
調べてみると、東映の怪獣映画に出て来た“ラドン”は架空の想像上の怪獣で、翼竜の一種である“プテラノドン”をモチーフにデザインしたものだそうだ。
“プテラノドン”は、中生代白亜紀後期(7~9千万年前)に生息していた大型の翼竜で、翼開長は7~9mもあり、トサカのある頭部は1.8メートルもあったそうだ。こんな巨大な爬虫類が、翼を持って大空を滑空していたという。大きさからいっても空の王者に違いない。
そんなかつての“空の王者”が氷で出現したのだ。
a0282620_14152497.jpgさすがに翼までは氷ではつくれなかったようだが、どうだろう、この「プテラノドン・ロンギケプスの生態再現模型」と比較してみよう。なんと嘴、トサカ、眼の位置までぴったりではないか!

この闇が晴れ、甦った地球で、かつての“空の王者”が四次元の時空を颯爽と翔るというのだろうか。大空をはばたき、セントラルサンからの夥しい覚醒の波動を世界に振り撒き、地球人類の自力による地球再生を援けようとしているのであろうか。


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山田太一脚本によるTVドラマ「高原へいらっしゃい」の舞台になった“八ヶ岳高原ヒュッテ”は、雪とのコントラスの中でいっそうドラマの世界にひっそりと建っていた。


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標高1,633メートルにある“美鈴池”は完全に氷結し、その上に雪が厚く積もり、まるで平らな雪の広場のようになっていた。
天空の池は、雪の下でひっそりと地球の春を待っているようだった。
by martin310 | 2014-01-17 14:22 | スピリチュアル

小田貫湿原:ある森からのことば


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ここは、静岡県富士宮市にある小田貫湿原である。朝霧高原にほど近い田貫湖に隣接する地点にある、富士山麓では数少ない湿原で、知る人ぞ知ると言えるほどあまり目立たない場所である。
観光地に入らないのも当然のように、取り立てて見るべきものもないが、あまり人の入り込まない湿地帯に、どことなく寂しげな感じが漂うところが、自分的にはある意味魅力かもしれないので、田貫湖ついでに寄ってみることがある。

この場所を最初に発見した十数年前、うららかな陽光のもと、ぽっかり開けた誰もいない湿原の真ん中で、空を仰ぎ、風に吹かれて、ひとり森を見つめていたことがあった。木道に腰を降ろし、天から降り注ぐ光を感じ、大地の静けさのもとで、天地の垂直と大地の水平との交点に位置する自分の座を感じて、しばし目線の先のこんもりした檜の山を見つめて茫洋とした時間に佇んでいた。
それはこのお椀を伏せた形の山に、何か惹かれるものがあった為かもしれず、気がつくと何本もの長い円錐型の檜の群像が、ひとまとまりの存在に感じられて来たときである。彼ら檜たちの集合意識とつながったのか、言うにいわれぬ感懐の中で、思いとも意志とも感情ともつかないある動的な意識の奔流のようなものが押し寄せて来たのだ。
胸の奥で反応するものが感涙を呼んで、その大きな想いのかたまりのようなものに波打たれていた。しばらくして、それを言葉に置き変えてみようと試み出す自分がいたが、そのとき、我々が用いる言葉の無力を感じた。そう、それは思い当たる言葉ではまるで言い表すことが出来ない無形のしろものだったからだ。

その後、我に返るが如く、人に伝える言葉で説明しようと、先ほど来、やって来ていた彼らの想いともつかないものを言語化してみていた。
それは総じてこんなことだ。
「わたしたちを含め、自然界には無駄なものがひとつもありません。わたしたちがこの世界にある原子で成り立っているように、時が経ち、朽ちていくときも、また元の原子に還り、次なる命に形を成していきます。自然界はこの輪廻を永遠に続けているのです。なので、本来、皆がわたしでありあなたであって、個という区別も元来ないのです。
無駄なもの不要なもの、廃棄物、ゴミという概念は、自然界にはないので、あなたたち特有の世界はとても不思議なものに見えます。
ただそれも、永遠から眺めれば、原子に還る同じ筋道かもしれませが・・。
命の連鎖にあるのは、すべてとつながる存在への愛があってこそ成り立つものです。この思いが力となり、永遠につながる命の生かし合いができるのです。」

驚いたことは、彼らには自我というものがないのだ。
自と他という概念自体が存在しないのがわかった。
だから死という恐怖をまったく持っていない。すべてを天のはからいに委ねて、そのことに一切の執着を持たないのだ。
なんでもなく生まれ、育ち、与えられた生を謳歌し、愉しみ、死して朽ちていくことも、人に伐られて木材にされるのも、砕かれて廃棄されるのも、燃されて灰になるのも、その一切に恐れを持たず、自己を守らず、他を押しのけず、なされるがままに諦観し、歓びを見出しているのだ。

それを人は何もしらない。
彼らはそれすらも意に介せず、黙々と命の連鎖を続けているのだ。

あまりの鮮烈な体験に、木道の上からなかなか腰をあげることができなかった。
檜の小山を見上げると、まるで何もなかったようにまた以前のままそこに在った。ただ、林立する樹形の群れを見ていると、そのひとつひとつがまるで顔があるように微笑んでいるのを感じた。

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by martin310 | 2014-01-15 10:57 | スピリチュアル

残月と朝焼け(変遷する時代の元で)


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これは、去る12月25日の明け方に、我が家の2階のデッキから撮った、朝焼けの雲の上に浮かぶ残月の姿だ。
吹き抜けのフィックス窓や、2階デッキへのドアの窓が、部屋の中に居ても西の空をよく見せてくれるので、気がつくことができた朝の光景である。分厚く躍動的な姿の雲が、まるで地上の人間界と天上界の遮りを解いたように開け、天空の透明清澄な世界と地上との両方を見せてくれた気がした。

自然界は、人の世の営みとは別に、常にこのような劇的といえる現象を絶え間なく生み出しているのだろう。ただ、その場、その時、その奇蹟的な条件下に、気づいて反応する人間がいるかどうかに懸かることで、奇遇とシンクロニシティがこの世での一期一会を形成していくのではないか。この瞬間は、宇宙開闢から終息まで無二のことなのだと思うと、自然と画像に収めれたことに感謝と畏敬の念が湧くものだ。


残月と朝焼けとは、実に夜と昼が入れ替わる狭間の時間帯である。昼の世界が始まり、生物の活動が俄かに活発化しているときに、夜の世界の延長である月が残って、まさにクロスして残像をあらわしているときである。
これを意味ありげに紐解くとすれば、2013年以前と2014年以後の時代の変遷の象徴化でもあると、無理な意味づけが生まれる。12月25日という日付もまた意味深になる。

今年はまだ始まってまだ半月ばかりだが、既に内外の時事的な推移を裏側をうがつ目線で精査していけば、次第に今までとは違う、昼夜の逆転、光と闇の拮抗からの優位性が際立って来ているのを見るだろう。年末を迎えた頃の先の細る最悪の空気は、夢見の悪かった正月を越えて、もはや単なる悪夢の記憶に過ぎないほど後退しつつある。悪の饗宴のような見たくもない寸劇を、下降が漸進的に進んで来た支配勢力は、さも決定的な洗脳を打ち込むが如くに企てたつもりだが、逆にその虚構を無様に光のもとで照らされ、多くの醒めた無言の視線の数を増やしたに過ぎない顛末となったようだ。

三次元の現象界に起きて来ることは、その元である四次元以降の世界で既にエネルギーシフトが起きたことの後継現象として顕れるものだ。
知見では、既に以前の記事で記したように、地上に張り巡らされた闇のサテライト基地は、既に本来の機能を停止し、無化されている様子が顕著に感じられること、そして、人と人の間に分離の為に入り込む実際の四次元の闇の影響力が衰微している感があることなどを見ると、かつて隆盛を誇った姿を見せない闇の支配力は著しく低下しているのを感ずるのだ。
そうなると、正なることを行おうとする者への意識内部に働く妨害や、現実に妨害工作を謀る者たちを動かす制御力を失い、実際の妨害や阻止、攻撃などの三次元、四次元の両域を含む行為が低調となり、或いは、機能不全で目的を果たせない状態になることが考えられる。この現象が三次元化し始めたのが今であり、徐々に表立った情報としてメディアにあがってくることも今後頻度を増すことだろう。

ただ大切なのは、この移り行く時代の流れを傍観するだけでなく、これらの現実の裏側を通して、宇宙に存在する「闇」というものの本質を探り、深く知ることだと思える。これらの原理を解せば、過去の人類史を通して、新たな意識の世界を基にした歴史が見えて来るのではないか、それが尚且つ、言葉だけでない本当の光の時代に移行する大きな手がかりになり得ると思うのである。―闇を知ることで、光は勝る。―


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by martin310 | 2014-01-13 13:50 | スピリチュアル

ある日の随想録 「天を仰げば」 ―伊豆の空―


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これは奥伊豆の仁科峠から駿河湾を眺めた光景だ。
雲間から神秘的な光が漏れている。いわゆる“天使の梯子”と呼ばれる情景だ。
金色(こんじき)に輝く光が、海面を照らしている。

空は常に多様な表情を見せるが、特に雲と陽光の織り成す生成のドラマは、ときにこのような神懸かった神聖な夢幻劇を見せることがある。
スポットライトが当たった海面のステージには、何者が現れるのであろうか。
雲の上の天上界では、何を地上に降ろそうとしているのであろうか。

ただ、この山稜でこの神威が漲る光景を目にしているのは、他にいない。
道すがら、行き交う車は一台とて出会っていないからだ。
このとき、この瞬間を得ることが出来たのも、単に連関のない偶合であった訳ではあるまい。現に、実写してここにあらわしていることが、瞬時に消え入る事象を留めたことになると思えるからだ。



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伊豆をくまなく周っているといっても、未だ足を踏み入れていない枝道は数多くある。その意味で、普段通り過ぎている、その先はどうなっているのか気になる道にあえて入り込むことで、新たな発見を期待することを心がけるようになった。

ここは中伊豆の下田街道から西に折れた、大平(おおたいら)地区の山域である。
一種不可思議な形の小山に、折からの西に傾いた陽光がススキの白穂を輝かせていた。
あまりに眩しく神々しく輝く様を、見過ごすには惜しい気がして、降りてレンズを向けたのだ。
光の極微細な粒子のあいだに沿って、なにものか崇高な意志が降臨している幻影を見ている気がし、霊験の幽玄な振動が、白く輝く穂を揺らしているようにも思え、その緊迫した間合いに息をのみながら見つめていた。
姿は見えずとも、光と風が穂波を揺らし、実に霊妙な神勅が降りて来るかのような空気に包まれていた。



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さらに道は山を緩く登って行った。道が終わった山上から大空を仰いだ。
森のあいだから開けているのは空だけだったからだ。

薄雲が均しく配され捲かれたように広がっていた。

人は所詮地に居て、地上の汚濁に心まみれている。
例え無自覚に人の世の汚わいに慣れ従っても、決して心の窮地は休まらない。
天はいつでも天にあり、地上の営みのそれぞれを見ていることだろう。
人は遂に空を仰ぐ段になって、はじめていつでも在る空の広さを知るのだ。
雲の美しさに心洗えば、また新たな心の旅をはじめることが叶う。
天との交感は信仰にも似て、己の心の本意を知ることに、力を貸す大意を持つのだろうから。
by martin310 | 2014-01-08 20:30 | スピリチュアル