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伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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「魂の不思議」・・分け御魂の人物(故人)との遭遇。自分の魂に導かれて。


「魂の不思議」・・分け御魂の人物(故人)との遭遇。自分の魂に導かれて。_a0282620_1350318.jpg


自分が自分と思っている意識、つまりそれを顕在意識とすると、それとは別のもっと本質的な自己とでも言うべきか、自分のさらなる奥にある本体というものを「魂」とすると、この魂というものの不思議さというものを、案外誰でもが知っている訳ではないようだ。

このことは知識で理解している範囲では、実態がわかるはずもない。自分の中に、自分とは思えないような、より潜在的な意識の存在を実体験から発見したことがないと、ここで言っているようなことは解らないのかもしれない。

自分の魂の反応というものを、肉体的な表出として得たことがあるだろうか?
反応の出方は人それぞれ違うので、一概にこういう現象だというのは言い切れないが、自分の顕在意識での醒めた客観的な意識とは別の、まるでもうひとり別の自分が自分の内部にいて、その当人が顕在意識の自分にわかるように伝える為の一環として、ある事態に際して、ある肉体反応を起こす場合があるということだ。
だが、別の自分とはいえ、決して別ではなく、それも自分であることは反応行為中に自覚できるもので、体を奪われて占領される霊的な憑依などとは異なるものだ。

自分の場合は、自分の魂の一部に、対象の人物(過去の人)の魂の分子を分けたものがある場合、そのゆかりの地や墓や碑、そして建物、それに類した当人の波動の濃い場所に行くと、前触れもなく急に魂が反応を起こす場合がある。これは場所に限らず、ゆかりの物の場合も中にはある。
つまり魂自体は、その核は個々人それぞれのものだが、そのまわりには過去の人物の御魂(みたま)の一部をかなりの範囲に寄せ集めて出来ているものだ。それをよく、「分け御魂」という言い方をする。なので、自分という魂の総体の中には、他者の魂から分けた一部が相当数あるというのが、今まで自分自身の様々な分け御魂の過去の人物から受けた体験から、確かに言えることなのだ。

ではどうやって、自分と分けた御魂が同じ人物と遭遇出来るのかというと、ここがまさに魂という不思議なものの仕組みがある。
人には出会うべき時期というものがある、人との出会い、物との出会い、知識・情報との出会い・・・、それらすべてが絶妙なタイミングと、その方法で接点がもたらされる。
それらと同様、分け御魂の過去の人物との出会いも同じだ、だが、かなり特異なものだ。なにせ、既に故人となっている人物であり、遭遇するのは目には見えない意識との共鳴現象となるからだ。
過去の人物とは、それ相応の名が知られていないと、自分自身も気に留めることは出来ない。なので大概は、その人物のバックグラウンドを調べられるくらいの存在のことが多い。つまり時代は様々だが、自動的に歴史を紐解くことになる。人物調査は、体験後にはじまるのだ。そこで自分との共通項を会得するようになるが、もちろん功績に至ってはあまりにかけ離れていすぎているので、自分とは比較にもならない。自分にはもともと何もないからだが。それも分霊の末端にいるという栄誉を持てるのがありがたいだけで、それ以上の意味はこれからの自分の認識にかかる。

不思議なことに、出会いのタイミングが近づくと、何かしらの導きが起きるのだ。それは、微細なものであり、無視できるような取るに足らないものでもあるが、過去の教訓から、もしかして?という自覚があれば、受け取れる可能性はある。現実に起こる物事の中にヒントがある場合もあるが、誰も知らない自分の意識の内部に、訳もわからず何かに惹きつけられること自体が起こる場合もある。どちらにしても、かなり慎重に意識的に探査していないと見逃してしまうほどのものだ。

今回もそんな、忘れてしまえばいいような感覚で、自分の中であるイメージがあった。これがまた手が込んでいて、そのものずばりとは示しては来ない。まわりくどくして、結果、核心に至るというような道筋となることが多い。つまり、そこに至るまでのプロセスも大事だというのだろう。確かに、そこに自分なりのドラマが生まれることになる。
魂の導きは驚くほど微妙、微細だ。それが導きであるかどうかも、事に至ってみないと判明しない。だた、行動を起こしてみると、遭遇までのお膳立てが見事なのがどこかの時点でわかって来るものだ。対する相手の意識は、既に予定の場所にて、その時を既に知っているかのように待っている。こちらもその場に到着すると、何かそこに意識があるのがわかる。かくして、魂同士の共鳴現象が急激に起こる。
自分の場合は感涙から号泣に変わっていく。感情に因るものではなく、単に身体的反応として胸の奥から込み上げて来るのだ。醒めた意識は、ああまた起こったと客観視している。だが、とめどなく涙は流れる。この瞬間に「想い」が伝わって来る。言葉ででなくテレパシックなものだ。

ただ、今回はまったく予期していなかった。しばらくそんな体験はご無沙汰だったからだ。ただ、行ってみたいという思いは湧き起っていたのは確かで、そこへ行くまでは次がないような気配を感じていた。つまり、自分の歩みとして、もうこのポイントを超える以外にないということだ。止む無く行かねばという、これがもう既に導きの何ものでもないのだ。

今回は場所は違えど、一度に二人の人物だった。こういうことも珍しい。
まったく自分とは異質な存在かと思っていたが、今でもそれは変わらないが、ただ、当時の誰にも言えない本音の気持はなぜだか汲み取ることが出来る気がする。成り行きは史実にあるとおりだが、当人の本当の気持は正直なもので、苦しみや辛さや逃げ出したい思いでいっぱいだったことは、体が反応するくらい理解出来る。
このあたりが分け御魂同士の特権というか、分かり合える同類項なのかもしれない。
きっと、それが当人の魂のひとつの救いになるだろうし、共有出来るありがたさでもあるのだろう。個の真実の思いを分かち合えることで、個が複になり融合、拡散して楽に癒えることになるとも思える。
そういう役目も、自分にはあるのかもしれない。

かくして、過去10年間、同様に日本各地のゆかりの地を巡っては、そういうことをして来た経緯から言うことが出来る。自分は、かえって地上の人々より、既に天に昇った人たちの方が知り合いが多いのかもしれない、おかしな人間である。


※こういう類のことは、どうも文章化するのが難しい。よってあまり概説的ではない文になっている。書き飛ばして、最も雑文的だ。図に書いて口頭で示した方がまだわかり易いかもしれないが、もしかしたら興味を持つ方もあるかもしれないので、一応記しておこうと思った。また、追記する気になるかもしれない。今回はこのへんで。


「魂の不思議」・・分け御魂の人物(故人)との遭遇。自分の魂に導かれて。_a0282620_13504724.jpg

by martin310 | 2014-06-24 13:51 | スピリチュアル
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