朝から大気が驚くほど澄んで、折からの夏の光のヴォルテージがMAXになったようなハイコンディションな今日、夕にかかる全天でも、雲と光が織り成す一大ページェントが繰り広げられていた。
家への帰路、車中のウインド越しに、空のにぎやかしい感じはときどき垣間見ることでわかっていたが、それ以上に、その空が影響してか、何となく宇宙的な波動域に、脳から意識にかかり包まれていくのがわかった。
こういった四次元の波動が降って来るように、静かなうちに茫漠とした感じに脳内が電磁気を帯びたように不可思議な感覚になるのは、いつぞや感じたことがあるのを思い出していた。
気がつくと、しばらく思い出すこともなかった以前見たあるヴィジョンの光景が脳裡に浮かんでいた。
それは10年以上前、夢か幻か、はたまた錯覚かまやかしに見せられたのかはわからずとも、半覚醒的ななかでかなり明瞭な映像として見たものだった。
おそらく、どこか次元世界の違うところから、この地球に降下するような場面のようだった。降りるというのは、次元波動の上下のことで、おそらくもっと進化した二元性を当に超え出た世界から、その真っ最中の抗争の嵐の吹き荒れた平和からはほど遠い世界への降下を意味しているようだった。つまり、この地球への流入の直前の別世界での最後のシーンだ。
なぜに今、そんなものが脳裡に映じて来たのだろうか?
おそらく、この今日の空がそれを物語るように、新たな幕が開き宇宙からの光が降りたのか、それによって、脳内のフィラメントが電磁波で一瞬輝くようにイメージが映じたのかとも思える。
いずれにせよ、このことは、10年越しの何かを再度彷彿とさせる意味があったのかもしれないように、ある肝に銘じるものを感じ取ることになったようである。
▲今日の“幻日”。
そうこうして家に辿り着いてみると、西の空の光景は一瞬の隙も見逃せないほど、ドラマチックなものとなっていった。すかさず、カメラを取って展望の開ける場所へ足早に移動しながら、この今日の空を画像におさめた。
するとどうだろう、雲間の太陽の輝きのほかに、もう一点、その右に離れた箇所に光の点がある。
そうだ、以前にも目撃し、カメラにおさめたこともあるあの
“幻日(げんじつ)”があらわれたのだ。(画像の左の光の輝きが太陽。右端にある小さな輝きが二つ目の太陽の“幻日”だ)
▲2年前の“幻日”
ちょうどほぼ2年前の2012年9月26日の同時刻にも、もっとはっきりとした“幻日”を撮っている。それがこの↑画像だ。当時は、“幻日”自体を知らず、ただのある偶然の雲の反射と思っていた。後で調べて稀に出現する“幻日”であることを知った。
確かに、科学的な出現の仕組みはわかるが、そうやすやすと目撃できるものではないだけに、出現の意味を考えざるを得ない。
とすると、前述した空の新たな幕開きのような、それを祝福でもするかのような現象とつい考えたくもなるものだ。
例えどうであろうと、自分にとっては今日の過去に見たヴィジョンの再来は、きっと意味あることのように思う。おそらく、これも新たな段階に移行するサインと見て取れるのも不思議なことではない。
そう思いながら、富士の神々しい姿を眺めるのである。
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