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伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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神秘の夕景に見るものは、・・・自然界の現象のもたらすもの。


a0282620_18511876.jpg
▲3000メートル級の山からの光景?いや、その1/10の高さの我が家からの夕景。雲が下界にたなびく・・・こんな風になることもあるのだ。


これらの画像は、我が家の前の路上から、西の駿河湾側を望んだ夕日の光景である。
西の空が茜色に輝くとき、たまたまその時間帯に家に居合わせたときは、空の気配に気づくと、すかさずカメラを手に庭先に飛び出して行く。この、時間にして1分にも満たないタイミングを失わずに、落日の光景に露出を合わせられるかが勝負どきなのだ。とはいえ、常にその瞬間を狙っているわけでもなく、ただ、美しい自然の織り成す秀麗な景色を、そのまま視界に留めおくにしてはあまりに希少めいて心細く思えるので、ひとつの「画」として残したい思いに駆られてのことだ。
撮るかどうか迷っているうちに、輝かしい一期一会の光景を取り逃がしたときの口惜しさは、眼前に広大で崇高な神のドラマを無にした怠慢さに後悔の念に苛まれる。そういう思いを残さぬようにと、決断後のダッシュを心掛けることにしているのだ。

もうこのとき、この瞬間しかない、神秘の像を留めおけるかどうかが、その場に居合わせた自分の役だとして勝手に思い、それに従うまでで、ときに曖昧にして意志固まらず、撮り逃したときの不甲斐ない思いは、これを見せてくれている大いなる意識に向かっているのかもしれない。
というのも、ここにあるような光景はそう易々と対面できるものではないのはもちろんのこと、自分以外にこの場、このときに画像としておさめる者はいないことから、ある意志を感じてそれを尊重しようとするからである。

もともと写真を糧に何かを成すわけでは毛頭なく、ましては趣味の類としての嗜みでもなく、ただ、必要とあるものを「画」として保存し、なにものかに生かそうとするだけの自分に見せられた、奇異なる世界であることに、ただ答える恩義を感じての行為であることは確かだ。

いったいどのようにして、これだけのまさに神懸かった光と色の動的世界を創り出せるというのだろうか。大気と水と光と風と・・・、それらを絶妙な動きのうちにまとめあげ、現象としての実在として見せる技を何者が有するというのだろうか。
こと、この自然界の一大スペクタクルに出合わせた者こそが、これを伝え、残さねば雲の如く、霞の如く、またたく間に消えさる光景を如何ともするべきであろうか。

そんな密やかな意義を感じて、そそくさとレンズを向けるのである。それが作品であるかなしかを問わず、当の自分が感銘を受けるが如くに、次の誰かがなにものかの感性の琴線に触れるやもしれぬ可能性に賭け、次に受け渡すかのように届けようと思うのである。

はたして現象とはただの偶然が生み出すものであろうか。そこにはじめに意志があり、意識が働くからこそ現在するものではないだろうか。では、その意識とは何か?

そう、それをしてこの世界をあらしめる無限の意識、大いなるもの、聖なる光、そのものではないだろうか。

両眼の視覚から、こんな小さな一画像から、その意図を汲み取れることこそが、大元から分かれて存在する我ら分霊の愛しみではないだろうか。忘却し分離してしまった意識を取り戻すためにも、これらの夕景の神秘から、大いなる源を指向しようと試みようではないか。



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▲平野の上を低く雲が覆い、その高層にはまた次なる雲が覆う。その狭間の空間が開け、夕日が輝く。



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▲山に囲まれた平野部に、まるで真綿で蓋をするように雲海がたなびき、普段は低山でしかない山並がいつしか山脈のように稜線を見せる不思議な光景



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▲電信柱のシルエットや外灯の光がリアルに見え、さしずめ“未知との遭遇”のワンシーンを見るような光景。奇怪な現象が起きようとする前兆のようだ。



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▲淡い空のグラデーションに、わずかな雲の淡彩が加わる。何か記号めいた図から、空の意志を読み取ろうとする気になる。



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▲黄金のスターシップが夕空に映えているような不可思議な光景。空の象徴を読み込むとするなら、確実に時空は光化へ向っているとみよう。
by martin310 | 2014-04-29 19:08 | 風景探勝

新緑萌え、ドーマーの窓から緑のバリエーションを眺める。春の朝に・・・。


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目覚めるとまず、ドーマーの窓のシェードを上げることから朝が始まる。
二階のロフトで寝起きしている身に、この小窓からの緑の光と、谷間にこだまする野鳥の声は、なによりの覚醒作用をもたらしてくれる。しばし、起きがけの亡羊とした脳裏をこの窓外の眺望に預けよう。

a0282620_20164555.jpg冬ざれたモノトーンの色調から、急に緑が息づきはじめたのはついこのあいだからだと思っていたが、日に日にその勢力は谷間を埋め尽くし濃度を上げ、今や二つの小窓のペアガラスを染めるようになってきた。萌え出した若葉は未だ細片のうちに、その形を林相の極微細なディテールにし、微妙で多様で複雑なグリーンの無限な階調をつくりだしている。
どうだろう、これだけ多彩な緑のそれぞれをじっくり眺めたことがあるだろうか。普段、ただ緑というひとくくりで視ている若葉に、これだけの複雑多岐なバリエーションがあったのかと驚き、さらにそれへ朝日が当たり陰翳をつくり、朝露が湿すという手の込みようだ。見慣れた我が家からの風景が、時とともに生きもののように変幻していく・・・。

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こうやって、起きがけの早朝のほんのひととき、谷間の緑に目をやっているのも束の間、仕事に出掛ける日はあわただしく、休日にはそうのんびりもしていずに庭仕事に出るようにと、いずれにしてもそそくさと次の動きに時は休みなく流れていく。

a0282620_20175057.jpgそれにも増して、庭の土の中も活発な動きを展開中のようだ。
野草の生え出しも早く、それに負けじと宿根草の芽が次々と土から頭をもたげて来る。つるバラやクレマチスの生長もかいがいしく、すでに花芽を大きく膨らませているものもある。
何もないような土のおもてに、いきなりホスタの複数の芽が伸びてここにありと主張する。大雪でひしゃげたコニファーの枝先にも、鮮やかな若緑が輝いて復活して来る。
春の庭はいつ見てもにぎやかしい。刻一刻と花々の盛りの時を準備しているようだ。

この土地に導かれたのも、きっとこの丘と谷を巡る森の広がりの中に、精霊の清らかなエネルギーを感じ取っていたからかもしれない。幾本もの木々のまとまりで形成される林相は、その地場の波動の力を物語るものだ。植物の顔ぶれもそうだが、自然林に出揃う種類から森の性格が生まれ、幹や枝葉の茂り方から森の品格が形成され、緑の粋のよさから“氣”のありようが見てとれるものだ。だからイヤシロチであるかどうかは、全体を見下ろしたときの波動のレベルで直観できるのだ。
それも、全体の統合、統制は精霊の力による。逆に云えば、森の林相がその地の精霊の力と性格をあらわすということだ。

a0282620_20184356.jpgつまりこの地との運命的なつながりは、ここの精霊界との機縁から成り立ち、偶然のなりゆきに見えても、決して意味なく起こったことではないと感じている。そうでなければ、ここへ移住するまでの流れが出来る訳がないし、ストーリーは長くても、結果はおさまるべきところへおさまったと見るべきだろう。

人生の天候は棲み所で如何様にも変化する――と、常々そう思っているが、まさに自分の道筋にも実体験としてこの法則は当てはまると言えるようだ。人は自らの宿運によって、居場所を引き寄せ、そこに至るまでの業の果たせるところによって浄めが決まり、その後の生の謳歌に彩の有り無しはこれらの実相体得にあらわれる。
自然と共にあることは、ただ厭世のたしなみにあらず、自身の性根のありようを熟知することにある。と、なにか格言的になってしまったが、書くに任せて自然とそんなことが出て来た。


窓外の緑の残像は、かくもそんな思いをさせてくれる。
何も語らずながら、何かを与えてくれる、それが対自然との問答なのだろう。


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by martin310 | 2014-04-27 20:27 | 田舎暮らし

ミニマムオーディオの追及!?いや、いうならば“チープオーディオ”の愉しみ・・・だろうな。


さて、オーディオ関係のD.I.Y について書いたので、さらにもうひとつ続けよう、今度は車載用オーディオシステムの巻だ。

とはいっても、まったくハイクラスオーディオの世界とは対極の、超ミニマム、いや実際は“超チープ” な笑えるシステムの追及なので、ご安心を。

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一般にミニマムオーディオというと、こんな組み合わせをいうらしい。↑(例えば、iPodデジタルメディアアンプ それにアクティブスピーカー)という具合に、それぞれの機器はハイクオリティだが個別のサイズは極小というようなことだ。超ローコストでそれなりのクオリティレベルを自作する派の、我がターゲットとはちょっと意味合いが違うようだ。なので、ミニマムオーディオというより、「チープオーディオの世界」という方が当たっているようだ。
なにせ、音源とアンプとスピーカーで1万円ちょっとしかしない、もの凄いローコスト。しかも、音はそれなりにいいという、車の中でのオーディオライフに、オーディオメーカーが決してやらない発想から自作する、それが我がD.I.Y の最たる狙いだ。

というのも、そもそもは現車で使っているCD&チューナーの、まあ昔風にいえばカーステレオがいかれてしまった為、新品に換えるかを思考中に思いついた裏技というか、やっつけ仕事だ。
普通は本体を最新のmp3タイプのものに換えればいいのだが、さて、コンソール取り外しの手間とか、専用ケースやカプラーまで買い揃えなくてはならないとか、実際取り付け可能かどうかも含めてとても面倒で予算がかかる。しかも、純正の埋め込みスピーカーをまた使うのならそういい音は期待できないときているので、どうせならまったくそれとは別系列のものを新たに追加した方がいいと思ったのだ。


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a0282620_13241222.jpgプリメインアンプの超小型、知る人ぞ知る極安の中華アンプ、Lepai デジタルアンプ LP-2020A+ Tripath TA2020-020 (ブラック)をすでに持っていたので、このDC12V用アンプに、これもすでに購入済みのTranscend MP3プレーヤー MP870 8GBをつないで、あとは自作するスピーカーシステムで鳴らせば、きっとなかなかのものになるに違いないとみたのだ。
というのも、あの自作の“Tool Shed” の中にミニオーディオセットをと思って買い揃えたものを、そのまま車載用に転用しようという単純なアイディアなのだから、そう大した思いつきでもない。“Tool Shed” 用のスピーカーに、前記事に載せたあの小型バックロードホーンをと作ったのだが、それを車内に持ち込むのはちょっとと思い、より空いた空間にすっぽり入る形とサイズのものの方がと、新たに自作することにしたのだ。

a0282620_13253970.jpgそこで考えたのが荷室へ箱型のものを・・・というのだが、いやいや荷物を載せることが多いのでさすがに荷室のスペースは空けておきたい。置いたとしても、これもすでに実験的に買ってみた据え置き型のスピーカーREMIXのFSN-741だけにしたい。
そこで考えたのが、あと空いていて使えそうなのは、後部座席の足元の空間だ。ええっ!と普通は思うだろうが、我が愛車はほとんど後部座席に人を乗せることが事実上ないので、そこを止むを得ず使ってしまおうという訳だ。シートの高さまでのスピーカーBOXにしてしまえば、フラットになって案外目ざわりでもないだろうと、左右一組のバスレフ型スピーカーを作ることにしたのだ。

で、まずはこれもできる限りお金をかけたくないので、ネットで安ーいスピーカーユニットを探すと、あるは、あるは、amazon で2ケ1組(¥ 2,098)というのがあるではないか!ええっ、要するに1ケ1000円のスピーカー?
大丈夫なのかとレビューをチェックすると、まんざら悪くない。純正のものより音はいいときている。よし!これに決めよう。値段が値段だ、ダメもとではないかと。

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これがそのBOSS AUDIO SYSTEMSの6.5インチ 250W 2WAYスピーカー F265 SOUND STORMのルックスだ。なるほどレビューにあったように、さずがにおもちゃっぽくプアーな感じだ。でも、一応メインのコーンの上にツイーター状の2ウェイになっている。カバーもちょっとガンダム風なプラスチック製だ。まあ、音次第なのでこれもいいかと。

一応はスペックは、
a0282620_13322798.jpg・6.5インチ(16/17cm)2WAYスピーカーシステム
・最大: 250W
・定格: 125W
・インピーダンス: 4Ω
・ブルーメタリック・ポリインジェクションコーン
・1インチ・アルミニウム・ボイスコイル
・1インチ・ポリマイド・ドームツィーター
・再生周波数: 75Hz-20kHz
・出力音圧レベル: 90dB
・サイズ: 167x167x60mm
ということになっているが・・・。


さて、エンクロージャーのサイズは後部座席の足元空間を測って350mm×550mm×160mmに決定。板厚12mmのラワン合板で板取りして1枚で可能。内容量23リットルバスレフで20mm位のダクトを上方面に開けた。中は箱鳴りや反響を防ぐ為、グラスウールをたっぷり入れてダンプ。


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ブラックの水性塗料で簡単に仕上げ、スピーカーユニットを組み込んでこれで完成。

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さっそくログハウスの室内で視聴。これが一番たまらなくわくわくする瞬間だ。
いやー、期待以上に凄い低音。中高音はちょっと前に出気味な感じだが、車内では案外有効かもと。
大型バックロードホーンと聴きくらべしても、それほど遜色ないほどだ。(ちょっと持ち上げ過ぎかも)まあ、多少キンキンしたボーカルだが、まず2000円のスピーカーにしては上出来ではないだろうか。しかも、エンクロージャーとダクトも、予想どうりどんぴしゃのようで満足な音が出た。これは車の埋め込み方式では決して出ない低域の迫力だ。しばし聴き入って、様々なタイプの音源で試してみた。音場効果も大きく、ライブの臨場感は空間の大きさを感じる。まあ、超チープな製作費にしては余りある結果だ。

a0282620_13285275.jpgそして、実際の車内へ設置。といっても、下に100均の滑り止めシートを敷いた上に置いただけの簡単設置。配線もマット下を通しただけ。前後にバタつくのでこれも100均の座布団を挟んで固定。いつでも取り外せる簡易さだ。
なにせ、もし後ろに人を乗せなければならないときにも対処しなければならないので、はずし易くしておくのだ。でも、面倒なときはそのまま靴を脱いで正座して乗ってっもらう。今どき珍しい御座敷車だ。(笑)
だが、後日ちょっと不便なことが発覚した。なんとシートの背があたってしまい、リクライニングがごくわずかしかできないのだ。んんんっ、これは全然予想していなかった。まあ、シートを前にスライドさせてから倒すか、さもなくばスピーカーBOXを片方シート上に移動させるかで対処するしかない。多少の不便はそれはあるさ。

車内で鳴らしてみると、家の中とはまた音環境が違うので、ちょっとメリハリが不足した音だ。低域は出すぎの感じでBASSを少し絞るほどが、中高音は据え置き方スピーカーを足した方がよさそうなので、FSN-741を荷室に置いてパラレル接続でダブルスピーカーとした。これでかなり改善され、いけると踏んで完成だ。
音源は両方後方に設置してあるので、背中側に音場が形成される。それもまたよしだ。なかなかズシンとした低音もたっぷりで、今までとは段違いの音空間が愉しめるようになった。


これで〆て、
・MP3プレーヤー MP870(Transcend)・・・¥ 5,339
・デジタルアンプ LP-2020A+ Tripath(Lepai)・・・¥ 2,810
・スピーカーユニット F265 SOUND STORM(BOSS AUDIO SYSTEMS)・・・¥ 2,098
・スピーカーエンクロージャー(自作)・・・材料費 約¥ 2,500
・サブ・スピーカー FSN-741(REMIX) 置型スピーカー・・・¥ 3,526

(以上、いずれもamazonで送料無料税込価格)

合計:¥ 16,273


どうだろう、0 がひとつ足りないような値段で、見事にチープオーディオを実践。これでも音質は+0 を凌ぐかも?!
ということでBライフオーディオの世界を実現した訳である。
お金をかけずに極上の音を求める我がD.I.Yオーディオの世界の面目躍如である。


※ちなみに、デジタルアンプ LP-2020A+には、100V用アダプターも付属しているので、このままこのセット全部を室内に移動しても使えるということだ。
また、車内電源はシガレット電源から取ったので、別にコネクターケーブルも購入した。
by martin310 | 2014-04-25 13:45 | *D.I.Y

D.I.Yはガーデン関係だけではない。これが私の工作ルーツ・・・自作大型スピーカー(バックロードホーン)


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▲自作の3つのスピーカー。右は20cm2発のバックロードホーン(1980年作)。中央は、重低音用のASW(アコースティックスーパーウーハー)2009年作。左はキットの8cmバックロードホーン。

D.I.Y では、今までガーデン関係のもの(“Tool Shed”やバードハウス、オベリスク、ラダーシェルフなど)を主に載せて来ているが、実は他にも“音”関係の木工作品があって、事実上こちらの方が年季だけは入っているのだ。何せ最初の自作は今から34年も前のことになる。まだ若かりし頃、一冊の工作本を手に、自重60Kgもの大型スピーカーを自作したのが始まりだった。

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▲スピーカー作りの尊敬してやまない師匠。故長岡鉄男氏の「オリジナルスピーカー工作45」(昭和55年・音楽之友社刊)この工作集を手にしたときからD.I.Y 熱は生じた。



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だいたい手始めにはもっと小型の作りやすいものから手を出すものだが、まったくの初心者が、高さ1000mm×幅540mm×奥行き440mm、使った合板の厚さは25mmという、たいへんヘビーなガタイのバックロードホーンを作ろうとするところが、案外自分らしい向こう見ずな、ないものねだり的な取り組み方のようだ。
25mm厚のサブロクのパーチクルボード自体、1枚で30kgもある。片側を持って滑らして動かすしか一人ではできないしろものだ。それを非力な電動丸ノコで切るにしても、あまりに無理がありすぎる。板厚の摩擦抵抗で回転が度々止まってしまう。結果、途中で丸ノコのモーターから白い煙があがりお釈迦に・・・。それほど超過激な挑戦だった。残りはすべて仕方なく、手引きのノコギリで切っていった。それはもう想像以上の過酷な労働だった。お蔭でその後具合が悪くなり、しばらく寝込んだのを今でも覚えている。


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▲長岡製スピーカーは名称がそれぞれつけられている。これは“Dynaload 9”。エンブレムといきたいが、PCでラベルを作りボディーに貼っている。ちょっとちゃちだが、氏の偉業と逸品を賞しておきたいという思いから、このネームを付けている。


a0282620_1022920.jpgバックロードホーン(Back-loaded horn speaker)とは、スピーカーの背面の音圧を利用して、ホーン、つまりラッパ状の音の通路をつくり、それを箱の中にくねらせて前面から出す、音の低域増強システムだ。なので見えるスピーカーユニットの大きさの割りに、箱(エンクロージャ)が大きく、箱の中の構造も複雑化している。ただ、工作はほとんど合板をカットし、それを設計どうりに接合していけば作れるもので、使用機材と図面さえしっかりできていれば作るのは容易だ。
なので、料理でいえばレシピ集が出ていればそれに倣って作れば済むので、工作実例集が手に入れば自分の手でと、やる気に逸り、何より自作の音をこの耳で聴くことを目指し、製作欲に突き動かされて熱中する類のものである。

ただ、そんな思いつきで作りはじめたバックロードホーンが完成し、初めての音出しの瞬間、このスピーカーとの宿縁は決定された。あまりの重厚で広がりのある艶やかな音色に魅了され、それから後、34年ものあいだ、このスピーカーとは共に生きるというべく、過去4度もの転居にもめげず、ずっと自分の居室にどんと居座り、常に美しくピュアな音を聴かせ続けてくれる存在となったのだ。考えてみると、大概の趣味の品は案外消耗するものが多く、長い月日を越えて使い続けるというものはそれほど多くはないように思う。30年を越えたら、車だったら立派なヒストリーカーだ。そんな中で、このスピーカーは自分の手で生み出してから、自分の半生以上を共に寄り添って今も優れて現役でいるというのは、実に珍しい部類の息の長さを持つのではないだろうか。それだけにもう生涯を共にする存在で、きっと自分亡き後にその処分に窮する(?)物の代表になること請け合いである。


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▲これが誌上に掲載されている“Dynaload 9”の完成写真だ。さすがに美しい家具調の仕上げだ。我が愛機は板取りが手引きなので、多分に歪な出来で、黒の塗料を分厚く塗って誤魔化してある。


この自作“Dynaload 9”は、製作集の板厚より厚い25mmの重いパーチクルボードを使った為、箱鳴りや内部の残響など音の濁りがなく、実に透明でどっしりと重厚な音を聴かせてくれる。音はスピーカー全体から発せられるので「面」で鳴る感じで、小さなスピーカーの固体的な鳴りではないスケール感がある。
スピーカーユニットのFOSTEX FE206En の音色キャラクターにより、明るくメリハリのある艶やかな中高音を特徴にして、ハードなパンチ力も有している。音場的な臨場感を持つので、特にライブなどの会場の雰囲気にはもってこいな感じだ。女性ボーカルや弦、そしてピアノの音はこのスピーカーの得意とするところだ。


a0282620_1053870.jpgもともとは今はなきFOSTEX の20cmユニットFE203Σが取り付けてあった。この愛機“Dynaload 9”の過去の道すじも安逸なものではなく、移転とともに一時は置き場所がなく、やむなく家の裏の軒下に、ブルーシートを掛けられ1年余りも放置されていた悲惨な運命にも遭っている。外気の気温差や湿気と乾燥、風雪に耐え凌ぎ、頑強な箱自体は多少、角が欠けたり割れたりもした箇所があるもののびくともせずにいたのだが、スピーカーユニットのコーン紙にはシミがつき、やがては継ぎ目の接着が剥がれて無残なものになってしまった。それで近年、新ユニットにリニューアルしたのだ。その際、古いネットワークも新調した。だが、上に載せているスーパーツイーターのFT90H は、今も現役で健在で元気に高域を受け持ってくれている。


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FOSTEX FE206En の特徴的なダブルコーンがよくわかる角度だ。このお椀の中にあるおちょこ状のコーンで高音域を出すようだ。これが片側2発、両方で4発もあるのが音の厚みを生み出し、下の大きな開口部から出る低域がどっしりとした基底部をつくるのだ。



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かつてはこの大型スピーカーが要する広々とする音場空間を持つことできずに、まったく不似合いな狭い居室に置くしかないのが現実だった。このスピーカーの分、逆に部屋が狭くなるというお荷物的存在にされていた彼は、待つこと苦節30年、やっと現在のログハウスのリビングに終の棲家をあてがわれた。下積み時代が長かった“Dynaload 9”は、今では天井高5m を越える木づくしの専用ホールを与えられ、その特異な音の性能を遺憾なく発揮している。
さらに、やや不足気味な超低域を、新たに相棒になったASW(Acoustic Super Woofer)に補助され、地鳴りのするような底深い重低音をこの木のホールに轟かせている。各1台ずつのプリメインアンプで駆動するダブルスピーカーシステムは、まるで小規模なライブハウスのPA のような鳴りを見せ、まるで家全体がエンクロージャ化したように、巨大な音空間が振動し、身体ごと音の波動を浴びている感覚になる。これをずっと想像し、待っていたにかもしれない。それが、長岡氏の本を見た瞬間に直感されていたのか、環境が整い実現するまで30年を要した、ひとつの隠れたD.I.Y 物語がそこにはあったのである。


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▲往年の長岡氏が腰をかけている箱がこのASWだ。自作機が並ぶ氏の居室で、SPマニアにはとても興味をそそられる写真だ。


a0282620_1072726.jpgASW(Acoustic Super Woofer)は、長岡氏の考案した、非電気的中高音除去法によるサブウファーシステムと言おうか、要するに、バスレフ型の変形なのだが、驚いたことにスピーカーの顔がまったく見えないただのダクトが開いた箱なのである。スピーカーユニットは完全に箱の中に組み込まれ、背面の音は狭い密閉空間でダンプされて出ず、バスレフの効果で重低音域の音のみを下方のスリットから出すという変わったスピーカーなのだ。
これにはFOSTEXFW208N というウーファーを贅沢にも使っている。なにせメインスピーカーのFE206En の2倍の値段だ。だが、その姿はまったく見えずなのだ。
現在のソフト音源でDTMで作られたものなどでは、超低域の信号音を含んでいるので、このASW を効かして鳴らしているときは、音圧というか、家全体が揺れるようなまるで地震と思える振動音が出る。mp3にはここまでの音が含まれているのかと、如何に人間の可聴域を超えた音までの広い範囲の音域を使って音楽は作られていることがわかる。


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▲小型ASWといえども高さ880mm×幅340mm×奥行き380mmある。重量は30kgくらいはあるか。この箱から家を揺さぶる重低音が出て来る。遠くではバスドラのドンドンという音が、まるでお祭りの太鼓の練習音のように聴こえる。


最後にもうひとつ。超小型バックロードホーンを作ってみた。これは自作とはいえ、吉本キャビネットが出しているエンクロージャーキットBW-800 を組み立て、FOSTEX のフルレンジスピーカー FE83En を組み込んだものだ。
FE83En とは8cm というかわいいスピーカーで、まさにミニチュアのバックロードホーンだ。どんな音が出るのか興味深々だった。最近作った“Tool Shed”の中にミニオーディオを組み込もうと、出来るだけ小さなものでと考えて選んだものだが、その音は実にクリアで透明感のある音色なのだ。あまりに魅力的なミニスピーカーなので、ついには“Tool Shed”には置かず、リビングのダブルスピーカーの横に置いておきたくなった。これは、BGM 的に気軽に小さな音で聴くには良好なシステムなので、やはり身近なところに置いておきたくなるのだ。


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▲エンクロージャーキットBW-800に、FOSTEXFE83Enを組み込んだミニバックロードホーン。ボディは水性ペイントを塗っただけのシンプルさ。でも、音はかなりきれいな好みの音色だ。BGM用には最適なスピーカーだ。


若いときから音楽を思いどおりのいい音で聴きたいという願望はずっとあり、その度にオーディオ製品を研究したり、スピーカーを自作してきたりしたものだ。ただし、本当のマニアとはほど遠く、如何にローコストでお金をかけずにシステムを組めるかがテーマであり、自分の労力でコストダウンできるならその方にと思うまでで、作れるものは自分で作る主義の典型がこれらスピーカー工作のD.I.Y となったのである。その流れは今も、庭づくりのD.I.Y へ移行し、また新たなものづくりへの欲求は留まるところを知らない。


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▲まさに家具と化してリビングの一角を占める自作スピーカーシステム。音のシャワーを浴びるというのは、全身の波動の浄化にもなり、大空間で音響に包まれることの至福を与えてくれる。
by martin310 | 2014-04-23 10:25 | *D.I.Y

小屋マニア必見! 魅惑のガーデンハウス : Tool Shed(道具小屋)特集 by Martin Island



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▲自然の中に見事に溶け込んだ“Tool Shed”。というか、もはや野趣に濃厚に彩られ、風景と化した孤高の小屋だ。これでも農機具などをしまってあるというのだろうか、ドアが既に朽ちて半開きだ。この古びた質感は絶対に人為的なものでは出ない、野性が生み出す奥深い味わいだ。シェビー感をすでに通り越している厳然たる存在感にはインパクトがある。


セルフビルドした“Tool Shed”のことを今までいろいろ書いているが、本当にそういう呼び方でいいのかよく知らずに記していた。(ただ単に、「道具:Tool」「小屋:Shed」をくっつけただけでそうしたのだが)よくよく調べてみるとまんざら間違いではなく、ちゃんと“Tool Shed”という呼称はあるということがわかった。
このキーワードでググれば、英文サイトばかりがずらっと表示される。そして何頁か後に漸く、我がblogが出て来る。居並ぶ英文サイトの中で日本語のそれは未だ稀少だ。それだけまだ、“Tool Shed”なるものは日本では一般化されていないということで、人知れず特異な存在のようだ。

a0282620_2272798.jpgで、さらに画像検索してみると、出るは、出るは、たくさん興味深い作品が並ぶ。これもまた居並ぶ外国製“Tool Shed”の中に、My“Tool Shed”の画像がところどころに散在している。いやーこれでも一応、世界でこれだけって中に我が手作り小屋が分け入っているというのは、なかなか凄いではないか。(別にランキングでないのでそう悦に入る必要はないのだが・・・)
この右の画像は“Tool Shed”という音楽グループのアルバムジャケットらしい。グループ名にされるほど、こんな風に立派な固有名詞なのだ。

日本ではどうも今まで“ガーデンハウス”自体、そう注目される存在ではなく、ガーデニングブームを主体にアンティークやシェビーテイストの広がりの中で、ミニハウス、ガーデンシェッドなどと徐々に自作する人が俄かに増えて来たという現実がある。それ以前は、物置の延長のいわゆる“小屋”という使用用途しか考えられていなかったのだろう。機能性と意匠性、小建築物からガーデンデザインの一貫、そして空間デザインのアイテムにまで進化した捉え方をされたのはほんの昨今なのではないだろうか。なので当然、知名度もことのほか低い。

「ツールシェッド」などと言って、話が通じたことはない。要するに「道具小屋」だよ、と説明すると、どうやらあの、伝統的な粗末な掘っ立て小屋のようなものを連想するらしい。そのうち携帯で画像を見せると、ええって驚く。こんなこじゃれたものが自分で作れるとは、まったく思っていないらしい。それがごく一般人の感覚なのだ。だから、もし欲しくてもメーカー品に対象が行ってしまうのだ。
これがまずマイデザイン、そしてセルフビルドが基本で、それだからものづくりはおもしろい、とそういうことを知ってもらいたいものだ。できれば“Tool Shed”文化なるものの普及をもう少し願いたい。庭づくりのトータルなプランの中に、小屋づくり、“Tool Shed”の存在を是非一考したら尚、ガーデンライフが楽しくなるはずだ。

ということで、イメージサーチから注目の“Tool Shed”をいくつかピックアップし見ていくことにしよう。


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▲ガーデンの中心的存在になっている“Tool Shed”だ。下見板張りでコーナーボードという典型的なつくりだが、屋根の勾配があり、かなり棟高もある。中に入っても天井高がだいぶあるので空間は広々しているはずだ。白のペイントにドアの黒が建物を引き締めている。背後を樹木に覆われるほどなので、この高さのある形が正解だったのだろう。広い庭だからできるデザインだ。


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▲赤いボディカラーと窓の白が印象的な“Tool Shed”。ここまでの色づかいはなかなか冒険的なカラーリングだが、ことのほか成功している。ドアのヒンジや取っ手の金具デザインが珍しい形だ。縦線のトタンのような外壁の素材が不明だが、これはこれでよくマッチしている。


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▲さて、これはMy“Tool Shed”に近いトールボーイ型をしているが、味のある古材を大胆にアバウトに使ったおもしろい道具小屋だ。一見、トイレにも見えてしまうが、納屋に使われていた古い板を使ったのか、その張り方にも味がある。ドアのヒンジが見事に赤錆ているのも味噌だ。屋根だってふつうは前方に庇を出すのに、まったく面一にしている。実に渋い“Tool Shed”だ。


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▲トールボーイ型をもうひとつ。これって超トールボーイ型で、驚くほど幅も奥行きもない。ドアはひょろ長のアーチ型だ。屋根はアスファルトシングルで、我が“Tool Shed”と同じものだ。よくもまあ、こんなデザインにしたものだと感心する。スコップやレーキなどの長もののガーデンツールを入れておくものなのか、入ってイスに座って窓から外を眺める場なのか、なんだか不思議な魅力がある。庭の片隅にこれがあるだけで空間がお伽の国化する効果があるのが、“Tool Shed”の持ち味だ。


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▲これは写真でなく、絵のようだが、かなり機能的な収納棚が内部とドアの内側に作られている。ガーデニング用品の収納のようだが、ドアを開けるとこれだけまとまっているというのは、非常に便利だろうと思う。右手にある棚は、ガーデンファニチャーの定番のラダーシェルフだ。いわゆる中古の木製脚立を棚のように使うのがオシャレというもの。


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▲さらにもうひとつこんなものを。これはドアに工具をさしておくというのだろうが、絵的には実におもしろい。工具自体が見たこともない不思議なデザインをしている。小屋内部の壁に工具を吊るして収納する方法はよく取るようだが、それはマイ工房などのように室内で使用するには向いているが、外に持ち出して使う場合には工具箱にまとめてあった方が効率的だ。なので、我が“Tool Shed”では採用しなかった。もっとも、それほど工具がないのと、飾ってみるほどのものを持っていないこともあってのことだが。


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▲これもとても機能的にデザインされた“Tool Shed”だ。外側の壁面にまず取り出しやすい収納庫が用意されている。それに、大きなドアの内側に工具が吊るされ、片流れ屋根の下には明かり取りの窓が並ぶ。窓下にフラワーボックスがあり、建物の周りをデッキが囲むという、とても使い易い設計になっている。こんな隙間のない板張りのデッキでの工作は理想的だ。隙間からネジや鉛筆を落とすこともなく、それにきっちり平らな面があるというのは、工作には欠かせない。けっこう加工には正確な平面を使うことが多いものだ。


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▲起伏のある土地に様々な植栽でガーデンがつくられ、そのこんもりした林の前にこの小屋がある。この建物は、ドアの前に張り出した軒があるので、雨や陽をちょっと凌ぐのにいいだろう。ドーマーのような小窓が開き、これが換気の役割をしているのだろうか、小屋自体も、ちょっとしたデザインの違いで随分、その場に適した使い勝手のいいものが作れるようだ。


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▲これはひじょうにがっしりとした完成度の高い堅牢な“Tool Shed”だ。使ってある木材も密度の高い硬質なものでしっかり出来ている。軒下の小窓はベンチレーターのよう。サイドの壁面は一見、窓が並んでいるように見えるが、どうもラティス状のものを取り付けてあるだけのようだ。塗装も美しく、出来栄えがいい。基礎が見えないがやや地面から上がっているようなので、基礎は見えないような作りなのだろう。地面に接する部分は防湿塗料を施してあるようだ。


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▲この“Tool Shed”の木材もかなり耐久性のあるもののように見える。全体が渋いグレイッシュな色で、ドアと窓の上の化粧ボードだけが元の木の色というアクセントをつけている、片流れ屋根で、外壁はフラットな作りで、全体にシンプルな直線で出来ているが、色調も抑えてとてもシックな感じだ。まあ、プロ的なテイストなのでセルフビルドの味わいからは遠いが、こういうのもありということで。


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▲こういうのが正真正銘のセルフビルドの味だ。どういう作りなのか、しばしよく眺めてしまうが、それでも解明できないほど奇妙な製作プランだ。このランダムな野生味が圧倒的な存在感を生んでいるようだ。“Tool Shed”の持つ世界観は意外に広いのだ。個性が俄かに煌く。


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▲そして、最後に我が初のセルフビルド“Tool Shed”。こんな世界的道具小屋展示会の中に列席させてもらい光栄の極みだ。(勝手に自分で入れているだけ)
まだまだ新たな着想の小屋をこれからも作りつづけていきたい・・・、などと言いたいところだが、こんな小屋ばかり敷地内に作る訳にはもういかない、というのが実情だが、是非とも小屋マニア、“Tool Shed”フリークが益々この日本にも増えていくことを望んでいる。
by martin310 | 2014-04-20 22:16 | *D.I.Y

<庭が輝く>・・・我がガーデン観、人と植物と物との協働創造の庭づくり。


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今の季節、休日となれば雨が落ちていない以上、ほぼ一日中庭づくりに精を出しているが、もともとこんなことをしたいなどとは思っていた訳ではなかった。
現在の家を建築中は、まったく庭をどうするかなどというプランは持ってなく、元々が雑木林に草が鬱蒼と茂っていた土地なので、放っておいても草は茂って来るはずなので、それを自然のままに楽しめばいいと、草にも花を咲かすものもあり、それに加えて花の種をランダムに蒔いて勝手に草と一緒に這えているのもいいかなと、その程度の庭らしくもない野趣たっぷりの周りを想像していたものだ。
それが実際、建て終わり住み始めるようになって、さて、殺風景な玄関前のデッキにでも、ウッドプランターや素焼きの鉢にでも花を植えて飾ろうかという気になり、ただ床に置いておくだけではと、フラワースタンドやハンギングなどと変化もつけ、今度は基礎のコンクリートが露出している景観も気になり、そこへ隠すように木製の花壇を作ろうとか、木製パーゴラを通路に建てようとか、道路側には白いフェンスをなどと、あれよあれよと家を取り巻く周りにガーデニング的要素を次々と追加し出して、その過程で次なるプランが生まれ、参考にする資料やモデルやアイデアを漁り、徐々に独自のホームグランドを作りはじめたという訳である。
ただ、様々な雑誌や書籍、ネット上にある目を惹く優れたガーデンを見ても、大概が平らな場で、広さにも余裕のあるものが多いのだが、我が家の坂道の道路に隣接した不規則な傾斜地を庭とするような条件に見合うようなモデルはなかなか見つからないのがほとんどなのだ。なので、写真を見ながらこんな風にしたいと思ってみても、実際、平らな場所が家の裏側の狭い通路にしかない、後はすべて坂になった我がガーデンには不向きなもので、現状の景観から独自に考え出さなければものにならないのが実情なのだ。とはいえ、その場、その場で行き当たりばったりに考え、なりゆき任せでやっているに過ぎないのだが・・・。

そのうちに花だけでなく、小振りな樹木も植え、果樹や小さなキッチンガーデンも追加し、建物もログの物置小屋をかわきりに、離れのミニログハウスや最近の自作のガーデンハウス(Tool Shed)も加わり、敷地の中はかなりの空間性のバリエーションは豊富になった観がある。それによって敷地内の各所で庭の見え方も変化し、それぞれの場でのビューポイントに、さらにバードハウスや木製トレリスなどのガーデンオブジェをこれまた自作して設置することで、さらに庭各所の景観に変化をつけた。自分でもそれぞれの場に、お気に入りの撮影ポイントが出来、季節のつれづれにカメラを向けるようになっている。

a0282620_23102779.jpgもとは、こんななーんにもないただの荒地のようなところに、徐々に手を入れものを増やし、今や庭にいて、そこここに被写体になる場が出来るようになったのだ。考えてみれば、この殺風景そのものの世界から、今のすべてにまでしたのは自分の手からであるというのを思うと、それ相当の時間と手間の累積であるとはいっても、人間の手というのは実に地道ではあるが世界をがらりと変えることが出来るものだなあと、ある感慨を持つものだ。それも、自然の植物たちとの常に変化するコラボレーションのなせる技だとも思うが、住みやすく、暮らしやすく、自分が心地いい世界を創造していくのも、常に自然と共にであることをあらためて思うのだ。
庭が輝くとは、生命の輝き、人と植物と物との混交であり、協働創造であると、これらのお気に入りのアングルを被写体にしながら、しみじみと思うのである。


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by martin310 | 2014-04-17 23:12 | ガーデニング

小屋づくりのすすめ・・・庭に新しい空間が生まれる魅力の“Tool Shed”


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         ▲敷地のいちばん奥まった角に建てた“Tool Shed”(道具小屋)。


a0282620_13262320.jpg“Tool Shed”の関連記事は以前にも何度か登場しているが、もう少しこの我がハンドメイドハウスのことを書いておきたいと思う。

ご覧のとおり実に小さなトールボーイ型の小屋だが、これはもとより、この敷地の隅の、庭から出た雑草や枝木の捨て場にしていた一角のわずかなスペースを利用して、何とか木工具などを収納する小屋を建てられないかと検討し、思い立って造ったものなので、奥行きはまだしも、横幅はもうこれが限界だったので、わずか0.7坪しか床面が取れないつくりになった。それと、自分が中へ入って頭が当たるようでは困るので、天井高も1900mm以上ほしかったので、結果こんなひょろ長の背い高小屋の形になってしまったのだ。


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▲小屋内部に設置した棚とスピーカー。クラッシックな掛け時計はミニチュア(ちゃんと動いている)。


a0282620_20292299.jpg以前は大工道具や電動工具などは、この小屋のすぐ隣の“LOGCABIN Ⅱ”に他の生活用品などと一緒くたにしていて、物の溢れた中から発掘しなければならずまったく不便極まりなかったのだが、この“Tool Shed”にまとめて整理して収納できたので、とても取り出しや片付けが楽になったのがうれしい。
それにも増して、この小屋の出現によって、敷地の端にひとつの見どころができて空間におもしろみが増した効果は大きい。道路側から目につくので、あれは何なの?と興味を持つ散歩者もいて、問われると「道具小屋」ですと説明すると、えーそうなのとデザインから意外に思うようだ。まあ、もともと「道具小屋」自体、あまり独立して建てたりしないので珍しいのかもしれないが。
                   ▲ドアにアイアンの文字型でロゴをつけたが、早くもビスが錆び出した。


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            ▲二階の窓から見える“Tool Shed”と手前の屋根が物置の“LOGCABIN Ⅱ”。


道具を取りに小屋のドアを開けると、ぷーんとほのかなホワイトウッドのいい匂いがする。これがとてもいい感じなので、つい、中へ入ってしばし佇んでしまう。中からドアを閉めると、もう独立した小空間に居てしーんと静まる感じだ。小窓を通る外光が、カフェカーテンでいっそう柔らかく射して、ある種、瞑想的な雰囲気になる。
で、おもむろにかたわらのミニオーディオセットのスイッチを入れて音楽を聴き始める。もう一曲聴いてから、と、さらにまたもう一曲となり、いつしか何を取りに来たかも忘れてしまうのだ。
a0282620_13252288.jpg広さでいえばちょうど納戸とか脱衣場くらいの空間なので、ひとりスツールに腰掛けている分には、そう圧迫感を感ずるほどもなく、どちらかというとちょうどいい狭さで心地いいのだ。
このミニマム空間は、余計なインテリアを排して、目にするものを僅かにするので、意外に創造行為をする場に適しているかもしれない。独特の空間性が、けっこう意識を集中させるのに向いているようだ。ノートPCで原稿を書くような場には案外ふさわしいのかもしれない。空間のストイックさが逆に創造力を刺激して来る感じといおうか、何かを生み出したくなる気分になる。
窓も3つ開けてあるので、外の緑や空まで見えるので、狭くても解放感は損なわれていない。日中は十分な明るさだ。収納庫なので断熱材こそ施してはいないが、壁面や屋根の板厚だけでも30mmあるので、冬場でも中はあったかだ。音もそこそこに遮断される。中にいると、野鳥の声は聞こえるが、しーんとした静寂感がなんともいいのだ。
                 ▲カフェカーテンから漏れる淡い陽の光が魅力。


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▲“Tool Shed”の裏側。窓の造作もすべて自作。母屋の窓のデザインをそのままスケールダウンして作った。


a0282620_13264448.jpg住空間は広いだけがいいのではない。適度に狭いのもまたひとつの魅力なのだ。テントでも同じことが言える。ファミリーキャンプ仕様の大型テントもいいが、山岳用のひとり用テントの内部にいるのは、その独特な狭少な空間性が実に魅力的だ。テント地とフライシートの僅かな布が、内と外を遮ることで生まれる極小空間は、それだけで単独の住空間になり、それが自分だけの世界となる。山の上のミニマムドームの上を、マクロで無限な夜の天球が包んでいるという壮大な宇宙を想像してみよう。
そういうパーソナルな独立空間を持てる愉しみが小屋つくりにはあるのだ。屋根付きの箱の中に居ることは、その外に果てしなく広がる宇宙のうちにあって、まるで蚕の繭のように自分を包む最小の幕屋となるのだ。

それに、こんな小さな小屋製作でも、“住居”としてのミニチュアを手作りすることによって、建物の様々な要素を体感的に学ぶことができるのがいい。
a0282620_13265746.jpgなにせ、設計から資金見積り、資材調達、基礎工事、木工事、建具、塗装、屋根工事、外装まで、家づくりに必要な工程をひととおり独りで体験することになる。プロの世界は通常はこれが分業化されているが、それを独りでこなすのだからまさにマルチな仕事人となるのだ。
土をいじり、木を工作し、重量を支える構造など、強度を感じ取り考えながら施工体験が出来ることは、この先の延長に貴重な技術的な糧を得ることになる。それは今後の様々なD.I.Yに生かせることになるのだ。

もし、小屋を建てられるスペースがどこかにあったのなら、挑戦してみる価値は大いにありだ。“小屋マニア”が生み出す新たな小屋ライフ・・・。手作りの建屋はいっそう愛着がわき、かけがえのない自分ならではの“もの”になる。
オリジナルな世界をミニマム空間で創る・・・これもまたひとつのスモールハウスムーブメントだろう。


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          ▲ドアの前は元苗床に使っていた花壇。今はランダムな花が勝手に咲く。


※この“Tool Shed” の関連記事はこちらに
●今年のD.I.Yは遂に佳境に入る。・・・只今ガーデンハウス製作中
●D.I.Yでガーデンハウス・・・ついに(祝)完成!“TOOL SHED”が出来あがりました。
by martin310 | 2014-04-15 14:12 | *D.I.Y

新緑が芽吹き春たけなわ、庭仕事もそよ風に乗って・・・。ガーデニング&D.I.Y


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さて、いよいよ新緑が芽吹き出し、春もたけなわになり出したが、我がガーデニング作業は先週のひな壇型花壇の土留めの一段目補修に続き、今週は二段目を終えた。
a0282620_23481335.jpg二段目はさらに水糸との精度を増し、横も当然ながら、高さもきれいな一直線をつくれるよう奮闘努力した。ご覧のようにけっこうしっかり一段目との平行にまっすぐに出来たようだ。ただ、杭の打ち方がいまいちだったのが悔やまれる。目検討で垂直に打っていたつもりだが、意外にやや傾いているもので、斜面での作業は余計に垂直感覚を見誤る傾向がある。やはり、手抜きせずに水平器をそのつど杭の縦に当てて確認しながら打つ必要がある。終わりの頃はそれをやったので、しっかり垂直に打てたようだ。
花壇の奥行きは以前のものの最も広くなっていたサイズ(平行が歪んでいたので)を取ったので、当然、奥行きが広まった箇所は土を隙間に入れ込まなければならない。培養土を何袋も買い込んで、せっせと埋めていった。土の高さレベルも土留め板の上方に合わせていったので、平面にもかなり土を補給した。有機肥料も施しふかふかの土壌で、宿根草たちもきっとのびのび育ってくれるだろう。今はまだこんなに閑散としているが、今に丈高く鬱蒼と群れになって風に揺れるようになるのだ。


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さらに、花壇の上の白いガーデンフェンスをすべて新品に交換して設置した。これは今回もカインズホームのオリジナルの900mm幅のものを使った。8メートルあるので、計9枚をつなぎ合わせるのだ。ただ、これを既製品のまま使うには不便なところがあるので、少し工夫して工作して使った。
それは、ただつなぎ合わせるだけではぎくしゃく接続箇所で歪むし、地面に杭状の尖った先を埋めて固定するのは無理があるのだ。高さも歪むので、全体にふにゃふにゃして実に頼りない姿になる。強度もないので、やがて倒れたりもする。
a0282620_23483854.jpgそこで、考えたのは幅の狭い板で裏打ちすることと、本体とは別に角材の杭を打ち、それに固定することにした。ちょうど1800×45×12mmの杉荒材というのが売っていたので、これを補強材にした。(なんと本体に使われている材料とまったく同じサイズだったのは当たりだった)ついでに、地面に接するところにももう一本取り付け、それを化粧砂利と土の花壇の境界にしようと思った。合計、2枚の補強板がつくので、かなり直線的強度は上がるはずだ。
それに、ホワイトの水性塗料で3度塗りして仕上げる。もともとの塗装は1年位でひび割れして剥げて来るので、これを厚めの皮膜で覆って耐性を高めるのだ。これなら2年は持つかもと目論んでいる。


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木工の加工自体は大して手間もかからず出来るのだが、さてこの9メートルに及ぶフェンスの表裏、側面を3度塗りするというのは、実に根気のいる時間のかかる仕事だった。やってもやっても終わらず、投げ出したい気にもなったが、明るい春の日向でもくもくと刷毛の手を動かしていると、さっきまで遠くで啼いていた鶯が、もうすぐ近くまで来て大きな声で啼き出すのだ。もう目と鼻の先の枝を渡りながらパタパタと羽の音をきかせ、いい声で啼く。
a0282620_23474412.jpg鶯などという野鳥は、ことのほか警戒心が強い鳥で、そう姿も身近には目に出来ないはずだが、2メートルもの至近距離に来て頭の先でホーホケキョとやるのだから不思議だった。もっとも、以前から意外に野鳥が恐れず近づいて来る傾向が自分にはあったのだが、夢中で根気をつめて仕事する自分には、いささか耳元のホケキョは「もうちょっと向こうで啼いてくれる」と思うほどだった。が、これも応援のひとつと考え、最後までやり通した。谷間に野鳥の声がこだまするのを聞きながら、無心に作業に没頭するのはまったくありがたい至福の時だ。
塗り終わってこれも杭で固定して、見事に美しいまっすぐなラインを描くことが出来た。
造作物のプロとアマを分けるのは、やはり直線や垂直、水平、平行などの精度にあると思う。今回はこれをことのほか意識して、出来うる限りぴんと張り詰めたまっすぐなラインを作ることに専心したので、仕上がりは気持ちのいいものになったようだ。


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a0282620_2347536.jpgそのほか、庭木の剪定や木の支えを設置したりもした。白樺とアルプスサクラとミモザには、“二脚鳥居支柱”という鳥居型の補強の仕方をやってみた。まるで造園屋さんになったように真似てみた。まあ、一応これで強風でも揺らがないで育ってくれるだろう。
日に日に植物は目を見張るほど伸長している。宿根草はあっという間に株から目をにょきにょき出して伸びて来る。クレマチスもツルを伸ばし、誘引が必要だ。バラも一気に葉数を増やし、早いものはもう花芽を持っている。芝にも肥料をやり、目土を撒き成長を促す。キッチンガーデンの野菜たちも芽をもたげている。緑の勢いは益々日を追って盛んになっていく。

それにしても、庭仕事というのはあれもこれもと次々にあるもので、気がつくと一日午前午後で7~8時間も動いているのだ。それを今回は3日も続けた。それが凄いのは、一日1.2食の少食を実行して早1ヶ月を過ぎ、身体もそれなりに慣れてきたのか、今まで疲労やら筋肉痛やらでとてもしんどかった庭作業が、驚くほどの回復力で毎日連続して出来るのだから凄いものだ。くたくたにくたびれていても、2時間ほどすると何でもなくなって次のことをはじめる。気力も充実しているので、次の段取りをしてやる気満々なのだ。睡眠も以前よりいらないようで、休みでもゆっくり寝ていない、早々と起きてしまうほどだ。
a0282620_2348527.jpgやはり、少食や断食の効果は1ヶ月もすると目立って自覚できるようになる。だから、早々に諦めてしまうのは何もならないということだ。これからまだ先、より効果は出て来ることになるだろうし、4ヶ月経ったときが本領発揮のようだ。

今年のガーデニング及び、DIY はまだまだこれからだ。
バラの葉をよく見ると、既にチュウレンジバチの子供に少し喰われていた。早くもバラを襲う虫たちの攻撃ははじまっているのだ。これからアブラムシやバラゾウムシ、チュウレンジバチやバラクキバチなどのにっくき虫たちと、うどん粉病や黒点病などの病害との壮絶な闘いがはじまる。美しく優雅なバラには、まわりに外敵ばかりがひしめき合って狙っている。か弱くはかない姫君たちの絶世の美を守るのは庭師の役だ。その結果が5月のバラの盛りに顕れる。春の闘争はこれからが本番だ。


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by martin310 | 2014-04-12 23:53 | ガーデニング

リチャード・プローンネクの『独りだけのウィルダーネス―アラスカ・森の生活』・・・私の原点回帰の本


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a0282620_8245910.jpgときにYouTube を開くと、“あなたへのおすすめ”でよく「Alone in the Wilderness」という動画が並んでいることがあった。(当記事中盤にそのYouTube動画あり)これは当然、“登録チャンネル”や過去の履歴や検索ワードなどから自動的に導き出される機能の為だろうが、やはり興味を持ちそうなものをうまくラインナップするようで、それとなく惹かれて動画を見ることになる。するとその度にどうも、そのアラスカの森で独り木を伐り出し、丸太小屋を建てたり、木工具の柄やWooden-Ladle(木製お玉)を鉈やナイフで工作したりする映像を見ていると、思い出す本がある。
といっても、今から20年以上前に図書館で借りて読んだ本なのだが、もうタイトルも著者もまったく思い出せないのだが、当時、その本を読んでいたときの、アラスカの森と湖に囲まれた丸太小屋での孤独な生活の記録の世界に釘付けになった記憶だけが強く残っていて、またいつかその本に再会したいものだと、何となく思っていた。どうも、その映像はその本に書かれたものではないのかと、見る度に思うのだが、それを調べる手立てもなく見過ごしていた。

a0282620_8251514.jpg当ブログには、ヘンリー・デイビッド・ソローについての記事はシリーズとして書いたものがあるが、ソローの詳細をよく知らないうちは、そのアラスカの丸太小屋で暮らした記録を記した本が、ソローの著作だと思っていたことがある。ソローとアラスカの丸太小屋の人物を勘違いしていたのだ。ソローを調べるうちに、どうも違うなあと、熊も出てこないし、湖まではセスナで行くような話しも出て来ない、そうして漸くソローとは別人であることが判ったほどだ。

そこで今回、「Alone in the Wilderness」をキーワードにネット検索でいろいろ調べてみることにした。だが、英文サイトしかヒットしないし、どうも、あのYouTube 映像は、DVD(アメリカのPBSテレビで放映されたもの)の紹介ビデオのようだというのは判り、英文では本も出ているようだが、こと、日本語版はあるのかないのかまったくわからなかった。翻訳本が出ているのなら、そのタイトルさえわかればと、いろいろググってみたが、どうも出て来ず。日本語タイトルをこうではないかと予想して検索してみたところ、漸くそれらしいサイトがヒットした。翻訳本は以下のとおりということが判った。

   独りだけのウィルダーネス―アラスカ・森の生活
    リチャード・プローンネク (著)、 サム・キース (編集)、 吉川 竣二 (翻訳)
    270ページ/東京創元社 (1988/06)

本のコピーは、

「厳しく美しい大自然の中、たった独りで人間は何ができるだろうか?その場所は、アラスカ山脈の中腹ツイン・レイクスの畔。時は、1968年5月下旬からの16ヶ月間。古ぼけた小さな小屋を振り出しに独りの男がハンドツールだけを頼りに完璧な生活を築き上げた。丸太小屋と野生動物とラスト・フロンティアの日誌。」

a0282620_8265568.jpgそして、目次は、
第1章 森の中へ…
第2章 丸太小屋
第3章 銃声
第4章 凍結
第5章 解氷の時
第6章 雲の湧く土地
第7章 レッド・ラント
第8章 チリカドロートナ川
第9章 森の生活考
第10章 次の春まで…
エピローグ 小屋のテーブルに残された
リチャードのメッセージ


もうこれで確信できた。そう、20年前に読んだ本はこれだ!
なんと、Amazon のマーケットプレイスで購入可能だ。
心は躍った。あの憧れの「アラスカ・森の生活」に再会できるのだ。
えっ、“森の生活”??
なんと、ソローのタイトルと同じではないか。
どうりで勘違いする訳だと・・・。

ただ、この日本語版の本で検索してみても、記事として取り上げているblog は見たところ3つくらいしかない。かなりマイナーのようだ。著名なアウトドアズマンでさえ、“リチャード・プローンネク”(1916-2003)のことを書いているのを読んだ覚えはないし、ソロービアンは多いのだろうが、プローンネクを賞賛する人を知らない。
だが、この51歳(1968年)から82歳までの30年間、アラスカ山脈の中腹、ツインレイク(Twin Lakes)と呼ばれる小さな湖水のほとりで、ほぼ自給自足生活をたった独りで続けて来たプローンネクという人物は、注目に値するはずだ。(本の内容は、最初の16ヶ月の生活の記録のようだが)

a0282620_8392710.jpg現在は、プローンネク自身が手巻き式のフィルムカメラで撮影した映像をYouTube やDVD で見ることが出来るが、20年前は単行本の文字でしか、彼のアラスカでの生活は知ることが出来なかった。だが、それでも当時読んだ本に描かれたアラスカ生活の映像は、今でも鮮明に脳裡に焼きついている。
カリブーやグリズリー、オオカミ、野鳥達などとの密接な関わり。特に、グリズリーとの食料貯蔵庫をめぐる力と知恵の闘いはよく覚えている。プローンネクの丸太小屋は今でも当地に保存されているようだが、小屋の背後に建てられている櫓の上にある貯蔵庫は、彼がグリズリーから食料を守った知恵の勝利の賜物であることがわかる。


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 ▲キャビンの後方の櫓の上にあるのが食料庫だと思われる。熊除けに高所を使った。


それから、今でもツインレイクスまではセスナをチャーターして行くようだが、当時も、水上着陸が可能な小型機でそこまで行くしかないような場所だった。プローンネクは友人のパイロットに生活物資を定期的にこの小型機で届けてもらうようにしていたし、彼が家族のもとへとても久しぶりに帰るときはそれに乗って帰ったことなど、不思議と湖水に直陸する機の映像は印象的だった。(文面からでも)


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 ▲建設中のキャビン。すべての木材は森から伐り出して加工したもの。垂木の角材など見事な加工だ。


彼は若い時、米国海軍で営繕係(大工)の仕事をしていたらしく、その後、ディーゼル機関機械工や海軍航空基地上の重機オペレーターも経験し、また自然への憧憬も深く、やがて農場やサケ獲りの漁師として働くこともあり、アラスカのキングサーモンの魚類野生動物庁に勤務した経歴もあるようだ。これらの多彩な職業遍歴から、彼の丸太小屋の見事な造りや生活用品、家具などに至るハンドメイドな力量と創意工夫の能力は養われたのだろうと想像する。また、たった独りの自給自足生活ゆえ、プローンネク自身ももともと腕に自信はあったものと思えるが、釣や狩猟の名人でもあったようだし、動植物や地形、気象などの価値ある記録も残している博物学者でもあったようだ。(このあたりもソローによく似ている。プローンネクのツインレイクスでの暮らしの動機には、きっとソローの影響が少なからずあったのではないかと想像する)


DVDの紹介用ダイジェスト版映像のよう。これを見るだけでもプローンネクのスピリットを感ずる。独りアラスカ・ツインレイクスで生き抜く孤高の人間の強さ、逞しさが滲み出ている。

Alone in the Wilderness
https://www.youtube.com/watch?v=iYJKd0rkKss


Alone in the Wilderness part II
https://www.youtube.com/watch?v=_3NRdZ8J24Q


YouTube 動画でも充分、彼のログハウスづくりの腕前の見事さはわかるはずだ。チェーンソーもない手引き鋸しかない時代に、木を伐採し、枝を払い、鋸と斧でノッチを自在に刻み、窓をつけ、ドアを取り付ける。特に、ドアの造作を見て驚くのは、蝶番いに金具を使わずに、すべて手彫りの木でヒンジを作ってしまうのだ。さらに、ドアノブや錠前までも木製なのだ。彼の手持ちの工具は実にシンプルなものだけだ。それを駆使して、驚くほどのハンドメイドを次々と繰り出す。
屋根は草葺で、チムニーはソローのキャビンと同じ形の石組みだ。
a0282620_854429.jpg彼のキャビンの室内を見ると、手製の暖炉のほかに鋼鉄製のキッチンストーブを持ち込んでいるのがわかる。煮炊きの調理と暖房の補助にこれを使用していたのだろう。(厳冬期は氷点下40度にもなるという)
生活道具もシンプルだが用途に適うものが揃えられている。彼の道具に対する愛情や感謝の気持ちが見て取れるような光景だ。ミニマムな暮らしでは、“もの”に対する使い方や長持ちさせる工夫など、大量生産大量消費の世界とは一線を画した厳格さがある。人間が独り、この厳しい自然のなかで生き抜いていける必要最低限のもので、ひとつとして欠いてはならない必携のアイテムとしてラインナップされているのだ。


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 ▲見事なキャビンの出来栄えとローンネク。生活必需品が軒下に並ぶ。彼のハンドメイド品も多い。


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 ▲ソローと同じように湖の石を使った手作りのチムニー。形状も同じだ。


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 ▲キャビンのドア。ヒンジやドアノブまで木を加工して自作しているのには驚く。


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 ▲キャビン内部。ひとつも欠かすことのできない道具の数々。それも必要最小限の物数だ。


a0282620_853567.jpgさて、そんなリチャード・プローンネクの本『独りだけのウィルダーネス―アラスカ・森の生活』だが、これを読んだ当時、彼の記録したアラスカ・ツインレイクスの世界は、自分の意識への浸透度はかなり高いものだったようだ。まさに、プローンネクの視線と同化するかのように、彼と同じものを文脈から感じ取っていた。このときより、北方の地の風景やエネルギーが自分の中に充満するようになった。
だから、それと同じような空気の文献を漁るようになり、野田知祐氏のユーコンものを好み、北米ネイティブや北欧、ロシア、アイルランド、スコットランド、ケルトの世界、アーサー王伝説の世界など、“北”にまつわる世界への偏向が始まっていくきっかけになっていく。これらは、どうも自分の北半球に寄りかたまっている過去生に関係しているのかもしれない。どうも、南よりは北、暑い地より極寒の地、といったように北の世界への憧憬が強い。

また、今、山の上のログハウスに住み、家づくり、庭づくり、ミニマムな暮らしを志向するのも、どうやらこのプローンネクの生き様を導いた魂傾向が似たようなものとしてあるからかもしれないと思うのだ。
ありがたいことに、Amazon の中古本でこのプローンネクの暮らしと再会できるのが、なによりの自分自身の原点回帰のようでことのほかうれしいのだ。


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このアラスカ・ツインレイクスの手つかずの自然の美しさをプローンネクは独り見ていた。彼はそれを伝えようと、手回しの撮影機で風景を撮り続けた。
by martin310 | 2014-04-10 09:15 | 田舎暮らし

『田舎暮らしに殺されない法』 丸山健二著・・・現在、田舎暮らしを生き延びる法を実践中(私の場合)。


丸山健二著、『田舎暮らしに殺されない法』(朝日新聞出版社/2008年)という本を読んでみた。けっこう衝撃的なタイトルに目を惹かれ、Amazon の“なか見検索”で冒頭を読んでみて、興味を抱いたのでマーケットプレイスから単行本を購入した。

本の冒頭は“はじめに”のこの超ロングセンテンスから始まる。

a0282620_1453657.jpg 都会生活に見切りをつけ、田舎暮らしに余生を賭けてみたいというあなたの気持ちはよくわかります。
 数十年という長日月におよぶ、ひとえにこの矛盾だらけの残酷な社会を生き抜くための悪戦苦闘と、妥協に継ぐ妥協、忍従に継ぐ忍従の連続によって構成されている、あまりにも反人間的な屈辱の都市生活を余儀なくされ、身も心もずたずたに、魂までもがぼろぼろになったところでようやく定年を迎え、人生のすべてであったところの、ときには家庭よりも切実な空間に思えた職場をあっさりと追い出され、世間でさかんにいわれているところの、あたかも輝ける希望に彩られているかのごとき<第二の人生>とやらの、あまりにも抽象的な、あまりにもきれい事の言い回しの口当たりの良さと、鳥籠や刑務所から解き放たれたような素晴らしい後半生の幕開けを予感させずにはおかない、癒しと救いの色に染めあげられた目くらましによって、ろくすっぽ考えもせずに、これまで厳しい現実のなかで培ってきたはずの厳しい尺度をいきなり投げ出してしまい、こんな暮らしは本物ではない、自分が望んでいた生活にはほど遠いという、漠然とした、そして悶々とした思いに、この際思い切っていっぺんにけりをつけてしまおうという反動の力に衝き動かされ、まったくもって無謀な、いかなる場合においても冷静な判断ができる熟年者らしくもない軽率な判断を下してしまうのです。
 そうしたあまりにも軽々しくて安易なイメージに端を発した、元も子も失いかねないほどの危険な人生の展開に退職金や残り少ない余生をそっくり注ぎ込んでしまう前に、田舎で育ち、都会から戻ってすでに長いこと暮らし、田舎の表と裏を知り尽くしている私の言葉に、その種の雑誌やその種のテレビ番組ではけっして扱わない、いや、扱えない忠告にちょっと耳を傾けてみてください。

 (丸山健二著、『田舎暮らしに殺されない法』より)


この本で著者が謂わんとしていることや、その語り口、スタンス、姿勢、社会や人間に対する秀でた観察力や人間心理の洞察力など、実際の田舎生活で培った豊富な経験などから、作家としての表現力の力量も存分に、定年後の夢の“田舎暮らし”にかかる危険なリスクと警告を実に見事に取りまとめて教えてくれている本であることが、この冒頭文で俄かに象徴的に察知することができるだろう。
こんなスローライフの計画を密かに練っている人には、実行の前に一度は読んでおくべき内容であると思える。言われていることが自分にあてはまることを素直に認められれば、計画の主体もより地に足のついたものになる可能性はある。知らないよりも、知っていること、知っていても焦点化しないことより、あらゆるマイナス面を熟知した上でのどうするかを考え工夫することの方が数段失敗は少ないはずだからだ。


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   ▲これが我が家の建つ前の土地の様子。欝蒼とした草地に瀟洒な雑木が茂っていた。(2009)


◆私の場合
さて、自分の場合はどうであったろうとふと考える。
現在の地に移住して早くも4年目に入ったのだが、そもそもこの本のケースとの違いは、定年はまだまだ先にあるところでの決断だったことだ。なので、職を換わることなくそのまま継続勤務できるのが条件だった。
だが、この本に書かれていることについて、相当無知のまま、状況が推移するに任せ、まるで何かに導かれるように今の地に終の棲家を持つに至った経緯が自分にとっての現実だった。今考えると、田舎への移住にあたっての情報収集も実に杜撰で、細かなことは何も知らずに土地の「波動」頼りに山野を探しまくっていた。

自分にとっては平地でない、山寄りの標高がある場がまず照準になった。標高がある高原が目当てで、これは俗塵の波動から離れる大きな意味があったからだ。しかも、隣接する住居が離れて独立していて、まわりに干渉されずに個としての独自の暮らしが保てる場所を求めていた。それには生活環境として、多少の不便さがあってもかまわず、ロケーションや空の大きさや森の豊かさの方を優先したかった。
そうすると、かなり高級な林間別荘地になる。観光地近辺を周ったが、あまりに地価が高過ぎ、まったく手が出る要素がなかった。で、もう通勤可能圏内のエリアには対象の物件はない状況になり、既に諦めムードの漂ううちに遠過ぎる伊豆の山中まで見学のつもりで視察したところに、現在の土地があったのだ。
それも、販売物件のいくつかを巡っても住居に適する場はひとつもなかった。ようするに売れ残りか、立ち退いた区画しかないわけだし、長年売れ残っているのはつまりは誰も見向きもしない土地である証拠だからだ。
もう、ここは駄目と諦めようとした矢先、管理事務所で未公開の物件をそのとき、所長のOKが出て販売可になった。さっそく下見に行くと、展望は最高、緩斜面で下草が生え、雑木が茂ってちょとした林になっているところだった。季節もよかったので、緑が目に眩しく、梢の木陰も美しかった。まるで森の妖精が棲んでいそうな気配に、もうここしかない!と直観してしまったのだ。
しかも、山林であるこの地の評価額が驚くほど安かった為、販売価格の相場も一般の市街地のそれからはべらぼうに格安だったことで、急激に購入の可能性は近づいた。


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        ▲この木は庭先のシンボルツリーにいいと思ったが、伐採し抜根しなければならないとわかった。


a0282620_1357383.jpg当初は無知にも、この草地や雑木をできるだけ残し、その中にウッディなこじんまりとした家を建てることを夢想していた。画像のような魅力的な樹もあり、これがシンボルツリーになるなどと思い描いていたのだが、実際はあまりに程遠く、建設工事には一切の雑木を伐採し、抜根し、整地してではないと無理なことがわかり、あの“妖精の森”は無残に消失させるしかなかった。重機でならした土地は、山土が露出した荒々しい土砂堆積地に変貌した。
“妖精の森”は、後から考えると自分がこの地に心を決定するために用意されていた誘い水、方便であったようにも思えた。
なぜなら、もし、整地された建設予定地のようなこの場を目にしたとしても、きっとそれだけ興味や魅力を感じることはなかったかもしれないからだ。

a0282620_144375.jpgやがて地盤検査でこのまま基礎を打つことは強度に問題があることが判明し、地盤改良工事が必須であることになり、想定外の予算が必要となった。それにも重機が入り、基礎工事にも何台もの工事車両が入り、ましてログ材の搬入の様子を見れば、その物量から到底森を残してその中に家を・・・などということがおよそ非現実的なことがわかった。


ただ、移住後丸3年が過ぎ、庭づくりや小屋づくり、外壁の再塗装や土留めやフェンスなど、外まわりのあらゆることを経験し、DIYの腕も以前よりはやや自信がつき、“スモールハウス”のことなども知識が増えた今、セルフビルドのミニマム住居をつくることは自分の行動様式の内に入ることが優々と可能になったことを思えば、あの夢のような“妖精の森”の中に、ミニマムハウスを建てることは当然視野に入ったことだ。母屋の小屋+付属の小屋×3棟のような構成で、一棟ずつ建て増して一戸の住居をつくっていくような方法で、ミニマム小屋群を点在させれば、敷地全体の森に包まれた小さな住まいというプランが、かなりのローコストで可能になる。
もっともわかっているように、それも今までのログハウス建設に関わるすべての経験があり、かつまた、“スモールハウス”ムーブメントが世に出て来てはじめて発想できることであって、それ以前に遡ってはまったく考える余地はなかったものだ。
実際、当時はログハウスという観点もなく、ユニットハウスを繋げば住居の体裁にできるなどという幼稚な発想しかなく、建築基準法や都市計画法や農地法、土地税制に関することまで、何も知らない中で住居建設を考えていたのだから、『田舎暮らし』で殺されずに済んだことは幸運だった。

いや、それもまだ4年目、この先の長いことを考えれば、この本の警告する内容に触れることも今後起きうることかもしれない。できる限り、自分で動き、自分の手で住環境を保持し、少食・微食で老いを遠ざけ健康を維持し、年齢以上に頑強な身体で山の生活を持続させていきたいと思うところだ。
少なくとも、定年後の余生をこの生活に賭けるのでなく、もう既に現役中に移住し、そこでのライフスタイルを形作っていることはハンデがないことだ。ノウハウの蓄積は今後の宝になるだろうし、ここでの実生活上の体験は、次に続く人たちの情報に少しはなるかもしれない。「住」と「食」+生きがいの追及は、万人に関係することだから、意識の進歩と同様、現実ベースの人間存在の基本であることは不変だ。

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▲現在の我が家。(2013) かつての“妖精の森”を取り戻すかのように欝蒼と緑が茂って来ている。

土をいじり、花や野菜や樹木を育て、陽光の恩恵を受け、雨の恵みを知り、風や霧や雪や寒さや暑さに包まれて、自然からの「食」の贈物を享受し、住みやすい住まいに居て、人との分かち合いを通じて皆と結ばれ、命の尊さ、ありがたさを感じながら生きることに何の疑念を挟むことはないだろう。生きることの基本を生きれば、決して生き難いことはない。そんな素朴な事柄も、失って苦しんでいる時代を自分の力で取り戻そうではないか。
田舎暮らしとは、そういうシンプルな目的で充分である。
by martin310 | 2014-04-07 14:21 | 田舎暮らし