久しぶりに八ヶ岳高原へ行って来た。
今年一番の真夏日のような暑い日に、標高1600メートルの海ノ口の八ヶ岳高原では肌寒く、ウインドブレーカーを羽織らないと車外に出るには冷えるくらいだった。行きには当然、窓を少し開けて走っていたが、甲府に入るとエアコンを入れて走らずにはいられないくらいになった。さらに長坂ICを下りて清里に入る頃には、道路の温度表示が16℃を下回るようになり、標高と同時に気温差がいっそう激しくなった。
八ヶ岳高原ロッジの庭ではミツバツツジが満開の頃なので、ちょうど2ヶ月遅れの春を迎えているところだろうか。標高の上下は、そのまま季節の行き来をしているようで、夏と春をわずか短時間で同時に味わっている感じだった。
ロッジからさらに登って、標高1633メートルの地にある“美鈴池”は、残雪が残る八ヶ岳連邦をバックに、芽吹きはじめた白樺の木々の緑が鮮やかだった。
いつもここまで来て、山を下ることになる。天空の池は、今日も穏やかに澄んだ池面に青い山影を映していた。
思い返せば
前回来たときは、極寒の季節、1月の半ばでこの池は完全凍結して、尚且つ、厚い雪に覆われていた。池のありかはほとんどわからず、木々に囲まれた平坦な雪の広場があるだけだった。来る度毎の季節の変化は、ここを訪れる愉しみのひとつだ。
この日も、美鈴池からの戻り道、別荘地内に鹿の剥製があるのかと思いきや、本物の鹿のつがいが低木の若芽をむしゃむしゃと食べていた。鹿は一瞬動かないときがあるので、一見した瞬間、ガーデンに設置されたレプリカかと思ってしまう向きがある。そう認識した次の瞬間、急に動きはじめるので驚いてつい、「鹿だ!」と必要もなく叫んでしまうのだ。鹿くらい当然いるのに、別荘の庭になんでもなく大きな影が動くのは、やはりちょっとびくっとするものだ。
高原ロッジの目当ては、レストランのシェフのおすすめランチ。
「八ヶ岳ランチ」というお手ごろなホテルランチがいつも愉しみで、時期毎にメニューも変わるのだがいつも期待を裏切らない。
そして、アートサロンの展示イベントを見て、ロビーで庭の野鳥を眺める。ロビーに飾られた巨大な生花のアレンジメントは毎回驚異的な美しさだ

高原ロッジはアーティスティックな雰囲気に満ちていて、八ヶ岳や森の美しさの際立つ環境のなかでいっそう美意識が純化されるような気になる。こういう感性に新たな高原の風を吹き入れることができるような環境を持つというのは、実に有意義なことであり、そこへ季節毎に新たな感覚で訪れることができるのは幸福なことだと思うのだ。
この地のエネルギーに触れて来るだけで、心身ともに峻烈な大気の洗礼を受けたように、瑞々しさが続くことになる。生気とは、最も自分の意識が歓びで満たされる場において充電されるもので、これが身体や意識の核になる魂の玉座に光のチャージを与えるのではなかろうか。こういう場が、本来のパワースポットであり、それは各々皆違うのだと思う。自分独自のパワースポットを探し出すのも、ひとつの心の旅でもあるのだろう。
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