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落合秘史「堀川政略」で幕末史の謎を解く -1-▲函館戦争での旧幕軍の戦艦「開陽」(復元模造) 船体にある隠し窓の中には、クルップ砲を含む26門が並ぶ。 歴史は覆される。 それはそうだ。歴史とは勝者の歴史だ。 勝者の都合で捏造されたものでない訳がない。 だから時代、時代で新たな封印が解かれていく。 そこにまったく新たな歴史の真実が立ち現れるのが常だ。 逆にそれが時代を生んでいくとも言える。 今まさに、近代の日本成り立ちに新たな照明が与えられつつある。 明治維新の実態が隠された闇から実像を現す。 これを機に真実を掴まずには、またさらに「今」の真実をも隠蔽の闇に消される。 落合莞爾著『明治維新の極秘計画』「堀川政略」と「ウラ天皇」(成甲書房)を読んだ。 明治天皇すり替え事件はネット上ではすでにポピュラーな説になっている。 「大室寅之祐」の名もそこここに散在している。 昨年読んだ松重楊江著「二人で一人の明治天皇」にはこの件についての詳細が記されていた。 あまりのリアルな内実開示から、まったくそちらを信じて疑わなかったが、こと「堀川政略」の概要を知った今では、孝明偽装崩御の方がもっともらしく思える。長州の下忍だった伊東俊輔(後の博文)が惨殺した説も捨て難いが、遠大な計略が張り巡らされていた「堀川政略」には、あまりに様々な焦点が合うことからも納得をせざるを得ない感がある。 この本の帯にもあるように、「堀川政略」の大絵図はこうだ。 ・孝明天皇⇒偽装崩御⇒京都皇統:国體天皇(国家シャーマン) ・大室寅之祐⇒睦仁すり替え⇒東京皇統:政体天皇(明治新帝) ここではこれらの内容検証よりも、書中にある何気なく記された幕末史の新たな知見について、主観の刷新を余儀なくされた私の驚愕のことのあらましを綴っていきたいと、そう思うところであります。 個人的に幕末関連の歴史の場には、かれこれ10余年のあいだかなりの頻度で出掛けている。特に、新選組関連の史跡には足繁く通った。同じ場を違うテーマで複数回に亘る場合もあった。京都はもとより北上していった足跡を追い、甲府・勝沼・板橋・流山・塩釜・会津・・・、日本列島を北に上った。最後は函館、松前、江刺に至るまで足あとをつけたほどだ。 特に、土方の死によって徳川260年の幕を閉じた・・・というのが北の大地まで巡り切るいわれだった。 だが、この本の中で、ほんの少し触れている記述に体が震えた。 史実の定石をあたりまえに捉えていたなかに、何かもやもやした疑念がそこここに点在していたのも事実だった。結果としての史実に、どうして?こうなったのだろう、なぜかちぐはぐさを隠せない、そんな懐疑的な靄が残ったのだ。 そのひとつに、榎本艦隊の北上があった。開陽、回天、蟠竜、千代田形、神速丸、美賀保丸、咸臨丸、長鯨丸の8艦から成る大艦隊を持ちながらも、なぜに近海で徹底抗戦せずに北へ逃げるように向かったのか? 函館戦争でも、他艦が座礁や撃沈され唯一残った旗艦「開陽」であったのにもかかわらず、結果として幕府人員の輸送にしか使われず、交戦力としてまったく役に立たずに、最後は無残にも江刺沖での暴風雨による座礁・沈没で終わったのか?という疑問だった。 書中にはその答えとしてこうあった。 「最後は不可解な自沈で終わるのは、幕軍が新政府軍に勝たないように、榎本が手段を尽くしたから」と。 そう、戊辰の役とは、最初から結果ありきの八百長だったということだ。旧幕軍の残党の火消しの為の戦さだったのだ。 つまり、 「慶応三(1867)年十月、大政奉還を奏上した将軍慶喜は、玉砕より軟着陸を選び、慶応四年の年頭に戊辰戦争が始まるや、直ちに恭順の意を表し、幕臣たちが武士の一分を貫く戦いの終焉を待った」 これが真実だったのだとしたら、土方の近藤亡き後の人生の意味は八百長レースの先導役を担がされただけのものになってしまう。 いや、もともと負けを承知の上、最後の武士道を極めた彼の生き様には、事の如何にあらずとも決して翳るものではないのかもしれない。 しかし、榎本とは、その後の降伏から明治政府入りに至るまで、腑に落ちないことばかりだったが、これで予感は的中したことになる。 そもそも「文久の改革」で幕府は榎本らをオランダに派遣している。このときの榎本のミッションは、「黒船来航以後の日本に関係する海外動向の情報を収集し、勝海舟を通じて慶喜に伝達することであった」 そして、榎本のさらなる重要な職務は、「大政奉還後の小栗忠順の海外渡航の筋道を計画することであった」 小栗は後に、米国に秘密亡命し、三井物産創立に陰で動いた。小栗惨殺は偽装だった。 つまり、すべては「堀川政略」の一環のうちにあったということだ。 つづく by Martin ▲江刺沖で暴風雨で沈没した「開陽」の復元 これだけの戦艦を持ちながらも劣勢を余儀なくされた旧幕軍とは?出来レースだったからに他ならない。 ▲江刺の丘の上にある「土方歳三嘆きの松」 ここから海に沈む無残な「開陽」を見て、土方はこの松を拳で叩きながら嘆き悲しんだ。このことで敗戦を悟っただろうに、主君:総督榎本には実はおあつらい向きだったのだ。 ▲函館山にある碧血碑(へっけつひ) 箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑。土方歳三や中島三郎助などをはじめとする約800人の戦死者を弔っている。
by martin310
| 2013-01-07 15:59
| 秘史探求
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