
それにしても、近来稀にみる大雪だった。
またいつもの大袈裟予報に終わると思いきや、2日にわたって降り続く雪の量は半端なものではなかった。
雪に慣れないこのあたりでは、除雪対策も緩慢で、いつ来るかわからぬ除雪車の動向によって、結局、3日間も完全に外界と閉ざされた家々が多い。
予期していない事態に、食料も3日目となるとかなり乏しくなる。
西に面して海からの強風が吹く我が家のあたりでは、一日中吹雪いていた。
こんな温暖な伊豆で、雪煙に煽られ、あたりが煙る情景というのは、まず見られるものではない。まるで雪国に迷い込んだような週末だった。

右は、家の前の道路だ。雪原というより、雪の海のようになっている。ガードレールがないと、道の境がわからないほどだ。雪は車の車高を越える。
こんなときでも仕事で、急坂を下界とのあいだで登り降りしなければならない。雪が解けかけて緩んだときの、運転不能の恐ろしさを嫌というほど味わって、起こりうる恐怖を酷く感じた。
その上に、さらに重なるように、憂心のとおりの時事の結果が相乗して、心的平静からはかなりさざ波立った感がある。
元の安寧な状態に戻るにはそれ相応の情報探索を必要とした。事の真実のあらましを掴むまで、納得のいく総評は持てないものだ。
ありがたいことに、今では有能な代替メディアとなっているサイトがいくつかあるので、表の情報にはない総合的流れを俯瞰することが出来る。
また、その過程で自分の意識の領分についても再考するような機会にもなった。
この自然界の贈物は、実際の目の前の大雪以上の何かをきっともたらしているだろう。ダメージだけを被ったわけではないのだ。
ひとつには、世を見透す上で、見掛け以上の裏に内包される蔭に隠れた部分にまで実在性を与え、三次元現実の重層的な重みを捉えた上での本格的グランディングを促されたような感じを受ける。
屋根に積もった雪が解けて、未だにときおりどすんと大きな音を立てて落ちるように、世の見えざる改変に現実の重いリアリティを加えて、未だ遠くにある光の世界を引き寄せる手筈を指し示しているように思えるのだ。
実のところ、一見、今までどおりの事の成り行きで、支配欲に飢えた者どもの勝利のように見える絵柄も、非物質レベルでの強力なバックアップを繰り広げていたサイドの力は見る影もなく廃れ、今や、バックアップ機構なしの人力勢力のみで事を動かそうとしているように見える。
これはそうやすやすと今までのようには行かず、必ず粗が見えて行き詰るものだ。何せ見えない裏で手配されたいたネットワークが機能せず、強力な集合的な波をつくり出すことは無理からぬことだからだ。
もはや今の時を迎えては、偽の光を持った有力者が成功を収めた時代は、もう過去のことになるだろうから。