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光降って、意識は「タプララサ」に。ここからはじまる光の時代。ここのところ明らかに感じるのは、今以前、特に今年に入った時空の中で、それより過去と今とが、今まで以上に落差のあるものと思え、過去が明らかに「旧く」、もはやその同じ時点には焦点が合わず、意識を持ってゆくこと自体が億劫になっている感がある。つまり、今年と去年との時間的断絶があるように思え、その落差は数年以上の間隔が空いているように思えてしまうほどだ。 通常はあたりまえのように、時間は継続的に流れるはずだが、今ある感覚ではそれが該当しない。もう、少し前のものは、色褪せ精彩を欠いていて、興味を持てるものではなくなっているのだ。自分がこつこつと興味に赴いて知ろうとして情報を探索していたものが、何かどこを切り取っても行き着く元は一緒だというのか、すべてがネタばれしているというのか、詰まる所、究極的には最初から見えていたように、概括すれば光と闇の相克劇であることが自明のことになったからかもしれない。 大勢は消えるべきものの方が劣勢になる流れが当然である。そのように時空は激変している。それが表の世界にも徐々に顔を見せはじめているだろうし、それに少しずつ気づく人々もあらわれて来ているはずだ。 今現在の時空の状況を知るには、自分自身の相対的な意識の変化を観察しているとわかることがある。時空に共振するであろうのは、意識の集合体である魂である。そこから微細に生み出される思いの波動は、自分が客観的に感じていると読めて来ることがある。何度かの反芻の後、事に当たっての検証をしていくと、やがて合点がいくように明瞭になって来るのだ。 それによると、今までのことは「古典」になったような気になる。何もかもが歴史に形を変えてしまった。今や「新しい」ものはまだない・・・。そいういう、ある意味無感覚というか、未開の地を遠望しているとでも言うのか、つまり、哲学用語でいえば「タプララサ」の境地のようなまっさらな不毛がやって来ているような気がする。 手に取るこれからの光の時代の最新の情報、知識はまだ何もない。ネット上にも書籍にも、ましてメディアにはまったくない。ある意味、とんでもないところに来てしまったものだ。どれも面白いと感じなくなっている。敢えて取り出そうとするのなら、対自然、対宇宙の自分という受信機しかあてがない状態だ。 もはや、予知や予言や、透視のようなものは役に立たない。あっても、過去のパラダイムにのっとってものを言うだけだろうし、それは過去も同じだった。 おそらく現実の事象自体は、光の大勢の方へ動いていくのは間違いはないだろうが、要はそれ以上に身近な自らの意識の方向性にとっては、未知の領域に既に入っている気がする。つまり、人間にとって、今までとは格段に「精神生活」の重要性、充実度が「生きる」という行為に直結して来るということだ。 この現在の時空においても、“真摯に自分を生きる”という、肉体と心、意識と自然、そして宇宙との調和をはかっていかずには、苦しみという反応として顕現して来るということだ。嘘や誤魔化しはもとより、保身や欺瞞や高慢や自分への偽り、ようするに魂を覆うエゴの障壁を保持し拡大させていくような生き方は、もはやこの時空では痛みや苦しみ、狂気となって襲って来ることになるかもしれない。それほど、白黒、明暗、光と闇が明瞭に識別される波動レンジになっている。 さて、ここからどう自分を開発していくかは、絶え間ない自己観察と自己探求は当然のこと、直観によって指し示す方へと行動し、考え動くことからインスパイアーされるものを的確に掴んでいくことだと思える。そこには、従来の価値観は意味がない。生活は毅然と維持しながら、執拗に集中して内的世界の開発に地を堀り進めていくとだろうと思う。天からのヒントは微細だ。見逃すほどのミクロなものに、魂の進化の宝は秘されているのかもしれない。すべては自分にかかっている。
by martin310
| 2014-02-04 14:41
| スピリチュアル
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