伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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「微食」と「不食」の人、その代表的3人のケースと体得したもの。

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●柴田 年彦(しばた としひこ)
a0282620_22142091.jpg1944年、東京生まれ。東京農業大学農学部時代は、動物生態学を専攻。当時の体重は100キロを超える巨漢であった。研究を深めるうち、「生き物としての人間」の不自然さに気づき、マクロビオティック・玄米菜食などを取り入れつつ、独自の思索を開始する。実証を旨として、2007年5月30日から2008年5月29日にわたる「超低カロリー食」生活を展開。著書「ほとんど食べずに生きる人」でその成果を記し、各界を驚かせた。実験結果だけでなく、少食・微食により見えてきた新しい世界についても、その全容を明らかにしている。


◆「カロリー神話」洗脳への挑戦

柴田氏が、一日わずか500キロカロリーの超低カロリーの「微食」で、一年間の人体実験をはじめたのは、食指導家として「マクロビオティック」の普及に積極的に携わっていたとき、“成人男子なら一日に2500キロカロリー、女性であれば2000キロカロリーを摂取しないと健康を維持できない”とする、いわゆる『カロリー神話』は間違っているのではないかと思ったことからという。メタボリック対策が進まない背景には、痩せることや、超低カロリー食への漠然とした不安があり、カロリーを減らして痩せれば健康になる、という認識がうすいことにあると、逆に、自分の身をもって「痩せれば元気になる」ということを証明しかったからだとして、この『カロリー神話』への挑戦をはじめた。

a0282620_2218293.jpg近代栄養学では、人体(成人)の基礎代謝熱量を約1500キロカロリーと定義。この“常識”からいえば、柴田氏の身体は足りないカロリーを自らの脂肪や筋肉からまかなうため、どんどん痩せていき、最後は骨と皮になって餓死すると・・・。実際、ある運動生理学の医師からは、そんなことを続けるならば、四ヶ月後には死に至ると宣告されたそうだが、しかし、そうはならず、365日経っても餓死するどころか、健康レベルは格段に上がり、身体は引き締まり、肌の艶もよく、元気そのものになった。
氏は、こうも述べている。体調がどんどんよくなり、体質が強化され、精神的な活性には驚かされた。痩せることで不健康になるどころか、逆に全身の細胞が甦り、人生が充実したと。食事内容が正しい超低カロリー食の「微食」によって、全身の潜在能力が引き出され、その力を利用すれば、自分自身の治癒が始まり、健康で元気になれるだけでなく、新しい可能性が開けると。

「引き算」の生き方革命を実践。超低カロリー食の実験をスタート。
2007年5月30日開始(64歳、身長173cm、体重80キロ)

・貧血症状が出た1ヶ月目。
・1日中眠たかった2ヶ月目。
・「脱力感」など心身へ不安を感じた3ヶ月目。
・皮膚に不快な症状が出た4ヶ月目。
・皮膚から体質改善が始まった5ヶ月目。
・体質の変化を意識できた6ヶ月目。(ここから微食が心地良くなって来る)
・健康診断で異常が出ない7ヶ月目。
・客観的に健康を確認した8ヶ月目。
・歯周病まで治ってしまった9ヶ月目。(たまらない爽快感が出て来る)
・何かが変わってしまった10ヶ月目。
・体重増加策に転じた11ヶ月目。
・空腹感が心地よくなった12ヶ月目。

2008年5月29日終了(体重57キロ)


そして、柴田氏の到達した結論は――

●段階的に体重を落とせば、無理なく減量目標を達成できる。
●少食微食の食事内容(玄米菜食)でビタミン・ミネラルなど栄養素は不足しない。
●医学的検査でも異常値は出ない。
●1000キロカロリー以下という大幅に少ない摂取カロリーでも十分。(柴田氏は500キロカロリー)
●少食・微食には解毒や体質改善の効果がある。
●健康が増進し、五感が鋭くなり、脳が活性化し、やる気が横溢する。
●人間には「飢え」に対する適応力がある。
●人は食べなくても生きられる。



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ほとんど食べずに生きる人―引き算の生き方革命
柴田 年彦 著   三五館 (2008/10/21)


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●森 美智代(もり みちよ)
a0282620_22395653.jpg1962年、東京都生まれ。短大卒業後、養護教諭として小学校勤務をしていた1984年に難病の脊髄小脳変性症を罹患。以来、西式・甲田療法に専念し、難病をみごと克服。その後、鍼灸師の資格を取得し、大阪市八尾市で鍼灸院を開業。現在、森鍼灸院院長。甲田光雄医師の著書でたびたび紹介されている「仙人2号」のMさんとしても知られる。本格的な断食・生菜食療法を実施してからすでに27年、1日青汁1杯のみの生活になってからは丸16年を超えている。鍼灸治療のほか、講演などでも活躍中。2010年秋公開のドキュメンタリー映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』(白鳥哲監督)の主人公でもある。

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一日青汁一杯で生きる奇跡の人――で、森美智代さんはメディア的には最も有名な存在かもしれない。体験記の著作はもとより、映画化もされているので、断食療法や生菜食療法、少食などを検索していれば必ず探し当たる人でもある。

そんな森さんは、最初から食べることを「やめた」わけではない。そこには、21歳で襲われた不治の難病「脊髄小脳変性症」との壮絶な体験があったのだ。「余命5年、現代医学では助からない」と宣告された森さんは、絶望の淵から藁をも掴む思いで、断食療法を実践指導する甲田光雄医師のもとを訪ねた。甲田医師は、「おなかにガスがたまっているのが原因。だから断食すれば治る」と告げた。
かくしてそこから、玄米菜食、断食、生菜食、少食療法、西式健康法・・・などによる闘病が始まった。病状は一進一退を繰り返しながらも、次第に回復していった。そして、最後に甲田式「生菜食療法」を開始――1日青汁1杯のみの生活になってからは丸16年を超えている。


◆森さんの現在の食事(一日一食)
【青汁】
(キャベツ:30g、レタス:30g、シロナ:30g、ホウレンソウ:30g、チンゲンサイ:30g)
水:200ミリリットル
塩:3g
 ※これらをミキサーにかけ、網でこして飲む。

・柿の葉茶:1~1.5リットル(1日あたり)

・エビオス(整腸用):20錠
・スビレン(藻から精製した錠剤):20錠
・ビタミンC剤:1錠(1000mg)


a0282620_2246819.jpg森さんが玄米生菜食療法で治療を始めた当初のカロリーは、一日900カロリーだった。従来の「近代栄養学」では、成人女性は2000キロカロリーが必要とされ、1200キロカロリーを切ると次第に痩せて衰弱し餓死に至る、が定説とされる。
なんと森さんは、それより低い900キロカロリーの食事でも体重が増えるので、玄米粉を抜いて野菜のみし、650キロカロリーにしたものの、ランニングで10㎞も走れたという。
それでも体重が増えるのでさらに減らし、最終的には青汁一杯(50~60キロカロリー)になり、16年が過ぎた。“カロリー神話”がまさに神話化された実証である。人は50キロカロリーの超低カロリーでも充分に元気に生きられるのである。但し、森さんのようなケースは、長い年月をこの療法に専心して次第に身体が適応していったものであることは、明記しておくべきことだ。


◆科学が証明した驚くべき消化吸収機能

・まるで牛のような腸内細菌
森さんの腸内細菌を調べると、人間離れして特殊な細菌が多く、種類とバランスも桁外れに特殊のようだ。
まず、植物の繊維を分解してアミノ酸を作り出す菌の「クロスリジウム」は、一般の人の腸には0.1%程度のところ、森さんの腸にはそれより100倍近い9.8%もいたという。
他にも「ユーバクテリア」などの植物の繊維を分解できる菌は、普通30%くらいのところ、森さんは約60%だった。
つまり、森さんの腸内細菌の機能はまるで「人間離れして牛並み」に、青汁の中の食物繊維まで分解して、たんぱく質や脂肪を作り出し、普通はダイエットのためのヘルシーフードである青汁を、しっかり栄養源にしているということだ。
森さんの腸内の細菌構成は、イモ類などの植物性食品しか食べない、パプアニューギニアの人たちに近いという。

さらに、生菜食や少食実行者は、普通なら捨ててしまう尿素を再利用し、栄養源として使うという研究結果もある。


◆ブドウ糖不足をまかなうケトン体が「強陽性」

身体は飢餓状態に陥ったとき、体内にエネルギー源がなかったり不足していると、その代用として脂肪酸やアミノ酸の代謝産物の「ケトン体」を多く出す。糖尿病の人などは、ケトン体が多いのは危険とするのだが、森さんの場合は不調はない。
断食をすると2~3日でケトン体が増えることはわかっている。これは、ブドウ糖が不足・欠乏しているとき、ケトン体であるアセト酢酸やβ-ヒドロキシ酸が、脳のエネルギー源として使われているからだ。
つまり、超少食実行者の糖質摂取量の不足は、脳のエネルギーの低下を起こすことなく、かえって頭が冴え、脳の働きが活発になるという報告は、逆にこのブドウ糖不足を補う機能として、ケトン体の存在があるということだ。
a0282620_22441138.jpg身体には、非常時に実に優れたバックアップ機能が用意されているものだ。ひょっとすると、これは脳を通じた意識の覚醒には、「超少食」が大きな鍵になる可能性が高いのではないだろうか。逆に、現代が陥っている飽食の欲の充満した食生活は、脳の活性を落とし、よって意識の低迷化を招いている元凶かもしれないということだ。
古今の霊的覚者が必ず断食行を取り入れていたのは、ある意味、この脳の覚醒の為の体内バックアップ機能をONにして、有効化するためのものだったかもしれない気がする。
現に森さんは、野菜や人のオーラが見えるようになり、ヒーリング能力も飛躍的に高まり、遠隔治療さえ可能になっている。また、手が自分の意志とは別に勝手に文字を記録するいわゆる“自動書記”も起こっているという。身体の健康度も高く、疲れを知らない身体になり、睡眠は一日4時間で足りるようになったとも。


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「食べること、やめました」―1日青汁1杯だけで元気に13年
森 美智代 著  マキノ出版 (2008/4/15)


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「食べない」生き方
森 美智代 著  サンマーク出版(2013/11/28)


映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』予告編(2分バージョン)
http://www.youtube.com/watch?v=fsxug-12fz0


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●山田鷹夫(やまだ たかお)
a0282620_22511543.jpg「食う・寝る・やる」という人間の根源的欲求の真の姿形求め、自分をさらした実験に挑み続ける実践思想家。「当たり前」を破壊し、「常識」を疑うことで、人間の新しい可能性をメッセージしてきた。デビュー作『人は食べなくても生きられる』で提示した「不食」という概念は、広く日本中に知られ、多くの共感者を生んだ。1951年新潟県生まれ。身長173ンチ。体重63キロ。髪型はスキンヘッド。


そのスキンヘッドで精悍な風貌からしてもユニークな山田氏は、「不食」に関する言説でも、実にユニークで刺激的なメッセージを体験から発信してくれる。自ら“実践思想家”を名乗るほど、当たり前という常識を覆して、真実の世界を開く道を提案する迫力ある人物だ。

山田氏が不食の探求を始めたのは、新世紀に入った2001年の7月からだ。
氏は、「断食」という用語に対して新しい概念の「不食」という用語を作り出した。これが今では広く行き渡り、「少食」「微食」「不食」という用語は既に市民権を得ている。
氏は4年間の実践探求の末、不食のもたらす効用は以下のものと記した。

a0282620_22562758.jpg1. 頭が冴える
2. 身体が軽くなる
3. やる気が出てくる
4. 疲労が消える
5. 病気・不調が消える
6. 眠くならない
7. 肌が柔らかくきれいになる
8. 柔らかい身体になる
9. 老化を遅らせることになる
10.免疫力が高まる


氏は、さらに不食の次なる可能性を“疲れない身体をつくること”に向け、疲れない生き方は結果、老いない身体へとつながると述べている。
それにはまず、

a0282620_22585537.jpg●不食で疲れない体質を作っておく。
疲れない体質とは精妙な細胞を持った身体のことである。
精妙体の細胞は疲れを持たない。

●心的な苦痛や痛みは物質化する。
だが、不食体は、その細胞がない。
肉体の疲労を疲労として身体に刻む細胞が疲労を感知しないのだ。疲労を素通りしてしまう。

●肉体疲労がなくなるから、疲労回復機能としての睡眠は不要になる。

よって、眠ってもいい、眠らなくてもいい、そして、食べなければならないでもなく、食べてはならないでもなく、どちらでもいい自由な身体で、この地球生活を颯爽と渡っていくことだと言う。

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そして、「不食」の彼方にあるものは、・・・。
一つには、人間存在は肉体がすべてではないということ。しかも、それを検証するのは、今までは頭を使うしかなかったが、不食が登場したことにより、誰もがそれを検証でき体験できるところまで辿り着いたということだ。
それを教えてくれる指導者もいらず、自分の身体があればそれで不食を通して人間の真実を体験できる。
二つめに不食の結果、必ずついてまわるのが、今までなかった超常的能力の発露だ。これは元来、その個人に密かに備わっていたものが、不食を通じて開発されて来たものであり、この授かっていた能力を生かす道が新たな人生を開いていくこともありうる。
不食は今の段階では、人間存在が肉体のみでなく、無限の存在であるということを体験的に実証できる唯一のツールである。


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人は食べなくても生きられる
山田鷹夫 著  三五館 (2004/10)


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不食実践ノート―食べずに暮らす人たちの記録
山田鷹夫 著  三五館 (2006/06)


- つづく -
by martin310 | 2014-03-31 23:03 | 「食」の問題

先人の智慧・・・「断食療法(fasting)」の奇跡の効果

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「何も食べない」で「食」を断つことで、治療になるなんて考えれられない?
そう思う人も決して少なくはないだろう。
だが、断食療法は、洋の東西を問わず、古来から人類が行なってきた最も自然な医学療法で、特に、東洋に限らず西洋でも行われてきたことは意外に思うかもしれない。
英語で朝食のことを、“Breakfast”というが、“fast”とは「断食」のことだ。つまり、一晩寝ている間の「断食(“fast”)」を「破る(“Break”)」で、それが縮まって“Breakfast”(朝食)になった。
そこから断食療法を英語で“fasting”という。近年、改めて現代医学の薬物療法、手術療法、放射線療法では、命を救うどころか死亡率を高めている現実が取り沙汰されるにつけ、多くの人々がこの“三大療法”の危険な正体に気づきはじめている。人々は、生命の真理に沿った真実の治療法を求めているのだ。その代表格が断食療法なのである。ヨガでは、“万病を癒す妙法”として推奨されている。

a0282620_1195464.jpg自然の一部である人体は、自然のものだけを体内に摂り入れることを求めているが、現代の自然に背いている文明社会では、自然の法則にそぐわない異物を体内に摂り込むことが多くなる。すると自然の法則が壊され、身体は生命のリズムが狂い、調和を乱すことになる。最も大きな因子として働いているのが食物だ。「断食」の最大の目的は、この自然に背いた身体を、自然の身体が持つ本来の機能を使って浄化することである。断食は、食べ物を消化吸収する身体のとても大きなエネルギー(なんとフルマラソンを走破するほどのエネルギーを要するといわれている)を、食べないことですべて、治癒・排毒エネルギーに転換して、自然治癒力、免疫力、排毒力を飛躍的に強化する有効な仕組みなのである。


◆断食療法の目的

断食療法の目的は以下のようになる。

1:内蔵器官の休養・・・食断ちで消化器や内臓器官を休ませる。
2:過剰栄養の排出・・・体内に脂肪などで蓄積された過剰栄養を排泄する。
3:毒物・老廃物の排出・・・「化学物質」「重金属」「医薬品」などを体外に排出する。
4:免疫力の増強・・・免疫力(白血球数)が飛躍的に増加する。
5:自然治癒力の増強・・・消化吸収エネルギーが回復治癒エネルギーに変換される。
6:生命力の増強・・・生体に備わっている潜在的な生命力の反発を呼ぶ。


◆断食療法のメカニズム

では断食で、どうして身体はこのような働きをし出すのか、そのメカニズムを見ていこう。

a0282620_11143845.jpgまず、断食によって食物の一切を断つことによって、身体には飢餓状態という大きなストレスが生じる。身体は、このストレスに対する反発力としてショック状態を引き起こす。
断食は身体にとっては、このうえない迷惑な危険な仕打ちで、このまま放置したらたちまち死に追いやられると察知して、体内のあらゆる器官を総動員して、断食による飢餓状態に対して生命を守ろうと必死になってもがくのだ。「火事場の馬鹿力」という例えがあるが、これは人間が窮地に追い込まれた際、ときとして自分でも信じられないほどの力を発揮するという意味だ。これが我々の体内でも起きるわけだ。
通常の食事を続けていると、後からの補給が期待できるので、吸収できる栄養分を排泄して少々逃がしてもかまわないが、断食では次の補給が期待できない。従って胃腸に入って来た食物は100%近く消化吸収して、それを身につけようと待ちかまえるようになる。
このように、飢餓状態というストレスに対する反発力が、身体の仕組みを大きく変動させ、体質を変換する過程が、様々な病気や症状を治す力(治癒力)として現われるのである。


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【断食による改善が期待できるもの】

 ・ダイエット効果
 ・アレルギーの病気(アトピー性皮膚炎・花粉症・気管支喘息)
 ・高脂血症、脂肪肝
 ・高血圧、動脈硬化
 ・脳卒中、心臓病
 ・糖尿病
 ・ウイルス性肝炎
 ・肝機能低下(鈍重肝臓)
 ・慢性胃炎
 ・関節リウマチ
 ・多発性硬化症、全身性エリテマトーデス、ベーチェット病
 ・慢性疲労症候群
 ・潰瘍性大腸炎
 ・心身症
 ・慢性胃炎、慢性腸炎、胃腸虚弱
 ・胃潰瘍、十二指腸潰瘍
 ・腰痛、肩こり、ひざの痛み
 ・冷え症
 ・妊娠中や産後のむくみ、妊娠性糖尿病
 ・ガン
 ・痴呆、老化予防と長寿など


◆半日断食からはじめよう

a0282620_11291273.jpg断食とは本来、少なくとも三日以上の断食を行う「本断食」のことをいう。これには、断食に入る前に、あらかじめ何日間かの減食期間を設けて徐々に食事の量を減らしていき、その後に本断食に入る。この期間が最低でも三日間以上で、この間は水分以外には何もとらず、本断食を終えた後には少しずつ食事の量を増やす期間を設けてから終了となる。これには医師などの専門の指導者がいる施設でないと行えず、一般の人が自分ひとりで行うには不向きだ。
そこで誰でもが、いちばん簡単で、かつ安全で、日常生活を送りながら行うことができる断食法が半日断食である。これには、午前中の断食、つまり朝食を抜く方法が最も理に適い、効果的である。

朝食を食べずに空腹の状態になれば、腸を活発に働かす“モチリン”というホルモンが分泌される。これは腸内容物の排泄を促進する消化管ホルモンで、午前中を空腹で過ごせば、それだけ排泄能力が活発化し、老廃物の排泄が促される。
逆に、朝食を摂りすぐの活動を続けることは、胃腸の働きを妨げ、活動を鈍らせることから消化不良から慢性的な胃腸障害を引き起こすことが多くなる。
朝は、前日の老廃物を体外へ完全に排泄する時間帯で、それから、昼と夜に栄養物を摂り入れるのが、天地の法則に適った物事の順序となる。「朝食はしっかり食べなさい」というのは、かなり欺瞞に満ちた情報である。


◆半日断食の基本(甲田式断食法)

a0282620_11151394.jpg1. 朝食を食べずに、午前中は水分のみをとる。
 生水と柿の葉茶で、最低でも500ml以上を飲む。朝食抜きがつらい場合は、青汁(生野菜ジュース)を180ml飲む。市販のものでもよいが、できるだけ旬の野菜を使って手作りしたものを選ぶ。

2. 昼食と夕食の量はふだんより軽めにし、間食や夜食をしない。
 朝食を抜いた分、昼と夜に多く食べてしまっては、半日断食の意味がなくなる。間食夜食がきっぱりやめられるかが鍵。

a0282620_11185019.jpg3. 水分は生水とか柿の葉茶で一日1.5~2リットルを目安にとる。
 半日断食を行うと、食事からとる水分が少なくなるため充分に補う。

4. 慣れてきたら肉や乳製品を避け、油や刺激物も避ける。
 慣れてきたら食事内容の見直しをする。理想的な半日断食のメニューは玄米菜食で、玄米を主食とし、海藻類、キノコ類、野菜を積極的にとるようにする。


◆一日断食

a0282620_11182594.jpg半日断食以外にも、家庭で手軽にでき、しかも安全で効果的方法に一日断食がある。一日断食とは、一週間のうちで一日だけ、液体のもの(水分)以外は一切何もとらない断食療法だ。
これには、空腹感を少し満たすため、昆布と椎茸でだしをとった汁に醤油と黒砂糖を加えたすまし汁をとると快適に過ごせる。また、一日断食を実行すると体がむくむ人には、このすまし汁でむくみを防ぐことができる。

断食を終えた後の食事のことを「復食」というが、これで胃腸に負担をかけないよう、梅干を一つ入れたおかゆをとることでもとの食事に戻ることができる。復食の際の食べ過ぎには注意が必要だ。

半日断食と一日断食を併用すれば最強の健康法になる。

- つづく -

詳しくは、
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甲田光雄著 『軌跡が起こる半日断食』
by martin310 | 2014-03-26 11:33 | 「食」の問題

「柿食えば・・・」の俳聖:正岡子規は、間違った「食」で夭折した。~フォイト栄養学の罪過~

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「食べるほど」「栄養をとるほど」健康にいい――と信じている人は人々は未だに多い。
「栄養をとらないと病気は治らない」と医師や看護師は本気で患者を指導している。
食物とそこから摂れる栄養が、さも薬効があるが如く健康度を漸進化していくと信じて疑わないのは、前の記事で記した“近代栄養学の父”フォイトの残した悪夢であり、食に関する最大の偽情報である。


a0282620_2015305.jpg文明開化の明治の頃、洋風志向でハイカラな進取の気性が強かったひとりの文豪が、この時代の粋である“フォイト栄養学”への信仰によって、若くして惜しまれるその命を落としている。

俳人、歌人、国語学研究家として、俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼしたことで知られる「正岡子規(1867-1902)」は、結核脊椎カリエスが死因となり、満34歳で早世したといわれるが、その死に至る病を決定的にしたのが、余りに過剰なる過食、美食、暴食にあるということはほとんど知られていない。それは、当時から変わらず未だに“フォイト栄養学”への無批判な信仰が続いている証左でもある。
a0282620_20155056.jpgだが、子規は病床で書かれた日記『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)を残し、その中に日々の自らの食卓の詳細な記録を書き記している。これによって、子規の三度三度食していた内容がわかり、フォイトの偽った栄養学が病苦を生むことが明確になった今日、子規の逝った原因も誤った食生活にあったことが判明したのだ。また、そのことは、現代の我々の食生活も子規のそれに近似したものでもあることから、多くの警告と教訓を得て、健康に生きるための「食」の意識転換の必要性を示唆しているといえる。
子規は、死の前年から筆をとったこの寝返りも独りではできない仰向けに寝たまま記した(仰臥)日記により、第一級の国文学の記録を生んだが、本人の意図とは別に、この日記ははからずも実は、栄養学の資料としても第一級となり得ている。ただ、内容を知れば知るほど、今や、あまりの栄養学に対する無知さ加減には悲惨を極めると言うしかないほどである。その壮絶なる“食べ間違い”は、文学ならぬ栄養学の、“症例”として特筆に値する。


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a0282620_2022063.jpgこれが、病床の子規が『仰臥漫録』を書き始めた初日の日記に記された食事メニューだが、その後もおよそ毎日同じように食べていたことから、これが子規の献立のスタンダードいえよう。
子規は痩身なれど無類の大食漢だったようで、痩せの大食いを絵に描いたような食べっぷりには、まるで寝たきりの病人らしからぬ、そのあまりの豪食ぶりは食欲旺盛というより、異様なほど病的なものだったことが窺える。食べ過ぎで苦しく、食後は吐いてまでも食べていたようで、腹痛も起こし、鎮痛剤まで飲んでも尚も食べ続けていたのである。それも、小食や断食すればゆうゆうと快復することをまったく知らずに、ただ迫りくる病魔に打ち勝つために、猛烈に過剰栄養を摂る為に食べ、まさに這いつくばっても餓鬼のように鬼気迫る食生活を続けていたのだ。



◆子規の病んだ脊椎カリエス

a0282620_20181591.jpg子規は若くして吐血し、結核に罹患。さらに追い打ちを掛けるように脊椎カリエスの病魔に襲われる。「カリエス」とは「骨の慢性炎症」という意味で、脊椎骨が侵され、破壊され、変形する病気だ。さらに膿が身体の各部に溜まり、漏れ出る。そして、「打痛・圧痛・神経痛・運動麻痺などを伴う」、激痛を伴う疾患である。
子規は一度に菓子パンを十数個、柿や梨なども十個前後も貪る大の甘党であった。菓子パンには砂糖が、果物には果糖が含まれる。糖分の異常なまでの摂取によって、骨からカルシウムが取られ、骨はスカスカに脆くなる。そこが病原菌に侵され始めたのがカリエスである。
子規はまた、牛乳を愛飲している。当時牛乳といえば、たいへんな高級飲料であり、完全栄養食という“牛乳神話”を信じて、毎日がぶ飲みしていた。今も、「牛乳はカルシウムが豊富なので、飲むほど骨が丈夫になる」と信じて疑わない人が大多数だろう。ところがこれはまったくの大嘘であることが判明している。
牛乳に含まれるたんぱく質や脂質を消化吸収するために、体内の骨からカルシウムが動員され、排泄されていく。つまり、カルシウムが摂れるどころか、逆に飲むほどに骨は粗密になり、骨折しやすくなる。骨粗しょう症は、牛乳を多く飲む人ほど罹り易い。
子規はカリエスを益々悪化させる牛乳を、おしゃれにもココアを混ぜて愛飲していたのである。

脊椎カリエスは、背骨から全身の骨が侵され、腐り、膿に変じていく。膿の排出口が身体の各所に開き始めると、ぐるぐる巻きの包帯で防ぐようになる。この包帯の取り換え時に、絶叫、悲鳴、落涙を誘うほどの苦痛を病人に与える。だが尚、子規は食べることが病状をさらに悪化させる仕組みを知らず、苦をさらにもたらす「食」に走るのである。これはもはや、生命欲、つまり生きたいという欲望そのものであろうか。



◆子規の癇癪、逆上、激昂の原因

a0282620_20225236.jpg子規の寝ていた狭い和室で、かいがいしく介護をしていたのは、母(八重)と妹(律)である。身体の各部の膿の口に巻いた包帯を、病人が激痛に呻吟し悶絶するなか、毎日取り換える労苦や、病人の異常な食欲で胃袋に押し込まれ、消化もろくにされずに垂れ流される糞便の処理をするのも介護人の欠かせぬ仕事であった。
また、もちろん大食漢で美食家の求めるまま、高価で貴重な食料を取り寄せ、調理し配膳するのも家人のふたりであった。ふたりは、かたや病人には有り余る豪奢な食材を提供しながら、自分たちは台所の片隅で、香の物をおかずに質素粗食な食事に甘んじ、介護には嫌な顔ひとつせずに懇切な世話に励んでいた。
子規は、そんなふたりに感謝の気持ちをもちながらも、ときにとてつもない癇癪を起こし、逆上し、激昂して家人をもそのあまりの恐ろしさで近づけぬほどの、異常な怒りを露にすることがあった。
a0282620_20173592.jpg特に、子規自身が告白するように、妹の律に対し、その欠点の枚挙に遑(いとま)ないことに腹を立て、時として彼女を殺そうとも思うほどになったと記している。悪態ををつき、罵り筆誅を加えることもあったと・・・。また、精神激昂し、乱叫乱罵するほどに頭が苦しく発狂するように異常を来たしたともある。さらに、突如襲う精神錯乱のうちに、不安煩悶を極め、自殺を本気で考え、小刀で喉をかき斬ることや、錐(きり)で心臓に穴を開けることまで思ったと、その凶器の絵図まで残している。
いったい、ここまで仰臥する病人を、異常なまでの怒りに掻き立てているものは何なのであろう。

『仰臥漫録』には、ほとんど毎日「菓子パン」の記述が続く。間食に菓子パン10個・・・、子規は菓子パンが大好物だった。あれだけの豊富なメニューの他に、菓子パンや梨、林檎、焼き栗、煎餅を一日に何度となく食べていた。
甘いものの摂り過ぎの弊害は、子規の業病、脊椎カリエスだけではない。糖分の過剰摂取は血糖値を急上昇させる。すると、血糖抑制ホルモンのインスリンが分泌され、今度は血糖値を逆に急降下させる。正常血糖値以下になると、猛烈に甘いものが欲しくなる。そこでまたさらに菓子などを貪ることになると、また血糖値が急上昇・・・、この激しい上下動を繰り返すうちにインスリンが分泌されっぱなしとなり、低血糖の状態が続くことになる。
そこで、身体は状況改善のために、副腎から“怒りのホルモン”アドレナリンを分泌させる。これは毒蛇の3倍といわれ、ムカムカ気分が悪くなる。さらに、“攻撃ホルモン”ノルアドレナリンも分泌され、よって「キレる」ことになるのだ。
つまり、子規の突如襲う癇癪・逆上・不安は、低血糖症の典型症状であったのだ。



◆動物食が子規早世の元凶だった

「朝・・・はぜ蛤(はまぐり)佃煮」「昼・・・まぐろの刺身」「夕・・・鶏肉たたき、卵一個」(10月2日)

a0282620_2017751.jpg子規の食卓に、まぐろや鰹の刺身はほぼ毎日必ず登場していた。鶏肉や鰻(うなぎ)などもよく並ぶ。動物性食品は、常に子規の食卓に載っている。
「できるだけ栄養価の高いものを食べさせ体力をつけさせるように」
というのが、おそらく医師の指導であったのであろう、母と妹はけなげにそれを守り、子規に毎日これらの動物性たんぱくの豊富な食べ物を食膳に並べたものと思われる。
だが、この好意が仇になり、子規の命を縮めていたとは、なにより皮肉な結果となったわけだ。

動物性食品の危険性は、前出の「マクガバン・レポート」「チャイナスタディ」にあるように、キャンベル博士が述べる、「動物性食品はガンの最大の原因であり、この食習慣をやめれば、ガンばかりか、心臓病、脳梗塞、糖尿病、骨粗しょう症、関節リュウマチほかの様々な自己免疫疾患、アルツハイマー病、白内障、加齢黄斑変性(AMD)など、あらゆる病気を予防し、回復させることができる。」ということだ。
つまり、もしも子規がベジタリアン(菜食主義)をこころがけていたなら、文豪は80~90歳の長寿を全うしたかもしれないのだ。

また、このことは子規の例に留まらず、現在の我々自身の食卓でさえ、子規の教訓から見直すべきものがいくらもあると思えるのだ。「食」は命のもとだが、その「食」間違えは、逆に命をも落とすものであることを肝に命ずる必要ありということだ。旨いものをたらふくと求める強欲は、すなわち「業欲」となって我が身にかえる・・・。

※徳間書店刊・船瀬俊介著 『「長生き」したければ、食べてはいけない』 をもとにまとめ、再編成した。

- つづく -
by martin310 | 2014-03-24 20:42 | 「食」の問題

闇に葬られた二大栄養報告。「マクガバン報告」と「チャイナ・スタディ」

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                           - 2 -

◆アメリカ国民の健康と長寿を願った「マクガバン報告」は、
既得権業界の圧力に見事に封印された。


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a0282620_1925017.jpg1975年のカーター政権下、当時、アメリカでは心臓病の死亡率が一位で、癌は二位だったが、心臓病だけでもアメリカの経済はパンクしかねないと言われるほど医療費が増大していた。(1977年には1180億ドル=約25兆円)そんな財政的危機を何とか打開しようということで、医療改革が進められた。
そして、その一環として上院に「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」を設置し、全世界からよりすぐりの医学・栄養学者を結集して「食事(栄養)と健康・慢性疾患の関係」についての世界的規模の調査・研究が7年間の歳月と数千万ドルの国費を投入して行なわれ、5000ページに及ぶ膨大な報告がなされた。それを「上院レポート」又は委員長の名前をとって「マクガバンレポート」と呼んでいる。(このアメリカ建国以来の栄養調査の指揮をとったのは、民主党のマクガバン上院議員

a0282620_1933563.jpgこの『マクガバンレポート』では、「心臓病をはじめとする諸々の慢性病は、肉食中心の誤った食生活がもたらした【食原病】であり、薬では治らない」と結論づけ、更に「我々はこの事実を率直に認めて、すぐさま食事の内容を改善する必要がある」として7項目の食事改善の指針を打ち出している。その内容を要約すると、高カロリー、高脂肪の食品つまり肉、乳製品、卵といった動物性食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜、果物を多く摂るようにと勧告している。
つまり、当時世界を席巻していたフォイト栄養学の伝道前の初期アメリカの食事に戻せ!と提案しているのである。


a0282620_19255791.jpgまた、この『マクガバンレポート』を補足する形で発表されたのが『食物・栄養とガン』に関する特別委員会の中間報告だが、そのレポートで特に注目されるのは、「タンパク質(肉)の摂取量が増えると乳ガン、子宮内膜ガン、前立腺ガン、結腸・直腸ガン、膵ガン、胃ガンなどの発生率が高まる恐れがある」として「これまでの西洋風な食事では脂肪とタンパク摂取量との相関関係は非常に高い」と述べている。
そして、我々日本人が大いに注目すべきは、このレポートで報告されているのに、「この地球上で最も理想的な食事は、元禄時代以前の日本人の食事である」ことが明記されているのである。元禄時代以前の食事と言うのは、精白しない殻類を主食とした季節の野菜や海草や小さな魚介類といった内容のことだ。日本の伝統食が、この地球上で最も理想的な食事であることが『マクガバンレポート』で認められていることは、西洋風の食生活に侵されている現代の我々には、逆に、日本古来の「食」に回帰することが、命を保つ道であると示唆されていると感ずる。

さて、『マクガバンレポート』では、20世紀初めの古き懐かしき食事に戻すと、次のようにアメリカ人の健康は改善すると予測している。

●ガン・・・発生も死亡も20%減らせる。
●心臓病・・・発生も死亡も25%減らせる。
●脳卒中・・・発生も死亡も25%減らせる。
●糖尿病・・・約50%減(または約50%症状を改善)

つまり、「アメリカ人は、今食べている量を半分にすれば、今よりスリムで、健康で、長生きでき、医療費も激減できる」と、5000ページもの報告書で伝えたのだ。

だが、これほどの優れたアメリカ人の食生活改善するレポート、いや、それだけに留まらず、実際に多くのアメリカ人の命を救えたであろう報告書を、時の食品業界、農業団体、医療業界、マスコミまでが猛反対し、『マクガバンレポート』を完全黙殺して歴史の闇に封印したのである。そして、国民救済の立役者であるところの、大統領候補で優秀な政治家のマクガバン上院議員は、その政治生命をも絶たれる結果となったのである。




◆「たんぱく質は、史上最悪の発ガン物質である」という
驚愕的事実を立証した『チャイナスタディ』・・・業界メジャーの
不都合な真実


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a0282620_19281434.jpg1970年代末、中国の首相がガンだったこともあり、治療法を解明するため中国政府は1973年から1975年まで8億8千万人を対象とした12種にわたるガン死亡率に関する調査を行なった。65万人の作業員が関与するという前代未聞の途方も無い大規模調査である。
このデータを元にして、中国予防医学研究所、オックスフォード大(英)、コーネル大(米)によって、更に1983年~1988年にかけて食習慣と病気に関する膨大な調査が行われた(米英中共同研究で約10億円近い巨費が投じられた栄養研究プロジェクト)。対象は中国全土と台湾から1万6千700人を対象にして「食事と健康状態、ライフスタイル、社会的経済的特徴に関する1367項目」を調査。それをまとめた書物の原書名が『チャイナスタディ』である。
陣頭指揮をとったT・コリン・キャンベル博士(コーネル大学)は「栄養学のアインシュタイン」と称えられるアメリカ屈指の栄養学者であった。
この中で、「たんぱく質は、史上最悪の発ガン物質である」という驚愕的事実が立証されている。

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中国農村の食事と、アメリカ人の食事をもとに、米中の栄養比較調査は驚くべき事実を明らかにしている。

●心臓麻痺の死亡率は・・・。
 アメリカ男性は、中国男性の17倍も心臓発作で死亡していた。
●女性の乳ガン死亡率でも・・・。
 アメリカ女性は5倍も乳ガン死していた。
●たんぱく質を2倍とると、ガンは11倍に激増する。
●5%から20%に増やすと、発ガン率は約20倍と爆発的に増える。

a0282620_19274374.jpg中国には、同じ漢民族でありがなら、実に多様な食習慣があり、ガンの発生率も地域によって100倍も開きがあったので、調査にはうってつけだった。
その結果は、驚くほど明確に、動物性食品を摂取すればするほど、病気を発症することを示していた。
しかも、比較的少量しか食べなくても動物性食品は有害な影響を及ぼしていた。一方、植物性の食べものを最も多く摂取していた人々は、健康で慢性の病気から免れる傾向がはっきりと証明された。
「人の健康には、動物性タンパク質が必要だ」という神話が、完全に崩壊してしまうような結果に、各業界が震撼した。

「肉、卵、牛乳などの動物たんぱくは、史上最悪の発ガン物質だった・・・」


この結果から、同僚の研究者たちは食品業界からの猛反撃を恐れて、一斉に背を向けた。博士の他の共同執筆者は、博士の子息、トーマス・M・キャンベル一人だった。


我々が知らねばならない「食」の世界の隠蔽の真実は、これら「マクガバン報告」と「チャイナ・スタディ」の封印によって成し遂げられたのである。こんな歴史があったことすら、我々には知らされていないのだ。“超情報化社会”と言われながら、実際はほとんどの人類は、“操作された情報”の「柵」の中で飼われている“家畜”にすぎないのである。家畜にはそれを抜け出す情報を与えないのが、世界支配の主の鉄則である。

だが、時は我々にこの「柵」を自ら抜け出る契機を与えつつある。
情報の封印の箍(たが)がはずれかけて来ているのだ。
断食のずば抜けた効能や、不食の事実が表に出て来て、我々が信じ込んでいた「食」の世界を揺るがせている。今や、そこから我々自身が独自に情報を選び取り、よりよく生きるために実践する時期に達しているのだ。


【2014/4/3追記】

ワールドフォーラム2010年6月の船瀬俊介氏による講演のダイジェスト版が2014/04/02にYouTubeで公開されたので、ここへ追加掲載しておこう。

船瀬俊介氏『 アメリカ食は早死にする!!』ダイジェスト版ワールドフォーラム2010年06月
https://www.youtube.com/watch?v=w-7mT1f-ntY

『 クスリは飲んではいけない!? アメリカ食は早死にする 』
薬剤医療と食産業の虚妄を鋭くえぐった新刊を著者が語る!
― ハンバーガー・フライドチキンはおやめなさい ―
地球環境・医療問題評論家 船瀬俊介氏

◆「アメリカ型食生活は、まちがっていた!」
 『マクガバン報告』 (『マクガバン報告』―米上院栄養問題・特別委員会リポート 食源病―なぜ、西洋医学は現代病に無力になったのか )
◆動物たんぱくは、最大発ガン物質!―
 『チャイナ・スタディ』 の衝撃(大崩壊―ついに栄養学は完全崩壊した!正しく食べる―それが、あなたの命を救う(キャンベル博士))
◆ 偽りの栄養学―
 "栄養学の父"フォイトの深き罪(肉食を絶賛―「肉を食え!」「炭水化物は食うな」...の狂気:兵士と家畜―それは「戦場の栄養学」「肥育の栄養学」だ


-つづく-
by martin310 | 2014-03-20 19:44 | 「食」の問題

「食」をミニマムにして、この時代を生き抜く法・・・「少食・微食・不食」への道

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さて、「衣食住」の「住」についてのミニマムな暮らしに関しては、今まで「スモールハウス・ムーブメント」ソローの「森の生活」を中心に記して来たが、では、もうひとつ重要な項目の「食」に関して、現在既に実践中のことも含めていくつかを取り上げてみたいと思うのだ。

a0282620_15115825.jpg「飽食の時代」と言われて久しい今日だが、どうもこのありあまる食べ物、腹いっぱい食べる食生活、旨いもの甘いものに群がる欲望の世界、それによって起因する様々な疾病によるまさに病んだ世界という現実は、どうにもおかしいのではないかと、常々感じて来たところだが、それに加えて、添加される化学物質の害毒の温床、さらに危険極まりない遺伝子組替食品の恐怖、迫り来る食料危機のことなど、「食」にまつわる危機感は日毎に大きくなって来ている。ただし、お決まりの“騙しと隠蔽”のまかり通ったこの世界では、これらの真実を明かした情報は極僅かしかないし、その情報を手に出来るのも、危機意識と探究心、好奇心に促された人でしか手に出来ない状況がある。
a0282620_1512116.jpg例え、それらの真実の情報へ辿り着けたにしても、では、実際にどうして自分の身を守っていったらいいのかは、独力で進むにはかなりの労力を必要とする。安全な食物のみを享受することは、実に現実感に乏しいことなのだ。それは、これらの知識を得て、スーパーに並ぶ膨大な食品群を目にしてみればわかることだ。そこから買い物籠に入れられるものは、数えるほどしかない。それでも、不安をよそに妥協しなければ食にはありつけないのが現状だ。なので、ネット上から有機栽培、無農薬栽培、無添加、自然食品のキーワードを探索することになり、自ずと食費はかさむことになる。かくして、目下大きく健康を阻害していないなら、まあいいかという具合に当初の意欲は萎んでいくのだ。

だが、そんな食の安全に関する情報と実践のあいだに逡巡する自分を超えるさらなる情報が飛び込んで来る。それがそもそも、人間にとって「食べる」ことは必要なのか?という大命題なのだ。


※当ブログの「食の問題」に関する情報記事はこちら。

a0282620_15123931.jpg●夏だ、暑いぞ清涼飲料!んんっ、こうやってつくられるのか、なんてこった。これが身体に悪くない訳がない! [ 2013-08-01 22:07 ]
●マクドのポテトの17の原料が明らかに!これでもまだ食べずにいられない?! [ 2013-07-31 21:23 ]
●船瀬俊介の警告!「TPPはモンスター企業が日本を喰い尽くす罠!」 ワールドフォーラム講演より [ 2013-07-28 21:30 ]
●モンサント反対は、地球と人類の多様性の自由への呼びかけ “ヴァンダナ・シヴァ” [ 2013-05-27 21:35 ]
a0282620_15133738.jpg●モンスター食品」が世界を食いつくす! 遺伝子組み換えテクノロジーがもたらす悪夢 - 船瀬俊介 - [ 2013-05-24 21:05 ]
●現代の「食」についての驚愕のドキュメント映画をご紹介。 [ 2013-02-26 21:59 ]
●「福岡正信 自然農法家」 [ 2013-02-24 21:35 ]
●迫り来る、遺伝子組み換え企業「モンサント」の恐怖。TPPで本格化! [ 2013-02-19 14:16 ]
●遺伝子組み換え食品はすでにこんなにあった! [ 2013-02-17 15:48 ]
●これでも食べたいと思いますか? 米ファストフードチェーン取引先の鶏卵業者の実態映像 [ 2013-02-05 16:21 ]
a0282620_15135447.jpg●シリーズ:知らないと生き残れない<6> [ 2013-01-29 19:58 ]
●究極の秘密を暴露: FOOD [Part1] アレックス・ジョーンズ [ 2013-01-22 14:11 ]
●シリーズ:知らないと生き残れない<3> [ 2013-01-14 16:21 ]
●食の世界の人間牧場(家畜を食べる家畜の生産)?! [ 2013-01-14 14:19 ]


そこには、「食べなければならない」という埋め込まれた脅迫観念があるからだと、思い始めたのはいつの頃だったか。これが、「人間は食べなくても生きていける」という事実を知ったときから、この長年に亘って植え付けられた固定観念は見事に溶解していく。
安全・安心な食べ物を拠り好んで食することから、安全な食べ物を少量食す【小食】に、さらに、一日一食で過ごせる【微食】生活へ、最終的には現代の仙人【不食】を目指すということにあいなる。


◆そもそも現代栄養学は正しいのか?
  世界が騙されたフォイト栄養学


我々は常々、“栄養を摂らねば健康を損ねる”と暗黙のうちに信じ込んでいた。そのために、自然に栄養豊富なものを選び取り、身体にいい、健康になると、結果高カロリー食を常態化してしまっている。しかも、一日三食をあたりまえにし、最低1500キロカロリー(成人男子)が必要などと信じ込んでいる。これはいったいどこから来た根拠なのであろうか?

a0282620_1515773.jpgそれは“現代栄養学の父”と呼ばれるドイツ栄養学者カール・フォン・フォイト(Carl von Voit 1831-1908)に帰する。フォイトは徹底した肉食礼賛主義者で「炭水化物(糖質)は栄養が乏しいので摂取を控えるように」と植物食を否定し、高カロリー・高脂肪・高たんぱくの動物食を推奨していた。「良いものは、摂り過ぎるということはない」と、ドイツ国民の成人一人当たりのたんぱく質摂取量は48.5グラムで十分であることを確認していたにもかかわらず、発表したのは、「必要なたんぱく質摂取量は一日118グラム」であると、なんと、フォイトは約2.5倍も露骨な捏造を行ったのだ。それは、バックに食品業界との癒着があったためと推察される。なにせ、1885年までの世界の栄養学研究はミュンヘン大学がその拠点であった。そのミュンヘン大学で、ドイツ生理学界の重鎮として45年間ものあいだ君臨したのは、このフォイトをおいてなかったからである。2.5倍の推奨値は、そのまま食肉産業などの市場拡大が見込めるわけである。
a0282620_17261210.jpgさらに、肉食礼賛のフォイト栄養学は、ドイツ軍部の求める優秀な兵士の養成のために活用された。肉食は、大きな体格、強い攻撃心、敏捷な瞬発力を養うと、肉の多食常食の酸性体質からイライラして攻撃的になる要素を利用して、戦争のための栄養学として認められたのである。
ところがフォイト栄養学には何の医学的・科学的・統計的な根拠がないと今日言われている。そして、後の研究者たちには、「強いて言うなら、それはフォイトの個人的な空想の産物にすぎない」と批判されているのだ。

フォイトの大罪は、この“偽りの栄養学”を「近代栄養学」として、全世界に広めたことにある。この世界伝播に貢献したのはフォイトに忠実な弟子たちであるが、彼らは「科学」の衣を着せて世界を何なく捏造した理論により騙せたことにある。ことに、アメリカでは、フォイトの118グラムをさらに越えて、126グラム摂取すべきであると広められたのである。ちなみに、現在の数値は、推奨値55グラム(成年男子)、46グラム(成人女子)に改められているのを見れば歴然だ。

a0282620_1518367.jpgさらに、現在では「食べず」に生きる人たちの実例が次々に紹介されている。
一日50キロカロリーの青汁一杯だけで17年間も生きている“森美智代”さん。
不食を基本に、食べたいときは微食を実践する“山田鷹夫”さん。
不食の人、東京弁護士会の秋山佳胤弁護士。などなど・・・。
限りなく0に等しいカロリー摂取量で悠々と無病で生きる人の真実を知れば、如何にこのフォイト栄養学がつくり出した「食」の常識世界が欺瞞と捏造に満ちたものかがわかるはずだ。人間は食物をガソリンのように燃料にして動く機械ではないのだ。食物の栄養はほんの僅かでも、それ以外の未だ知り得ない要素によって細胞は活性化され、疲労や老化や病を生み出さない肉体に変わることは可能なのである。

a0282620_15173981.jpg以上、徳間書店刊、船瀬俊介著、『「長生き」したければ、食べてはいけない!?』をもとにまとめる)

-つづく-
by martin310 | 2014-03-20 15:35 | 「食」の問題

型にはまって生きていては、真の自分の可能性には気づかない。自分の手でつくる家と暮らし:ソローの生き方

もう少しソロー(Henry David Thoreau)のセルフビルドな小屋づくりについて、知り得たことを記しておきたい。
このことは人間が生きる為の三大要素、「衣・食・住」うちの「住」について、今まで掲載してきた“スモールハウス”な住環境の提案の流れにあるものでもあり、且つ又、“人が住まう”という環境と家という根源的な要素について、現代から忘れ去られた、自然の中に人間として実感ある居住という手ごたえのある暮らしを実現するための、重要なヒントが隠されていると思うからでもある。
ソローが今から160年も前に、2年と2ヶ月、自らの人生の方向をして、まさに生身の自分を実験台にして、ウォールデンの森へ住み、数々の自然探索と人と社会、自然と文明などについての膨大な思索と探求を遺したことは、160年後の、ソローが想像だにしなかった文明の発展の末の、この空虚で手ごたえのない、生気を失った人々の暮らしの本源に、必ずなんらかの叡智を授けてくれるものと思えるからである。

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a0282620_22473369.jpgソローがウォールデン池の北の入り江の奥に、小屋を建てようとあたりの森の木立の伐採を始めたのは、1845年の3月の終わり頃だった。
彼はそのため、斧を友人から借りて、小屋の柱に使うストローブマツを何本か切り倒すことから始めた。彼が斧を借りた3人の友人のひとりは、『自然論』で著名な「超絶主義」を唱えたラルフ・ウォルドー・エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-1882 )だった。
何を言おう、もともとこのソローのウォールデンでの自給自足生活の試みが実現出来たのは、この土地の持ち主であるエマソンがいなければありえなかったことであり、当然、その試みが出来なければ、ソローの『ウォールデン―森の生活』もこの世に存在しなかった訳である。エマソンはソローの思想的な師であり、また、同郷人の友人でもあったのだ。(エマソンはその後さらに、ウォールデン池の周囲の森も買い足し、1922年に子孫が州に土地を寄付して、州立公園となった)

a0282620_22475690.jpg調べてみると、コンコード村の駅近くのソローの家族の家と、エマソンの家とは2㎞と離れていない。斧を借りたもうひとりの友人、エイモス・ブロンソン・オルコットの家はそのエマソンの家から1㎞くらいで、共に家は近く、村内の友人でもあり、また、この時代思潮を先導したコンコード・サークルのメンバーでもあった。ちなみに、エイモス・ブロンソン・オルコットの次女のルイザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott, 1832-1888)は、のちにあの有名な自伝的小説『若草物語』を書いた作家である。『若草物語』の中のローレンス氏のモデルは、エマソンだと言われている。ソローは、若い頃、エマソンやオルコットの子供たちを、森や丘でインディアンの遺物とか植物や動物の標本を集める時に連れて行ったり、舟遊びに誘ったりしたようだ。

a0282620_22481957.jpgソローは20歳のときに、エマソンの『自然論』を愛読し、ハーバード大学でのエマソンの講演も聴いている。その後、エマソンとの親交を深め、エマソンを通じてオルコット一家や、詩人のウィリアム・エレリー・チャニングを知ることになる。このチャニングも斧を借りたひとりである。
ソローは、兄と共同で開いたコンコード・アカデミーを、兄の病の為に閉鎖した後、エマソン宅にその後2年間も寄寓している。このような親密な関係から、キャビンを建てる土地を無償で借りられる恩恵を受けることになったのだろう。



「私が作業をしたのは、美しく心地よい穏やかな傾斜地のマツの森でした。木々の間からウォールデン池と、マツとヒッコリーの幼樹が勢いよく伸びる森の中の小さな草地が見えました、池はまだ凍結したままで、全体に春らしい池の底が透けた暗い色をしていました。」(ウォールデン―森の生活)


ソローは何日間か、ひたすら斧で木を切り倒して削り、刻んで、柱や間柱(まばしら)や垂木(たるき)を作った。柱に使う材は、用材を6インチ角に仕上げ、間柱の大部分は二面を、垂木と板材は一面だけを平らにし、後の面は樹皮をつけたままにしたとある。
a0282620_238222.jpgつまり、ソローのキャビンは、その地に茂っていたストローブマツの四面を削って柱用の角材にしたり、二面だけを削って垂木にしたり加工したようだ。また、どの用材も端には慎重にほぞを切ったり、ほぞ穴を開けたりしておいたとあり、その為に、幾種類もの大工道具も知人から借りていたようだ。
そして、4月の中頃には、各用材の下ごしらえを終え、家の骨組みを地面で組み上げて棟上の準備を整えたと記されている。棟上は友人たち(これもエマソン、オルコット、チャニング他の5人)の応援を頼み、立ち上げた。
予め組んだ枠組みを立ち上げる方法は、どうもツーバイフォー的な建て方だ。このあたりに、我々がやっている小屋作りの原点がありそうで、いっそうソローとの親近感を勝手に感じるところだ。だが、現在のように、ホームセンターに行けば、規格化されたSPFなどのツーバイ材がどこにでもある時代と違い、すべて自分で加工し、調達したのには頭が下がる。もちろん、電動工具などまったく陰も形もない時だ。すべて人力でやらなければならない。

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さらに、彼は立ち木を用材にしただけではない。中古の小屋を買い取り、その古材を再利用している。家の壁面に使った平板はこれを用いたものだ。
彼はその古材を入手する為、当時、ウォールデン池を掠めて走るフィッチバーグ鉄道の建設後のアイルランド人工夫が使っていた小屋を買い取っている。ボストンからコンコードまでが開通したのは、ソローが小屋を建てた前年だった。それ以西の工事はさらに進められ、その度に工夫は新たな場所に移るのだ。
a0282620_22491889.jpgソローはジェームズ・コリンズの掘っ立小屋をひとりで解体し、手押し車で建設地へと運んだ。線路とソローのキャビンとは、最短で500mほどだった。ソローは「何時の汽車」というように、当時、蒸気機関車がすぐ近くを通過する場所に住んでいたのだ。コンコードの町へ出るには、この線路を歩いて行ったようだ。それが最も便利に行けたコースのようだ。

a0282620_22493677.jpgソローは次いで、キャビンの床下にあたる場所に、野菜貯蔵庫用の穴を掘った。その穴は、ウッドチャック(地中に直径15cmほどのトンネルの巣穴を掘る。長さは最長で15mで、掘り出した土は入口に塚をつくる)の掘った巣穴を掘り下げ、広さは2.5m四方で深さは3mもある。これで厳冬期でも、ジャガイモを凍らせずに済むようだ。

さらに、ソローは家を建てる前に、1ヘクタールほどのふかふかな砂地に作物を植えつけた。インゲンを中心に、ジャガイモ、トウモロコシ、エンドウ、それにカブをつくった。収穫期にはこれが売れて、キャビンの建設費の一部を補うほどになったようだ。翌年にはいっそう腕があがったが、自分で食べる以上の作物はつくらないようにしたようだ。

「私はこの八か月に続く二年近くの森の暮らしを、イーストを使わないライ麦とトウモロコシの粉、ジャガイモ、米、ごく少量の塩漬けの豚肉、糖蜜、塩で生きました。飲み物は水だけでした。インドの哲学をこよなく愛する私には、主食のひとつとして米を食べて暮らせるとわかったことも、素晴しい経験でした。」(ウォールデン―森の生活)

ソローは、ライ麦とトウモロコシの粉で家の外の焚き火でパンを焼いていたようで、かなりの粗食に徹し、「食」に関してもミニマムな暮らしを実践していたようだ。だが、ときには村の友人宅の食卓へ招待されて、ごちそうをいただいたりすることも愉しみのひとつにしていたようだ。
水はもちろん、湧水池であるウォールデン池の水を飲んでいた。しかも、早朝の水浴びはそのウォールデン池で行った。それがソローの毎朝の心身の浄化の儀式だったようだ。

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ソローは3月の終わりから始めて、3ヶ月間、小屋の建築を続けて来て漸く、7月4日に森に移り住んだ。だが、壁面の漆喰はまだ塗っておらず、暖炉の煙突もまだ組んではいなかった。だが屋根はこけら板葺きで、この作業の出来は完璧だったと、自画自賛している。外壁は、水を漏らさないしっかりしたこけら板張りを施し、室内の家具の一部も自作したようだ。

a0282620_23105988.jpg暖炉や漆喰壁が完成したのは、冬が来る直前だった。暖炉やチムニーの製作には、古煉瓦を1000個も使い、足りない分は池畔にある石を拾って来て代用したという。煉瓦をつなぐモルタルは、岸辺の白い砂を焼いて作ったというのだから驚きだ。
そして、内壁は漆喰の下地にする木摺(きずり)を組み、それへボートで対岸から運んだ白い混じり気のない白い砂を原料にした漆喰を、捏ねて鏝(こて)で塗り上げたという。

ソローは思想家で超絶主義者、文筆家で詩人、博物学者でもあるが、その旺盛な探究心と技術的なノウハウの取得術についても、並大抵の技術者肌ではなかったようだ。ソローには、机上の思索者は似合わず、すべてが実践、現場主義者であり、創成期のスモールハウスビルダーであり、いわゆる今日でいうD.I.Yの元祖でもあるといえる。

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a0282620_2321103.jpgソローの書いた『ウォールデン―森の生活』には、このようなハウスビルドに関する記述はわずかで、実際はそれ以外の広範な領域にわたる学術的な、或いは思想的な、また若者たちへの助言としてなど、様々な要素を持った記述に占められている。そこから今尚、各分野の研究者がソローの示した探求の沃野をもとに独自の研鑽を積んでいるものと思えるが、さらにまた様々な興味で読もうとする我々読者にも、160年の時を越えた普遍的で、斬新な、目を見張るヒントの数々が示されているものと思う。
今一度、ソローが遺した珠玉の言葉の数々を味わおうでないか。

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      【ソローについての当ブログの関連記事はこちら】

  ●ソロー『ウォールデン―森の生活』~私は、今を生きたいのです。
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  ●今宵はこの音楽・映像と共に、ソローの言葉を噛み締めて眠ろう。
    http://martin310.exblog.jp/17777363 (2013年05月12日)
  ●忘れてはならない、デイヴィッド・ソローこそ、スモールハウスライフの
   創始者だった。

    http://martin310.exblog.jp/19539069/ (2014年03月06日)
  ●神と天国に一番近い場所。そこは、ウォールデンという湖のほとりだ。
   Henry David Thoreau

    http://martin310.exblog.jp/19552037/ (2014年03月10日)

by martin310 | 2014-03-13 23:14 | 田舎暮らし

神と天国に一番近い場所。そこは、ウォールデンという湖のほとりだ。Henry David Thoreau

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ソローが住んだウォールデン(Walden Pond)とは、いったいどんなところなのであろうか?
ソローの手記の中で描かれた詩的世界のウォールデンから、現実のかの地を出来る限りの手立てで探索してみようと思った。もちろん、あまりに遠い憧れの地へとは実際に出向くことは叶わない。よって、ネット上の情報検索を駆使して、今、知りえるもので自分なりのウォールデン像を組み立ててみたいと思ったのだ。

ソローがこの地へ自分で小屋を建てて住んだときより、時代はもはや160年も経過している。160年という時代の推移はあまりにも夥しい時の距離だ。何せ、当時日本では幕末。異国船が日本近海に出没し、日本は開国を勧告されていたような時代のはしりだった。当のアメリカは、メキシコとの戦争が始まった時代であり、奴隷制度に対する反対運動も盛んな時であり、いわゆるあのゴールドラッシュに沸いた時代でもある。そのアメリカからペリー艦隊が浦賀に来航したのは、ソローが『ウォールデン―森の生活』(Walden, or Life in the Woods)を出版した1854年の前年のことだった。


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※上部の横型の小さな水面がウォールデン池。ソローはおよそこの画面の地域を歩き回っていたことだろう。


ここアメリカ、マサチューセッツ州のコンコードは当時よりどのくらい様変わりしているのであろう?
Google Mapで見たところでは、まず画面を埋めるほどの緑に覆われているのが目に入る。森のあいだにいくつもの湖沼が点在する自然景観は、一部の開発は当然あっても、かなり自然保護の規制は厳格に守られているように見える。ウォールデン池のまわりは北側に住宅地やハイウェイが見えるが、概して自然環境に大幅な乱開発はないように見える。これもおそらく、ソロー信望者の聖地として、彼の存在と影響力によるものだと思える。

a0282620_155173.jpg実際、近年ではこのウォールデン池周辺は、一時レジャー開発の手に渡ろうとしていた危機があったが、なんとあの伝説のロックバンド“イーグルス”ドン・ヘンリーがウォールデンの森をめぐる州の保護地区の拡大を求めて、「ウォールデン・ウッズ・プロジェクト」という、非営利運動を興して守ることに成功し、今に至っているようだ。ドン・ヘンリーもまた、筋金入りのソローヴィアンだったのだ。(彼はアメリカ文学に造詣が深く、大学時代にHenry David Thoreauで卒論を書いたことが確認されている)

ソローを初めて読んだのは少年のとき。
こういう風に感じ、考え、生きたアメリカ人がいたということに、強い衝撃を受けた。
西テキサスの原野に育った少年のぼくに ソングライターになる勇気をくれたのは、ソローのつらぬいた臆することのないシンプルさ、真摯さだった。

                                     Donald Hugh Henley


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※クリック(2ステップ)で拡大します。

さて、そもそもコンコードのウォールデン池はいったいどこに位置しているのかからとりかかろう。
マサチューセッツ州はアメリカ合衆国の東の端。ウォールデン池は、ボストンから西へ30㎞弱の距離にある。(上図を参照)
五大湖の東は、無数の湖や沼が点在している地形で、その一角にウォールデン池はある。
緯度は北緯42.4度というから、日本でいえば北海道の道南あたりの緯度にあたり、おおよそ登別あたりといっていい。
ソローの著書のタイトル『森の生活』からか、どうも標高のある山岳域の森の中の湖というイメージを抱きがちだが、実際には平坦な広域に広がる湖沼地帯の森であることは意外だった。多少の起伏はあっても、山という山は限りなくこの周囲にはない、日本では考え難い地形となっているようだ。

ウォールデン池の周囲は2.7㎞。伊豆の伊東にある一碧湖でも周囲3.7㎞あるので、2.7とはかなり小さい。だから湖(lake)でなく池(Pond)なのだろう。最大水深は、33mもあり、堆積氷河が溶けた後にできた穴でケトルという特有の地形のために、小さいながらこれだけの水深があるようだ。標高は50mしかない低地だ。

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ソローが小屋を建てて住んでいた場所は、このウォールデン池の北端、北側に入り込んだ入り江の奥だった。(上図左の白い矢印)現在はソローのキャビン跡地には礎石があるだけだ。
よく目にするソローのキャビンのレプリカは、東側のRed Cross Beachの岸辺に建てられている。(上図右の白い矢印)このキャビンのある地域には、道路(Walden st.)が隣接しているので、Googleのストリートビューでこのあたりを散策してみると、樹間からウォールデン池の水面が一部見える箇所がある。以下の画像がそうだ。なんとヴァーチャルにも、ソローの見た現場に行っているような気がして、実にリアルな空気が漂う。

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Walden st.はこんな感じで、林相は実に気品があって美しい。日本でいえば長野県あたりの高原の雰囲気だ。ちょうど蓼科の女神湖あたりがよく似ている。
この林相を見てわかるのは、ソローの歩いた森の樹々はかなり品格のある種類の樹木であり、姿の美しいものが群生していたであろうと思える。ということは、地勢的に地場のエネルギーが高い地域であったと直感するのだ。

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a0282620_158336.jpgソローは一日に4時間以上もキャビンを出て丘や野原や森を歩いていると言っている。確かに、先に示した航空写真でわかるように、ウォールデン池周辺は実に野趣に飛んだ自然が豊富にあり、ソローの散策のエリアはかなり広域の範囲に及んでいたことだろう。一日4時間以上歩くというのは、もちろん途中、気になれば思うがまま、一時佇んだりしながらの散策であろうが、実際、相当な距離を歩くはずだ。昔の人であるので、それも苦でないとはいえ、ソローはかなりの健脚だったことが想像できる。
「行き先を考えずに歩く。そうすれば、自然と正しい方向へ導かれる」とも言っているとおり、方角を読み取るような直観が磨かれ、ランダムなコース取りであっても、必ずキャビンへ戻れる本能を発揮していたのだろう。だから、はじめて遭遇し発見する獣道も彼の感性を刺激するものだっただろうし、そこで出会った動植物たちとの邂逅も、思索しながら歩む、彼の理性に新たな拡がりをもたらしたことだろう。


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a0282620_1585414.jpgソローのいたキャビンから、コンコードの町までは4km弱。ソローはウォールデンにいた2年2ヶ月のあいだ、必要最低限の生活の資を稼ぐため、都度々町に出ては、講演をしたり、日雇いの測量の仕事をしたりしてこの地を出ていた。彼は人気のまったくない山岳の奥地に隠棲していたわけではない。割と人々の生活圏とは近い領域にいて、森と湖に囲まれた孤独な暮らしのなかで、自然と人生に向き合える場として、このウォールデンに2シーズンを過ごしたのだ。

今、ウォールデンの画像等を見ながら感じるのは、やはりこの地はソローが選んだだけのことはあり、優れて地のエネルギーが高く、湖(池)には天からの波動の高い光が降る場であると思える。特に、ソローのキャビンを建てた北端の入り江の奥は、ことのほか「氣」が池に向かって拡張しているポイントに当たるような気がする。そのことは、このエリアの「氣」の核、センターのポイントに位置するということだ。
彼はこの「氣」のポイントにいて、天から降る光と地から湧き起こるエネルギーに促されて、創作の力としていたのだろうと思えるのだ。それゆえ、創造者のいた「場」を見ることは、天の意思を感じ取る大いなる意味があるのだ。


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by martin310 | 2014-03-10 15:17 | 田舎暮らし

忘れてはならない、デイヴィッド・ソローこそ、スモールハウスライフの創始者だった。


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a0282620_20321995.jpg1845年3月末、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)は、アメリカ・マサチューセッツ州コンコードから南方1マイル半(3.8キロ)のウォールデン池畔にある彼の友人で師でもあったラルフ・ワルド・エマーソンの所有地に丸太小屋を建てるため、エイモス・オルコットから斧を借り、池畔の森の木の伐採を始めた。やがて5月の始め頃、丸太小屋の棟上げを行い、7月4日、アメリカ独立記念日に入居し、自給自足の一人暮らしを始めた。ソローはそのキャビンで、このときより2年と2ヶ月を暮らした生活の記録を一冊の本にまとめた。「Warlden,or Life in the woods」“ウォールデン、森の生活”である。

ソローは、「森の生活」の中で、このキャビンの様子をこう記している。

「冬が来る前にチムニー(煙突)を築いた。それから、すでに雨じまいしてあった外壁にウッド・シングルを張った。このシングル(こけら板)は丸太を削った時の外側の不揃いな生の板で、僕はそのはじを鉋(かんな)で真っ直ぐにしなければならなかった。
こうして、しっかりとしたシングル張りで漆喰塗りの家が出来上がった。間口10フィート、奥行き15フィート、柱の高さ8フィート。屋根裏部屋と押入れ、両側に大きな窓がひとつずつあり、ふたつの落とし戸、ひとつのドア、その反対側に煉瓦の暖炉があった。僕の家の建築費の明細は次の如くであった。」


・板/8ドル03セント
・平板/8ドル03セント(大部分は解体した小屋の廃材)
・屋根と外壁のこけら板/4ドル
・木舞(下地板)/1ドル25セント
・ガラス入りの中古窓(2個)/2ドル43セント
a0282620_96368.jpg・古煉瓦1000個/4ドル
・石灰2樽/2ドル40セント(高すぎ)
・羊毛または馬の毛(断熱材)/31セント(多すぎ)
・暖炉の炉口の横架材(鉄製)/15セント
・釘/3ドル90セント
・蝶番と木ネジ/14セント
・掛け金(ラッチ)/10セント
・白亜(チョーク)/1セント
・運搬費/1ドル40セント(多くは自分で運んだ)
 計:28ドル12.5セント


a0282620_20302784.jpgソローのキャビン(スモールハウス)は、現在の価格にしておよそ100万円位をかけてハンドメイドしたもので、決してみすぼらしい“掘立小屋”ではなかった。(現在のソローのキャビンとされている建物は、コンコードの“ソロー・ライジアム”の庭に復元されたレプリカ)
3×4.5メートルのキャビンは13.5㎡、およそ4坪という広さ。ジェイ・シェファーのスモールハウスの10㎡弱よりはやや広目ということだ。それに、屋根の三角のトラス部分はロフトとして利用していたらしい。だが、ロフトをスリーピングルームとはせず、ソローは1階にベッドを備えて寝ていた。
それに床下に野菜保管庫としての室を備えていて、床板を外せば今のキッチン収納庫のようなつくりになっていたようだ。

上記の建築費明細を見ればわかるように、防寒対策もされており、断熱材に羊毛を利用している。これは、現在でもディー・ウィリアムズが羊毛や古ジーンズの断裁したものを彼女のスモールハウスに断熱材として再利用していることからも、アメリカでは昔から利用されていたものらしい。日本には“方丈庵”を見るように、断熱材的な発想は近代までなかったのかもしれない。(“方丈庵”は庵なのだからもともと雨風をしのげればよしの仮の建物だから当然だが)もっとも、ウォールデン池は冬季には全面凍結し、氷点下20度くらいにまで下がる寒冷の地であることから、家建築には当然の措置だったのだろう。
そうだ、ソローはこのウォールデン池の氷を切り出す作業の光景を記していたくらいだから、やはり相当な厳寒の地であることは確かだ。そして、ここの天然氷はその事業主であるフレデリック・テューダー(1783-1864)を「アイスキング」と呼ばせるほどの一大事業にしていたが、なんとこの人物はあのターシャ・テューダー(1915-2008)の曽祖父であったことには驚く。

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なんといってもソローのキャビンの特徴的なのは、古煉瓦1000個を使って作ったという暖炉とチムニーだ。これだけ立派な暖炉を備えていたなら、このキャビンの小空間なら充分な熱量が期待できただろうと思える。現在の価値からいえば、この暖炉とチムニーだけで当に100万以上の価値があるだろう。
外には薪小屋まで備えて、ここにたった2年と2ヶ月を過ごす家にしては、随分と贅沢でスタイリッシュなスモールハウスだったように思える。

a0282620_20305335.jpgソローのキャビンの見取り図を作ってみたが、キッチン関係については不明なので入れていないが、おそらく暖炉まわりにそれらしきものがあったのだろう。池畔の森に囲まれたキャビンでは、このくらいの装備で独り暮らしではかなり快適に暮らせたのではないだろうか。

ソローがこのキャビンをハンドメイドで建てたのは、彼が27歳のときだ。
彼はハーバード大学出身のインテリジェントで、コンコード・アカデミーで全人教育を目的とした私塾を兄と共同で開いたり、当時のコンコードサークルの作家たちとも交友があった知識人だった。
その彼が、“森の生活”を志向し出したのには、コンコード・アカデミーを共に運営していた兄の突然の死もあったであろうし、その後の孔子の研究による、東洋思想への接近もあったのではないだろうか。

「僕がウォールデン・ポンドに行ったのは、そこで安く暮らそうとか高く暮らそうとか思ったからではない。僕はそこで、自分だけのある仕事を出来る限り何にも妨害されずにやり遂げようと思ったからだ。」

生活する時間を出来る限り切り捨て、時間の大半を精神的なものに充てるこの時間の中で、何が人間にとって本当の幸せなのか、ソローは自らの考えを深めてゆく。

「人は暮らしを簡素にすればするほど独り居は独り居でなく、貧乏は貧乏でなく、弱点は弱点でないとわかります。」

a0282620_911829.jpgソローは、本当の人生、本当の自分を発見するために、このウォールデンのキャビンでのスモールハウスライフをはじめたのだった。

「なぜ貧しいのか。それは、家という常識に絡め取られているからだ。」

「自由になれるのに、自由にならないのはなぜなのか。奴隷になるために自由はあるのではない。」

「死ぬ間際に人は山ほど多くの真理に気づく。財産を築いても無駄であることも知る。」
- ヘンリー・デイヴィッド・ソロー -

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by martin310 | 2014-03-06 20:35 | 田舎暮らし

こんな優れたスモールハウスが800年前の日本にすでにあった! 鴨長明の“方丈庵”


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5年ほど前に京都の下鴨神社に行ったとき、その境内の摂社で、あの「方丈記」で有名な鴨長明の「方丈庵」の再現された瀟洒な小さな建物を見たのを思い出した。
確か説明板には移動可能な建物としてもともと設計されていたという旨のことが記されていたと思う。見た目にも、細い柱と梁に板状の壁で出来た本当に粗末な建物だったことを覚えているが、今ネットの情報で調べてみると、実に精密に機能的に出来た庵だったことがわかる。
わずか一丈(3.03m)四方(2.8坪)の限られた空間を絶妙な設計プランで、生活と精神二つの場につくりあげている。しかも、外回りも使い勝手よく釜場や水場、庇が配置されている。
構造的には、日本の伝統工法である木造軸組構法をとっているものの、簡易な柱と梁をもとに、パネル状にした壁を取り付けただけの、いわばプレハブ的な発想でつくられた建物としては画期的なものだ。解体しても部材の量が少ないことから運搬も容易で、いわばどこにでも建てられる自由度の高いスモールハウスと言える。

しかし、自然素材だけで出来たものであるだけに、耐久性や断熱性などはもちろん掘っ立小屋だけに脆弱なものだ。断熱材などない時代に、京都の厳冬期にここで眠るというのは、かなり過酷なものだったろうと思われる。が、しかし、当時の家屋は皆そうだったのだから、これはこの建物だけに限ったことではなかったとも言える。思うに、せめてロフトの発想があれば、地面からの冷気から逃れ、また空間の活用度もあがったろうにと思う。というか、どちらかと言えば、夏向きの庵であったようにも思う。実際、冬はかなり厳しいはずだ。

こんな時代に、これほどミニマムな空間で、しかも、組み立て解体が容易で、移動可能な住居を発想し、実践していた鴨長明という、スモールハウスの日本の創始者にあらためて敬意を評したい気持ちだ。

以下に、この「方丈庵」について、建築の専門的な詳細な構造図とともに解説された秀逸な記事があったので、転載させていただいた。
これが日本のスモールハウスの原点なのかもしれない。



「アトリエかわしろ生活館」さんのblogより
http://seikatsukan888.blog112.fc2.com/blog-entry-49.html

鴨長明の方丈庵

小鳥の巣のように身近な材料でつくられた、限りなく自然で環境を傷つけない住まい。
あるいは、20世紀を代表する建築家の一人である ル・コルビュジエ(Le Corbusier)が晩年を好んで過ごした簡素な休暇小屋の姿。

飾り気のない、ちいさな小屋のような家は、 普通の生活という意味では不便この上ないに違いありませんが、今でいうサスティナブルなライフスタイルを究極にまで突き詰めた住まいが、およそ800年前に京のはずれの人里離れた地(現在の京都市伏見区日野町)に実在していた事をご存知でしょうか。
きっと、多くの方がご存知のはず。
「方丈記」の作者として知られる 鴨長明(かものちょうめい)が自ら設計し、晩年の住まいとした「方丈庵」がまさにそうなのです(図1)。


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方丈庵 は、方丈記の詳細な記述をもとに、中村昌生(工学博士)の監修により復元されていて、長明ゆかりの下鴨神社摂社、河合神社内でみることができます(糺の森の一角にあります)。

鴨長明は神官の家系に育ち、和歌や音楽に秀で、宮中に仕えますが、50歳の時に出家し、各地を転々とした末、どこでも好きな場所に移動できる最小限の住まい。 つまり、容易に組立てが可能で、解体すると車二輌で運搬できるという画期的なアイデアを思いつき、実行します。
それは、一丈(3.03m)四方のワンルーム空間を、地面に石を据え、土台を載せた上に柱梁を組み、杉皮数枚を重ねて屋根を葺き、棟に竹を置き、薄い板でつくられた軽量パネルの壁や建具をはめ込んだつくりで、ざっと5m四方くらいの平坦な土地があれば、人里離れた山中であっても地面を掘り起こす必要もなく、2・3人の大工さんの腕にかかればものの半日で完成してしまうような、きわめて理知的で洗練された住宅なのです。

わずか一丈四方の住まいの様子は、方丈記に詳細に記述されていて、その内容はインテリアにまで及んでいます(図2)。


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それによると、一丈(3.03m)四方のうち、たった半分のスペースが食事や就寝などの 生活の場」に充てられ、残りの半分をちいさな衝立を使って更に二分し、それぞれを「仏教の修行の場」と「芸術の場」に特化してしまったのです。もちろん 壁や建具で仕切ることなくワンルーム空間の状態でです。

室内に唯一つ設けられた吊棚にはたった3つの革かごが置かれますが、そのなかには和歌、音楽、仏教に関する書物が収められたそうです。つまり、生活には限りなく何もないくらいの状態にしても、芸術や修行のためには譲れないという強い信念があったのでしょう。
驚くことには、移動に配慮してわざわざ折りたたみ式や組立て式の琴や琵琶(びわ)を所有し、その置場所までちゃんと決めてあるのです。

肝心の、しかし真の芸術家である長明自身にとっては左程肝心ではない「生活」の方はというと、蕨(わらび)か何かを編んだ夜具に横たわり、外に差しかけた庇の下に竈(かまど)を設け、山から木の実などを集めて調理し、衣類もきっとそれ相応だったのでしょう。
長明は、普通の人では逃げ出してしまうかもしれない暮らしを、
「都の華やかな暮らしとは違う、季節ごとに趣の深い暮らし」と語り、山の番人の子どもが麓から訪ねてくる様子や、鹿が峰から訪ねてくる様子を説明してくれます。

薄い板一枚隔てて聞こえてくる風の音、水の音など、自然の音を背景に琵琶を奏でる。そのような住まいを長明は、
「何のためらいもなく、自分に正直になれる家」なのだと告白するのです。




京都 河合神社 鴨長明 「方丈記」草庵
http://www.youtube.com/watch?v=u8KRt3RbNKY


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by martin310 | 2014-03-05 10:57 | 田舎暮らし

スモールハウスムーブメント -4- 経済至上主義のメインストリームからの離脱 (デヴィッド・ベルの場合)


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オーストラリアのデヴィッド・ベル(David Bell)は、メルボルンに住み、仕事を続けながら、そこより200kmほどの場所に土地を求め、週末に通いながらセルフビルドで家を建て、時期をみて完全移住を果たした。(200kmを週末に通い、スモールハウス建築に勤しんだというが、考えてみると大変な距離だ。東京⇔静岡間に匹敵する。それと重労働。超人的な体力だ)
彼の土地は約2000㎡もあるが、価格は55万円、自作のスモールハウスは築面積10㎡(この大きさが規制外の自由度のよう)とスリーピングロフトの建物で75万、それに別棟を2棟増築し、大きな雨水の貯水タンクもある。
それにしても、約600坪もの広大な土地が55万とは、実に夢のように安い。坪単価1000円を切っているのだから凄いことだ。国土の違いがまざまざと出ているが、我が国でも山深い山林のどうにも使い道がないような土地なら、千円単位のものもあるようだ。森の一部の土地なら、300坪もあれば十分すぎるほどだが、思うような土地に出会えるかは、人の出会いのように運命的でもある。

a0282620_15504739.jpgベルの家は、通常の長方形でなく“コの字形”をしている。キッチンのシンクとレンジのスペースを迫り出させて室内空間を広く有効に使えるように工夫しているのだ。
すべての屋根からは雨どいを通して雨水タンクへと雨水が集めれ、これを生活の様々なものに利用している。専用のセラミックフィルターを通すと飲めるほどになるようだ。(ただし、飲用には別の水を確保しているらしい)
ソーラーパネルは85Wのもの1枚しか設置していない。これは夜間の照明や充電の必要な小型端末類やコーヒーミルくらいが使用の限度のようだ。
a0282620_1552682.jpg他に、小型のプロパンガスのタンクが見えるので、ライフラインはこのくらいのものでまかなっているよう。つまり、ベルの家は電気、水道、電話は引かずにいるので、まったく建てた土地の自由度はすこぶる高い。法的にOKならどこにでも建てられるミニマムな設備という訳だ。
屋根下の外壁から飛び出ている奇妙なものは、風で回ることで室内のシーリングファンをそのまま回す為のものらしい。(電気を介さないファン)
トイレは別棟の中に設置しているようで、おそらくコンポスト・トイレと思われる。
それに敷地には菜園をつくり、野菜づくりをして食糧を確保しているようだ。

なにしろ、家賃やローンはもう一生かからないし、野菜をたくさん作ってるから、食費だってかからない。つまり、生活費なんてほとんど要らないんだ。

ベルは、この生活で経済からの自由を獲得し、好きな本と絵画に囲まれ、明るい色彩に塗られた室内で音楽を聴きながら自由な時間を過ごし、晴れた日には畑に出てこつこつと作物を育てる。お金は作物の出荷と簡単な手仕事で現金を得て、まさにソローリストのスピリットそのもののユートピアを持ったのだ。


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この経済からの自由は、簡単に思えるが実際はかなり精神的ハードルは高いと言える。つまり、一般人の「稼がなくては生きてはいけない」という通念を覆し、「稼がなくても生きてゆく」という実体のある生き方を実践していくことだからだ。そこには、実生活の中でのお金の出入が限りなく少ない仕組みに徹し、もちろん貯えの乏しさにも不安を持たない天真爛漫な意識を持っていることが大切だ。
逆に言えば、我々をお金の力で支配している集団は、金儲けや消費に関する絶対的な礼賛の倫理を信じ込ませることによって、我々の不安をもとにした陰の意識をコントールして、現在の世界を掌握しているとも言える。
この呪縛から逃れる具体的なプロセスになり得るのが、スモールハウスなのではないだろうか、そう著者である高村友也氏は『スモールハウス』の中でも述べている。
「空回り経済」の悪夢の中で翻弄され、自由を奪われ、自分を忘れる生き方から、経済至上主義のメインストリームから離脱し、自分本来の自由を取り戻せる可能性が、このスモールハウスムーブメントの低層を静かに占めている気がするのだ。

「小市民的不服従」という行動は、自らの信念に反する法律や圧力に関して、それらの発動源である権力や政府を暴力や暴言によって攻撃することなく、淡々と拒否することをいう。」(『スモールハウス』より)

「小市民的不服従」の輪が、日本の人のいない山野に静かに拡がっていく・・・スモールハウスムーブメントはまさに人の生き方の道を開いて行く。

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  鴨長明の“方丈庵”

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 スモールハウスライフの創始者だった。

 http://martin310.exblog.jp/19539069/ [2014年03月06日]
by martin310 | 2014-03-03 15:55 | 田舎暮らし