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川端康成が逗留していた定宿「湯本館」。この玄関で踊子が舞を踊っているのを、主人公の“私”は階段に座って眺めていたのだ。それは若き日の川端その人だった。
ネットの
“青空文庫”で、
島崎藤村の
「伊豆の旅」という、旅行記の小品を読んでみたところ、
「伊豆の踊子」の巡ったコースとほぼ同じ路を、藤村は3人の友と極寒の季節に下田まで旅していた。
「伊豆の踊子」は
川端康成が19歳の学生時代に伊豆を旅した実体験をもとに書かれた小説で、年譜から見ると大正7年(1918)のことであるから、藤村が伊豆を訪れたのは、それより10年近い以前(おそらく明治40年あたりの東京時代)ではなかろうかと推測できる。
10年ほどの時の隔たりはあるものの、二人の後の文豪が自分の住む伊豆の、同じ道を旅したことは感慨深いものがある。
長岡(踊子)→
大仁(藤村)→
修善寺→
湯ヶ島→
湯ヶ野→
下田・・・、藤村たちは、さらに伊豆半島の最南端、
石廊崎まで足を伸ばしている。(藤村らは行程のほとんどを馬車を多様している)
その時代の「伊豆の踊子」で描かれる伊豆の風景・風物・人物は、もう何度も読み、また映画で映像をも目にしているが、ことそれよりも古い伊豆の姿を、まるで淡彩で描くようではあるがさらっとスケッチしているのが、この「伊豆の旅」である。
いにしえの伊豆はいったいどのようなところだったのだろうかと、やはり古い時代の風景などを見てみたい思いがある。映画では美空ひばり主演の「伊豆の踊子」(昭和38年)の撮られた年代から、川端康成の見ていた伊豆の姿に最も近い映像が残されている。(田中絹代主演[昭和8年]が最も古いが、サイレントなので残念ながら見る機会がない)
そこで、試しにネットで“伊豆の古写真”を検索してみたが、やはりそうは掲載されているページはない。代わりに、
「幕末古写真・ジェネレーター」という古写真風の加工が出来るサイトを発見した。画像ファイルからモノクロ、セピア風の古写真を作成出来るのだ。
試しに、撮り貯めてある画像ファイルの中から、伊豆のそれらしき雰囲気に合うようなものをテストしてみた。すると、まるで本物にように古めかしい写真画像が完成するのだ。
ということで、全7点、藤村の「伊豆の旅」にあやかって、自作:イミテーション古写真舘を開館してみた。
ご覧のとおり、古びれた蔵の奥から発見されたような、いにしえの銀鉛写真のような味わいを醸し出している(?)ようだ。
▲北伊豆の大瀬崎から富士を望む。
▲中伊豆の吉奈温泉の「御宿さか屋」の吉奈川に架かる楼橋。
▲下田・ペリーロードの「逢坂橋」とその向こうの「草画房」
▲同じく下田・ペリーロード
▲中伊豆・吉奈温泉の「東府屋」内の「大正館芳泉」
▲下田・東急ホテルに晩年の毎夏、家族連れで長期滞在していた三島由紀夫の、大のお気に入りの小さな波辺:亜相浜(あじょうはま)。
以上の元画像はこちら。(くれぐれも本物の古写真ではないことをご承知おき下さい。笑)
こんな曲を聴きながらご覧いただくと、いっそう古い時代の伊豆の雰囲気が味わえるかも。
吉永小百合 伊豆の踊り子
https://www.youtube.com/watch?v=54WwMkde0-0