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伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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戦中・戦後から今日まで続くCIAの傀儡統治の実態を知っておこう。「児玉機関と笹川良一」~ドイツ国営放送


戦後の日本・欧州の視点 No.3-1 児玉機関と笹川良一.flv

http://www.youtube.com/watch?v=vSSwdGV9UHg

戦後の日本・欧州の視点 No.3-2 児玉機関と笹川良一.flv

http://www.youtube.com/watch?v=2rF2SKbetWo




a0282620_20462756.jpg『東条英機と東京裁判 日本は何をまちがえたのか?』
(TOWN MOOK完全保存版)より引用


A級裁判打ち切りで釈放された戦犯たち

A級戦犯容疑者の逮捕・拘留は米軍進駐後まもない1945年(昭和20)9月12日の東条英機、嶋田繁太郎ら39人の逮捕を皮切りに、合計で118人にのぼった。

 
日本の保守党の55年体制の功労者こそ岸信介

a0282620_2120345.jpg日中戦争~太平洋戦争の中枢として、A級戦犯容疑者の岸信介は1000日余りの巣鴨の牢獄では、
「冷戦が悪化すれば、首を絞められずにすむ、それがわれわれの頼みの綱であった」
「牢獄から生きて帰る自分」のことしか考えなかった。
 戦後の冷戦から、アメリカによる秘密の、『A級戦犯をソ連対策に流用する』作戦で使われることになった、
「幸運のA級戦犯の考えたのは、自分の命だけ」であった。

 日本人が、戦争を指揮し作戦を実行したA級戦犯の岸信介ら戦争の中枢としての責任を問う事はなかった。
   

日本のフィクサーになるスガモ卒の児玉誉士夫

a0282620_20464788.jpg 児玉誉士夫(こだまよしお)は自由党創設時からの大スポンサーであり、その後、自民党長期政権下では「日本の黒幕」「戦後最大のフィクサー」として暗躍した。
 ロッキード事件でも、A級戦犯容疑者の重みを最大限に発揮して、日米の裏パイプ役を果たしていた児玉が暴露された。
 1945年(昭和20)12月、児玉が戦犯容疑で逮捕された時は35歳。
老人が多いA級戦犯の中では最年少だが、その大物ぶりが注目された。G2のウィロビー少将は「児玉と笹川良一の釈放は日本社会に危険をもたらす」と、起訴するように勧告をしていたが、1948年(昭和23)12月、児玉は釈放され、以後CIAに協力するようになった。
 児玉は弁舌と筆も立ち、スガモプリズンでは、指導者とは名ばかりの小心翼翼の老人たちの獄中生活とその人間性を詳細に記録したスガモ日記『芝草はふまれても・巣鴨戦犯の記録』(1956年)を刊行して、大物ぶりをアピールした。

 児玉はさまざまな事件に関与して人出獄を繰り返し、日中戦争中は陸軍参謀本部嘱託として汪兆銘政権を援助した。さらに1941年(昭和16)11月に、笹川良一の裕介で海軍の物資調達機関「児玉機関」を設立し、上海に本部を置いて鋼やボーキサイト、夕ングステンなどのレアメタルの買い付けをはじめ、大量の海軍軍需物資を取り扱った。終戦の1945年(昭和20)8月15日には特攻隊創設者の軍令部次長大西瀧治郎中将の自決にも立ち会った。

 終戦時には児玉機関の資産は32億円の巨額にものぼり、その秘匿分のダイヤ、プラチナ(7000万円相当)を辻嘉六(つじかろく)の紹介で鳩山一郎の日本自由党らに献金、これが同党の結成資金となった。
 鳩山一郎、河野一郎ら党人派と親しく、1955年(昭和30)に自由民主党が誕生した後も大きな影響力を持って政界の汚れ役を引き受けた。
 だが1976年(昭和51)のロッキード事件で、その虚像が一挙に暴かれた。
 1978年に児玉はロッキード社の秘密コンサルタントとなり、第1次、第2次FX(自衛隊の次期主力戦闘機)選定やその後のトライスター(旅客機)売り込みに暗躍して、約23億6880万円を受け取ったことの脱税、外為法違反で起訴された。
 しかし、児玉は判決を待たず。1984年(昭和59)に72歳で亡くなった。


もう一人の「日本のドン」は世界的社会奉仕家に

a0282620_2047376.jpg 児玉と同じく『日本のドン』と言われた男に笹川良一がいる。
 笹川は1931年(昭和6)に国粋大衆党総裁となり、1939年(昭和14)12月には日独伊三国同盟締結を促進するため純国産機『大和』でドイツ、イタリアに飛行、イタリアではムッソリーニと会見した。
 1942年(昭和17)4月の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。
 敗戦の年の12月、『超国家主義者、暴力、愛国結社の主要人物』のA級戦犯として連座、スガモプリズンに拘置された。半世紀後に出版された笹川の『巣鴨日記』(中央公論社)によると獄中ではオロオロするばかりの老人のA級戦犯たぢを助け、若いBC級戦犯には自分の食べ物を分け与えて、その家族の面倒を徹底してみるといった義侠心が強調されでいる。

 しかし、当時の検察局の資料と比較すると、戦中の行動はかなりの自己弁護、歪曲が施されており、日記とは大きな落差があることが指摘されている。
 また、戦後の活躍の場になる競艇は獄中で見た『ライフ』誌のポートの写真を見てアイディアがわき、釈放されるとモーターボート竸走法の制定に走り回り1952年(昭和27)に金国モーターボート競走会連合会、1962年(昭和37)には日本船舶振興会(日本財団の前身)を創設して会長に。

 その膨大な収益金の一部を国内外の団体に寄付、世界では著名な社会奉仕家として知られるようになった。
 1982年(昭和57)には国連平和賞を受賞して、「日本の黒幕」「日本のドン」といったイメージとはまったく別の一面をのぞかせている。


日本のメディア王に復活した正力松太郎

a0282620_20472128.jpg もうひとつ注目される戦後活躍組はメディア関係のA級戦犯容疑者である。当時の3大新聞社、通信社のトップがいずれも逮捕された。
 朝日新聞は緒方竹虎(編集局長。小磯国明内閣の国務相兼内閣情報局総裁)、下村宏(同副社長、昭和20年鈴木内閣の国務相兼情報局総裁)、読売新聞は正力松太郎(同社長、小磯内閣の顧問)、毎日新聞の社賓として[皇国史観]で戦争の旗振り役の徳富蘇峰(大日本言論報国会会長)古野伊之助(同盟社長、日本新聞連盟理事)らである。

 新間からテレビの雄、日本のメディア王にのし上がる正力松太郎(読売新聞社主・日本テレビ創業者・社長)は、わが国では初の民間テレビの導入や原子力政策をめぐってCIAと協力して導入した事実が、米公文書で半世紀ぶりに明らかにされた。(有馬哲夫『日本テレビとCIA~発掘された正力ファイル』新潮社)
 正力は警視庁警務部長の後、昭和初期に読売新聞の経営者となり、徹底した大衆路線とラジオ欄の創設、シャイアンツの前身のプロ野球を創設して、朝日、毎日に肩を並べる大新聞に育て上げた。

 戦争中の大政翼賛会総務などの経歴でA級戦犯で1945年(昭和20)12月3日に巣鴨に収監された。
正力は逮捕されることを予期して秘かに“英語の勉強”に取組んでいた。
『巣鴨に入る直前、CIAから40億円で読売を買収したいという話がもちこまれた。正力は心を動かされたが、務台光雄(後の読売新聞社長)が断固反対して、正力は折れて、CIAの買収話はつぶれた」(佐野眞一『巨怪伝』文藝春秋)
 1947年(昭和22)9月の追放解除後はテレビに目をつけ、1953年(昭和28)、日本テレビ放送網を創立して社長。衆議院議員にも当選。北海道開発庁長官、原子力委員会委員長、科学技術庁長官を歴任した。

 この日本テレビ設立の裏には、米CIAと正力の深い結びつきがあった。
正力の暗号名はPODAMで「CIA正カファイル」は474頁にものぼり、CIAが極秘に正力を支援する作戦計画が詳細に記録されている。

 日本テレビには米の技術、資金、特許が提供されたが、放送目的は娯楽、教育ばかりでなく、反共主義の親米プロパガンダ・メディアとしでの役割を担わされた。

a0282620_20474350.jpg 緒方竹虎は朝日の編集責任者として東条とは正面から対決したリベラルな新聞人である。
朝日の記者から政界に出た中野正剛との交友は有名で、「戦時宰相論」で東条に対して自刃した中野の葬犠委員長を東条、憲兵の妨害にもかかわらず引ぎ受けた。
 1944年(昭和19)、小磯国昭内閣の国務相兼内閣情報局総裁に就任、大政翼賛会副総裁を兼任。
 1945年(昭和20)に大日本翼賛壮年団団長となったが、その点がA級戦犯として追及される要因となった。
 1945年(昭和20)末にA級戦犯に指名され、翌年に釈放されたが公職追放となった。この追放解除後の1952年(昭和27)に自由党から衆院議員に当選。すぐ第4次吉田茂内閣で副総理格兼内閣官房長官として入閣した。引続いて第5次吉田内閣でも国務相(副総理)として、一貫して吉田を助けて保守本流の形成に尽力した。
 1954年(昭和29)に吉田が退陣した後に、自由党総裁に就任した。そして1955年(昭和30)の保守合同によって自由民主党が結成されると、総裁代行委員の一人となった。
自由民主党の初代総裁は鳩山で、その次は緒方と首脳部の間で話はついていたが、1956年(昭和31)1月、67歳で急死した。


財界人のA級戦犯は全員免責された

 財閥関係、財界人ではA級戦犯として12人が逮捕されたが、結局、全員免責された。キーナン検事は、軍閥ほど財閥の戦争犯罪を追及しなかった。
 財閥解体はGHQの「財閥解体指令」のほうにまかされ、三井・三菱・住友・安田の本社をはじめ、83社が特殊会社に指定され、11家族計56人が財閥家族の指定を受け、その持株と財産は国家に買い上げられた。
 A級戦犯となった財界人で、その後の復活、活躍したのは日産コンツェルンの鮎川義介、日立コンツェルンの久原房之助らである。
a0282620_2048362.jpg 鮎川義介は日産コンツェルン(現・日産自動車などの前身、日産化学、日本油脂など)の創設者だが、満州事変後の軍需インフレを利用してのし上がった新興財閥である。のち軍部と共に満州に進出、1937年(昭和12)、満州重工業社長となって「三スケ」の一角を占めて満州経済のリーダーとなり、東条内閣では内閣顧顧問を務めた。
 その点がひっかかり、1945年(昭和20)12月に逮捕されて20ヵ月間拘置されたが、不起訴釈放となった。
 獄中で戦後の経済復興は中小企業の育成しかないと考えた鮎川は、1953年(昭和28)に参議院議員になり、中小企業助成会、「日本中小企業政冶連盟」(中政連)を組織して、40万人もの大組織に育て上げ中小企業の教祖的な存在となった。

 岸とは満州以来の太いパイプが続いて、1958年(昭和33)2月、岸内閣最高経済顧問に就任し、日米貿易問題で首相特使として渡米するなど、昭和30年代の日本の政治、経済の中枢で活躍した。
a0282620_20481935.jpg 一方、義弟にあたる久原房之助は「鉱山王」から久原財閥の総帥となり、その豊富な資金をパックに政界に進出して田中義一内閣で逓信大臣に、1936年(昭和11)の2.26事件では右翼に資金提供した容疑で連座したが、その後立憲政友会(久原派)総裁に復活するなど[政界の惑星]と呼ばれた。
 1945年(昭和20)年11月19日にA級戦犯容疑で逮捕されたが、釈放された。
そして公職追放解除後は衆議院議員に復帰して、1955年(昭和30)には日中・日ソ国交回復国民会議会長として訪中し、毛沢束、周恩来らと会見し、1961年(昭和36)には来日したソ連副首相・ミコヤンとも旧交を温めた。「アジア合衆国論」を唱えて、意気軒昂で、1965年(昭和40)、95歳で人生の幕を閉じた。


by martin310 | 2013-10-17 21:27 | 秘史探求
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