伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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ガーデンオブジェの制作・・・アメリカンポンプを取り付けたビール樽プランター


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▲ビール樽プランターに台座を付け、アメリカンポンプを取り付けた自作のガーデンオブジェ。


我が家の庭のエゴノキと白樺の木の下に、何かアイポイントとなるようなガーデンオブジェを置きたいと、かねてからいろいろ考えていた。
大きさもそこそこに、重量感のちょっとあるようなもの・・・。

そこでガーデンポンプのようなものを飾りたいと。
そう、手漕ぎの井戸ポンプがいいと、いろいろネット中を探索。
でも、日本のあの田舎にあるカエルポンプではなしに、できればヨーロピアンポンプがいいと探していたが、なかなか品薄で手に入らず、ならばちょっとごっついデザインのアメリカンポンプならと、手頃な値段のものを見つけた。
中国製なのでちょっと安いのか、実際に使用可能のようだが、特に水を汲む予定はないので、ただオブジェとして使うのに購入した。

a0282620_15175588.jpgそして、それとセットで樽がいいか、それともレンガを組んで井戸もどきを作ろうかと考え、結局、Jマートでいい感じのビール樽のプランターを見つけた。
本物の樽を半割にしたもので、重量もかなりある。
これにポンプを取り付ければと、さっそく厚い板をカットしてビス止めしてそれらしいものにした。

後は木材防腐塗料で塗装して完成。

これを木の下にレンガを台座にして設置し、中に花を植えるつもり。周りはホスタや蔓性や匍匐性のハーブなどで囲み、うまく庭になじむようにしたいと・・・。

でも、塗装するとあまりにきれいで、これを野ざらしにするのはちょっとなぁなどと思いはじめている。
いっそのこと屋根まで造ろうかとも・・・。

さて、どのようになるのでしょう?



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▲自作の折りたたみ式“馬”に2段に乗せて塗装する土留め用板。


それから、ガーデンD.I.Y はさらに、朽ちはじめて崩壊しそうな庭の土留めをやり直すことに。
家の建築時の廃材を使ってやっつけ仕事でやった土留めが、もうすでに3~4年を経過し、次々と腐って崩れ始めている。
今回はSPF材に念入りに防腐塗料を塗って、すべてやり直すことにした。
これはまだ序の口、家の裏側はもっと分厚く幅のある材で、かなり強固なものを作らないともたない。
長さ20メートルもの土留めをやるのだから、この秋は相当な重労働を余儀なくされることが決定的だ。

そのほか2つのミニログも全塗装を待っている。デッキもコンサバトリーも造るつもりというのだから、来年の春まで延々、ガーデンD.I.Y は休むことなく続くようだ。


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▲土留め用の杭も自分で角材でつくり、、念入りに塗装する。

by martin310 | 2015-08-30 15:25 | *D.I.Y | Comments(0)

山中湖の岬にて・・・。自然からの贈物は、自らの意識の深みへと滲み込んで来る。


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山中湖を空から見ると、私には鯨の形に見える。
その尾っぽのあたり、尾ひれの根本にあたるところに岬がある。
湖に突き出た岬。そう、そこは“みさきキャンプ場”があるところだ。

この小さな岬には、湖岸沿いに釣り人が跡をつけたような細い小径があり、先端まで行ってぐるっと周遊できる。
対岸の平野地区の家並みが見えるが、そことは湖面を挟んで、大空を望める特別な空間がある。
いくら小さな岬でも、岬のような尖った地形の先端に立つというのは、何か広大な空間のひとつのパワーポイントのように思えて、つい、行ってみたいと思うものだ。
ここで地面が切れるという地に立って、天球のように広がる空を前に両手を広げる。まさに大宇宙との交感のような場所・・・。


a0282620_19481556.jpgキャンプ場を過ぎると、岬の先端までは草叢と低木に覆われている。その草叢は、あまり見たことのない、色とりどりの不思議な草が密生していて、思わず踏み潰すことをはばかれるほど、何か特別な美しさを持っている。
案外ここは、何も手をつけられていないだけに、この湖畔の純粋な野生の植物が繁茂しているのかもしれない。

それに岬を周って広い湖面が広がる北側には、秀麗な富士の姿が見える。その長く伸びる裾野の森の広がりを見るのも好きだ。だから、山中湖をぐるっと巡ったときには、大抵、この岬に寄って行く。意外に知られていないが、けっこうスピリチュアルな場ではある。どこか遥か遠い過去の、どこかの国の風景の記憶が甦って来るようなものが多い。


a0282620_1948368.jpgこの日は雲が多く、雨さえ降らなかったが夕が迫る頃はどんよりしていて、気温も下がり、かなり秋の気配を感じさせる天気だった。
それもあって、亡羊と広がる暮れかかる湖は、どこか憂いを秘めたような叙情的な光景に見えた。
ふたりでいるからそんなこともないが、ひとりで訪れたなら、けっこう過去の想いなどに耽るようなしんみりとした情趣のある場所ではある。
蒼い湖岸の影を映す湖を眺めることは、そんな意味深な感情を掻き立てるような要素を持っている。またそういう自分の内部の感情を感じてみることも、ときに必要なことでもあるのかもしれない。

自然は、何も言わずとも、なにものかを知らないうちに与えてくれるものだ。そこで受け取れるものがすなわち、自分への自然からの贈物なのだろう。


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by martin310 | 2015-08-26 19:54 | 風景探勝 | Comments(0)

“庭先の 離れの小屋にしばし佇む 心日和に” -Martin-


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これは我が家の母屋の横に、後から建てた離れのミニログ(6畳の小屋)の内外を撮ったもの。
母屋のログハウスがもともと荷物の収納力がない為、もう一部屋追加のつもりで増築したもので、主にツレのワードローブになっている。

ただの物置小屋にしておくにはもったいないので、いろいろと外にも内にも、それなりのものを飾って雰囲気を愉しんでいる。
玄関ドアの横のポストはもちろん飾りのダミー。
未だに間違って郵便物を入れる配達員の方はいない。

以前、まだ生垣のコニファーが小さく、道路から庭が覗けていた頃には、ときに散歩の人がこの小屋を見て、「何かお店をやってられるんですか?」などと訊いて来ることもあった。
「いやぁ、あれはただの小屋です。母屋が狭いもんで、荷物が入り切れないので建てたんです」などと答えていたものだ。
と言いつつ、店に見えるようで、コーディネーターとしては、つい、「うふふ」とほくそえんだりして・・・。

それも今は、木がめっぽう大きくなり、道路からの視線が入る余地がなくなってしまったので、まったく人目に触れることもなくなってしまった。
なので、せいぜいこの場で画像としてでも、お披露目しておきたいと思った。いつもほとんど出入りがなく、今や開かずの間になりつつあるミニログがちょっと不憫なので・・・。

そんな思いから、たまには中に入ってみるのだが、やはり、手頃な狭さのログの小屋の内部はとても居心地がいいものだ。
木の壁に囲まれたしーんとした小部屋は、なぜかしんみり何もせずに佇んでいたい気持ちになる。なーんにもせずに、ただぼーっと室内や窓を眺めている・・・。
窓から入る光の陰翳が、ゆったりとした時間の推移を醸し出して来る。
日常の生活そのもののタイムラインから、ちょっと非日常の枠外へ出て見る感触の面白さを知る思いだ。
こういう場がちょっとあることの幸せを改めて思うところがある。

ここで一句・・・、

 “庭先の 離れの小屋にしばし佇む 心日和に” -Martin-


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by martin310 | 2015-08-24 13:55 | ログハウス | Comments(0)

私の好きなもの――ふたつには「窓」、そして「窓辺」。内なる小世界から、外なる世界を眺める・・・。


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▲リビングの大窓からの庭のサルスベリ。開ければ心地いいそよ風が室内に入って来る。


気になる瀟洒な家を見るとまず窓を見る。
森の中に佇んだ洒落た家を見つけると、どこがそう見えるのか眺めて考える。
屋根や煙突もそうだが、まず窓の形が大きなポイントなのがわかる。
家のデザインを生かすも殺すも窓にかっかっていると思えるほど、窓にかかる意匠における比重は高い。
それも、自分が特に窓が好きだからそう思えるのだろうか。


我が家を建てるとき、おのずと窓にはこだわった。
ログキットの場合、すでに窓の建具は決まっているが、窓の周りを囲むカバーボードの形には注文をつけた。

ログハウスはセトリング対策で、窓の周りは木が縮むことを予想して、予め空間を持たせてある。その隙間を隠す為に板をあてるのだ。
その窓の囲み板の形状がまた、窓の雰囲気をかなり左右する。
なので、カバーボードと小さな庇のような“霜除け”と呼ばれるものも含め、理想の形を追求した。


もちろん窓枠は硬質な木材でできたものに限る。
アルミサッシは劣化はしないが、いささかもいい雰囲気を出さない。せっかくの家のイメージを既製品化してしまう。
木の窓というのは、使い込むうちにさらにシェビーな魅力が出て来るものだ。風合いというものが味を生み出す。
自然素材で出来た家は、家そのものが自然の一部であることに魅力があるものだ。



窓、そしてその窓から室内へ光が入って来る空間が好きだ。
暗がりのある壁に、窓からの柔らかい光がほんのり射している光景は、それだけで時間を忘れ恍惚とまどろむよすがを与える。
格子と硝子、そしてレースとカーテン。窓にはそれをさらに引き立たせるアイテムが揃っている。
窓の演出で、部屋の雰囲気はがらっと変わる。

窓越しに見る外の景色の美しさ。
それは絵画の縁をつくるが如く、窓枠が景色を切り取る。
光や色や木々や花々が生きた絵が、内なる静かな自分の心うちにしんみりと沁み込んで来る。
照度の落ちた室内の陰翳から、外なる明るい広い世界を眺めることは、自分と世界を結ぶまさに心の窓のように深い結びつきがある。
外の景色が内なる自分の意識に写って映えるように、窓から眺める世界は私の心の扉を拡げてくれるのだ。


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▲階段上の小窓。少し開けるだけで南側からの風が通るようになる。


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▲自分で作った道具小屋(Tool Shed)の窓。母屋のカバーボードのデザインと同じに手作りした。硝子でなくアクリル板を使い、窓はもちろんちゃんと開閉する。


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▲リビング吹き抜けのフィックス窓。空が見え、光が射す天井の具合が静かな時を感じさせる。


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▲離れのミニログハウスの窓。母屋とはまた別の独立した空間を感じ、時間の流れも異なるようだ。


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「Tumblr」で収集した写真画像も、このとおり窓に関するものが多いのがわかる。外国には魅力溢れる窓がたくさんある。窓フリークにはたまらない世界だ。
私のもうひとつの「Tumblr」でのブログはこちら。
http://martin-island310.tumblr.com/
※ブラウザのフレームを最大化すると、画像がすべて表示されます。小さくしていると一部しか出ない場合があるようです。

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by martin310 | 2015-08-20 11:28 | ログハウス | Comments(2)

私の好きなもの・・・ひとつは樹の姿。 美しい樹木に出遭う喜び。


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自然の風景のもとで、手持ちのカメラで何を撮るかは、長年そうやって被写体を求め歩いていれば、ほとんど何に自分が反応するかはよくわかって来てしまうものだ。
視覚に感応して来るものしか、カメラを向けようとはしない。いくらフイルムとは違って、メモリーしか使うものはないにもかかわらず、無駄なショットを撮ろうとはしない。
後でプレビューしても、興味もなく撮ったものは、自分が一番無反応で使い物にならないと思うのを知っているからだ。

そうすると、撮り貯めたものはほとんどが、自分が好むようなものばかりになる。そんな枠組みからもう少し外へ出ようと試みることはしてみても、いつのまにかまたいつもの自分パターンに戻ってしまう。

そういう自分パターンの被写体のいくつかの中で、案外、樹木のシルエットというのは多いようだ。

特に天気のいい、光が溢れている日には、ことのほか幹や枝のシャドウが黒々として空を背景にして際立つ。なので、樹形がよくあらわれて樹自体の姿の美しさが目を惹くのだ。
夏の日は、そういうコントラストの強烈さがまた、樹の形が好きな自分には魅力的に見えるのだろう。

樹幹や枝葉の線画的な形が実に美しい。
自然にそうなっている樹の形に、構造的で、無駄のない合理性に富む芸術的な形象の素晴らしさを見ているのだろうか。
シャッターを切ったあと、
「・・・いい樹だ。」とひとり呟いたりしている。

惚れぼれするような美しい姿の樹木に遭った日は、それだけで満ち足りた気持ちにさせてくれるものだ。
何をどう操作したのでも、意図的な仕業があったのでもなく、ただ、あるがまま自然のままにそうなっただけで、無垢の美に溢れているのだ。

自然の中を歩くというのは、そういう出会いを与えてくれるもので、他者にはわからない自分と対自然だけのやりとりなのかもしれない。
ものの価値は、価値という概念を抱いたときに既に生の感動を消失させてしまうものだ。自分と自然、自分と大いなるなにかとの呟きこそ、意識と感性の交流のありがたさを受け取れるものだろう。


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by martin310 | 2015-08-18 14:36 | 風景探勝 | Comments(0)

ものづくりや表現行為は自分のライフワーク?! 新作YouTube動画「Image Portforio #3 」も完成。


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元来、人それぞれに資質や感性が備わっていて、それを磨きながら、なにものかに活かしていくことで、自分の存在意義が確認できるような仕組みになっているようだ。
事の如何を問わず、その軌道に沿って行動しているとき、案外、生きることの歓びや愉しさを感じるようで、そうでないとき、人はえらく不満足で楽しくもなく、自分自身を認めることも出来なくなるようだ。

自分の場合は、やはりどう見ても、何か創造的行為に浸っていないとどうも具合が悪い性質のようで、何か思い描く世界をなにものかの媒体を使って表現行為をしているか、そこへ向かっていないと、手持ち無沙汰でつまらなく、熱中できるものがないことへの不満、不平でどうにもやり場のないような状態になるものだ。
それが常にわかっているだけに、次に何を?を考えている。

何をしたいのか?何をつくりたいのか?
どんなものに興味が向くのか?
自分自身をそれに振り向けて、反応を探ったりしていることが多い。つまり簡単に言えば、何にわくわく感を持てるかを探っているのだ。しかも、それが三日坊主に終わらずに、ある程度の期間、興味を失わず、懲りずに、あるひとつのプロセスを経過して終わるまでやり通せるかどうかも、自分に問うていることがある。

そんな流れでずっと今まで来ている。それは単なる趣味や趣向の範囲を出ることは実際にはないのだが、食べていくための職業以外の、自分のライフワークとして、常に何かしらに夢中になっていることがほとんどだ。
それを端から見ている分には、あれこれと様変わりが多く、飽きっぽく多趣味のように見えるかもしれないが、自分の内側では、皆、一様につながり合い関連しあっていて、生きる流れに沿ったものであるので整合性はあると思えるのだが。

なので、おのずと多趣味仕様の道具類がやたらと増えてしまう傾向は否めない。あれもこれも、何かやるか作るかで、それに付随して必要な物は多様に出て来る。
まったくその為に、道具小屋まで自作するはめになり、それでもまだ、収納できない物が溢れて来る始末だ。

そういう今年は、今までと同様、ご多分に漏れずいろいろなことに手を染めている。それは一様に、ブログの記事内容を見ているとわかるように、「D.I.Y」をはじめ「キャンプ」、「ガーデニング」、「写真」、それに「動画」が加わり、自然のもとに分け入り、風景を中心に探訪を続けている。カテゴリー的にはそのようなものだが、内容的には自分の求める世界を探し、その片鱗を集めて表現にしていることになる。

作品的ではなくとも、写真画像でも動画でも、手作りした物でも、それぞれがその時点の自分の創造の結果になるもので、時系列的な推移のポインタになるものだろう。
そのほか、ここにあるような家そのもの、暮らしの環境自体もひとつの表現行為で、インテリアもエクステリアも、庭の植栽もすべて含めて、自分たちの“暮らし”のスタイルを形作っていると思っている。
「暮らし」そのものをデザインしていくことが、自然に自分の一生を通してのライフワークというものになっていくのだろう。

涼しくなるこれからが、さらに活動の充実するときかもしれない。


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さて、これまでも完成の折にお知らせしていた、YouTube動画の最新作が完成したのでここに掲載しておきます。

「Image Portforio」シリーズの第3作目で、今回は伊豆と箱根が主な撮影場所です。
眼と耳をやわらかくほぐして、癒しのひとときをお過ごしください。

【撮影地】
●箱根・芦ノ湖(西岸)
●西伊豆・黄金崎
●西伊豆・安良里港
●中伊豆・吉奈温泉(東府や)
●中伊豆・滑沢渓谷
その他、自宅庭及び周辺


Image Portforio #3 [IZU,HAKONE] 2015 midsummer

https://www.youtube.com/watch?v=-O2olM5VSXU

※1080pのフルハイビジョン仕様でつくってあります。最大化で最高画質でご覧いただくことを推奨します。尚、音楽も外部スピーカーやネットワーク・オーディオなど、高音質でお聴きいただくといっそう臨場感があります。
ちなみに私はこんな風にして聴いています。
PCからUSB出力でDACへ接続。DACからプリメインアンプ、自作バックロードホーン+ASW(アコースティックスパーウーファー)。映像は27インチモニタで最大化表示。

by martin310 | 2015-08-14 20:49 | オリジナル動画 | Comments(0)

地にあって、天と結び合う風景。 “オクシズ”の山の中に異世界を見る。


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▲風に吹かれてなびく少女の髪のような木。森や山に囲まれてぽつんと立っている・・・。



“オクシズ”の井川湖へ向かう道は、それはもうまさに奥静岡にふさわしく、いくつもの山を越え、くねくねと蛇行し、谷を跨ぎ峠を越えて行く田舎道だ。なので行き交う車もごくわずかで、のんびりゆっくり沿道からの風景を脇見して愉しむことができる。

夏の盛りの灼熱の太陽がぎらぎら照らし、空は青く澄み、雲は巨大に盛り上がり、緑は美しく輝く・・・。
山深く入り込めば込むほどに、垣間見る風景そのものが、どこか物語の世界のような不思議なリアリティで迫って来る。

「草はらに立つ一本の木。」

「分け入った山端に見える水力発電所。」

「草の生い茂った小さな丘。」

「そして、入道雲が大空を占める峠の展望・・・。」


道行くうちにふと目を止めさせ、意識に触れて来る山の風景。
そうやってカメラを向ける気にさせる風景のその向こうには、意識と交感する何ものかのふれあいがある。
この世にあって、この世以上のどこかと結び合う波動。
そういうものがあるからこそ、人里離れた秘境の地を目指したくなるのだろう。
風景は地にありながら、同時に天にあるものと結びついている。そこにこそ、目に見えるもの以上のものを感じとる悦びがあるのだ。



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▲山奥の水力発電所と川に架かる鉄橋。緑の明るい森に囲まれて、そこには物語の挿絵のような世界が広がる。



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▲雲間からの光がそこだけに映えている緑の丘。まるでそこにUFOが降り立って来ても何も不思議ではないような、異次元への扉のような雰囲気を持っている。



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▲限りなく降り注ぐ夏の陽光。峠からの山並の展望は、心晴れやかに開けたように気持ちを解放してくれる。夏ならではの風景の贈物だ。
by martin310 | 2015-08-11 11:58 | 風景探勝 | Comments(0)

夢のような湖上にある駅・・・奥大井湖上駅。夢とうつつが交錯するような不思議な風景。


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「オクシズ」、つまり静岡県の奥地、大井川の上流の井川湖まで行って来た。
そう、あのSLで有名な“大井川鐵道”の走っているエリアだ。
そのうちSLの走る金谷―千頭間の、もっとその先を走るアプト式鉄道の“井川線(南アルプスあぷとライン)”に湖の上にある不思議な駅が存在することをネットで知り、どんなところなのか見てみたいと思ったのだ。

寸又峡は以前行っているが、この路線が通るあたりの“接岨峡(せっそきょう)”はまだ見たことがなかった。井川湖(井川ダム)も別ルートから以前行ったことがあったが、そこへ通ずる接岨峡ルートは今回が初めてだ。

だが、実際行ってみると、道路が整備され、その道路の脇を樹木が囲んでいて、いったいどこがその“接岨峡”だったのか、ほとんど展望がきかない中を通り抜けていたようだ。ふかーい谷底にわずかに青磁色の水の流れを見たところもあったが・・・。
なんだか拍子抜けしたようなうちに、「レインボーブリッジ」などという、小さな看板を目にした。(あの有名な世紀の巨大ブリッジを模した何かと思いきや、後で調べるとこちらが先手のネーミングだったらしい)
まあ、ともかくちょっと脇道に入りその「レインボーブリッジ」なるものを探した。と・・・、眼下のコバルトグリーンの湖水の上に真っ赤な鉄橋が美しく架かっているのを見て驚喜したのだった。
「ああ、これがあの“奥大井湖上駅”か」


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なんだか、とてもふしーぎな雰囲気に包まれた駅だ。
だいたい名称からして“湖上駅”というのが、どこか非現実な世界を醸し出している。湖上に浮かぶ駅・・・、そこにいったい誰が降り立つというのだろう?
まるで宮澤賢治の「銀河ステーション」を思い起こすようなイメージだ。賢治の世界が夜の銀河の宇宙、こちらの湖上駅は、湖水に浮かぶ真昼の駅といったところだろうか。

気温は35℃くらいあるだろう。車から出て、カメラを向けていてもぼーっと熱気で頭がくらくらしてくるようだ。
ツレはエアコンの唸る車中から決して出てこない。
熱気でむんむんする異常な暑さだ。

何カットか撮っているうち、何やら列車の鉄橋を渡る音がかすかに聞こえてきた。
あっ、電車が来るぞ!
何というタイミングだろうか?
1時間に1本程度しか走っていないその電車が、こともあろうに最高のタイミングで湖上駅に姿を現したのだ。電車は静かにゆっくりと駅に音もなく停まった。
しーんと静まり返った緑の中に、赤い列車と赤い鉄橋が見事なコントラストで横に伸びている。

まさに夢の世界にいるようだ。
深夜眠っているときに見る夢の絵巻のワンシーンを見ているようだった。
人が3人降りて、階段を登って上にある展望台に行くようだ。
それを対岸の上方から、まるでジオラマを眺めるように見ている自分・・・。
ミニチュア模型を動画にしたようなミニチュア効果な世界。

おとぎの国や童話の世界をこの目で見ているような、異様に不思議な光景だった。
案外、こういう風景はアストラルな天上界にはあるものだ。
そういう潜在意識の深層に秘された記憶が浮かんでくるような、夢とうつつが交錯するまさに夢のような光景だった。


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by martin310 | 2015-08-09 19:34 | 風景探勝 | Comments(0)

暑い夏は湖畔で涼もう。箱根・芦ノ湖畔でお昼をいただく。


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出掛けついでに、箱根・宮下の「ピコット」でパンを買って、芦ノ湖の湖畔でお昼を食べようと、かなり久しぶりに芦ノ湖西岸のお気に入りの浜に行った。

車の温度計では外気温は優に30℃を超え、34℃を示したりもしている中、徐々に標高を上げ、さすがに箱根の尾根道を走っているときは25℃にもなり、エアコンを切って窓全開で走ることができた。
この分なら、案外芦ノ湖畔でもけっこう涼しいかもしれないと、西岸のゲートに車を停めて、浜まで歩いた。
このあたりは観光客が来る場所とは対岸にあって、まずは知る人ぞ知る場所なので、釣り人かハイカーしか足を踏み入れることはない。なので、ここにある画像が芦ノ湖なんて、なかなか知っている人は少ないだろう。

湖畔に着いたら案の定、木陰がまったくない。仕方なく、砂浜の流木に腰をかけて二人でパンをかじった。
あいにく帽子も忘れて、完全に炎天下に晒されながらのランチタイムだ。だが思った以上に涼しい。直射はきついが、湖畔だけに風が吹いていて心地いいのだ。

いつになく、この日は夏らしくくっきりと晴れ渡っていて、光がとてもクリアで風景のコントラストが際立って美しい。
それはそれは感動的なほど鮮やかな緑とブルーに輝いている。
こんな風景の中で、湖の風に吹かれながら食べるピコットのパンは余計においしく感じられた。

a0282620_20202793.jpgさて、食べ終わるとさぞかし暑いであろうワンコに、芦ノ湖の湖水で行水させてあげようと水際に連れて行った。水はけっこう好きでどんどん入って行くかと思いきや、波が来ると怖気づいて腰が引けている。ツレは無理やり水へ引き込んで体を濡らしてやっていた。
向こうでは大型犬2匹が上手に水に入って遊んでいる。飼い主も水に浸かって、実にうまく訓練をしているようだった。
我が家のワンコはそんな先輩犬の勇姿を遠くから見ていたが、いざ、自分の番になると波が怖くて後ずさりばかりだった。

この光の美しさは、単に空が晴れ、空気が澄み・・・、だけのものではない。それはまさに、真性の光が既にこの地上に降っているという証だろう。
これだけの高次元の光に満ちているのだから、そうでないものは露骨に顕在化するしかない。だからキチガイじみたものが目立って見えるし、まともでないように隠せなくなるのだ。
あまりに輝度の高いステージに、黙っていても狂ったものが勝手に踊る・・・、それが今の時空だろう。



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▲正面の山は、駒ケ岳と神山。この左裏のあたりが大桶谷で、噴煙の映像でニュースによく出る場所だ。


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▲芦ノ湖西岸へはこんな道を行く。ゲートからは徒歩でとなる。湖尻までずっと遊歩道がつながっている。


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▲画面中央のあたりがこの日行った砂浜だ。夢のような場所にある。


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▲車を停めたあたりにある大きな木。けっこう姿が美しい木が並んでいる。
by martin310 | 2015-08-06 20:23 | 風景探勝 | Comments(0)

酷暑の夏・・・、空の劇場と夏野菜の実り。


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いよいよ黙っていても夏本番になって、毎日、ここ伊豆でも30℃を超えるのはあたりまえの時節となった。

我が家はそれでも、平地よりは標高が少しあるため、若干、涼しげではあるのだが、それも午前中だけで、午後からは全開放された西日の照射にあい、室内温度はぐんぐん上がる。
暑さに弱い着ぐるみを着たワンコは、ハーハーしながら辟易している。去年生まれたワンコは、これで二度目の夏を迎えたのだが、どうも真夏でも毛皮の身でいなければならない身には堪えるようで、ときに食欲不振になったり、また復活したりと、いろいろとたいへんなご様子のようだ。

夏の空はまた、映像的にはいつになく変化に飛んだものが出現することが多く、快晴の日の雲や夕日には興味が尽きない。雲と光が生み出す天然芸術を見逃さぬよう、家に居るときは空の具合を気にかける。


a0282620_10114662.jpgそれに夏といえば、夏野菜。
よく猫の額ほどの・・・と言うが、これはいくらかの謙遜も含まれているようだが、我が家の畑に関してはまったく文字通り、猫ならぬワンコの額ほどの広さしかない、ささやかな名ばかりのキッチンガーデンだ。
その木枠で囲んだ小さな畑の中には、大して手入れもしないながら、食べ頃の夏野菜が実りはじめている。
毎日、なんとなく庭先を眺めては、実が大きくなったのを見計らって収穫に出る。といっても、二人の食卓にほんのわずかの彩が増えるだけのものに過ぎないが、それでも完全無農薬、完全放置しっぱなしのミニトマトやキュウリや、モロッコいんげんなどなどが初々しい姿と味を魅せてくれる。

a0282620_1012128.jpg買ったものとの差は、言われないとわからないが、家で採れたと聞けば、自然と贔屓になり、やっぱり「うちのは旨い!」などと言っている。でも、採れたてのものはやはり粋が違うので、色艶や食感が違うのはわかるものだ。
いわゆる「氣」がエネルギッシュにあるなと感じる。こういう旬のものを、旬のままにいただいていれば、健康でいられない訳がないと思えるものだ。
今年は連作の影響もあり、はたまた土に、大して手をかけてもいなかったので、去年よりはなりは少なく、大きさも小振りだ。
ちょっと反省して、冬の時期にもう少し土を元気にしておかねばならないと思った。

それに、さらに畑地をもう一枠作って、もっと野菜の種類も増やしたいとも思った。自分が食するものを、もっと自分の手で作り、お金をもっと使わない食生活を営みたいと思うからだ。
これからは花の苗を植えるより、野菜を種から育てよう、そういう取り組みで行きたいなと思う夏の日である。


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by martin310 | 2015-08-04 10:12 | 田舎暮らし | Comments(0)