今は休日となると、晴れていれば出来る限り自然のもとに出掛けたい衝動にかられる。二人の他に新たに一匹が増えたこともあり、家の中の世界ばかりしかあまり知らないワンコを出来るだけ外の世界に触れさせてあげたいこともあり、キャリーに入れてワンデイ・アウトドアを体験させている。
思い返してみて去年と言えば、ちょうど “TOOL SHED” のD.I.Yに熱中していて、およそ出掛けることなく毎休み中作業に勤しんでいた時期だったのだが、今年はもう既にそのような1年前が遥か遠い日々のように感じるくらいに、気がつけば生活の流れも意識の地点も、いつのまにかぐっと距離を伸ばしたように感じられるものだ。

時間の流れがあまりに早く、一日が短く、思えばどんどん日数が経過していく。だからといって、日常にめまぐるしく激しい動きがあるのかといえば、そんなことはなく、至って平穏で静かな日々なのだが。
または、時事情勢が逼迫し、動乱のごとく驚天動地な事態が目に見える形で起こっている訳でもない。変化は確かだが、かなりインナーな動きでしかない。それなのに、時間は加速度的にスピードアップしているような感覚にある。
おそらくこれが、幻想としての直線的時間の、時空の固有振動数による変化をあらわすものなのかもしれない。
来るものは激しく早く差し迫って来るようで、去っていく事柄はあまりに流れに遠く運ばれている・・・、そんなまるで川瀬の中に立っているような時間の奔流に身をあずけているような気さえするようだ。
なので自ずと、流れの川原でなく、静謐な湖水を選んでバランスを取ろうとしているのかもしれないが、秋の装いに静かに移行している森と、秋空に深い紺碧を見せる湖水の魅力はやはり心を惹きつける。

それに大きな湖ほど、空を大きく見せるものもない。青空を渡る雲を眺めることも、天からの光の微粒子のなかの波動情報を感じ取る重要な要素だ。太陽が放つ光の波の内部に、セントラルサンから送信される意識の覚醒コードが組み込まれているはずだからだ。視覚領域を超えたなんらかの振動分子が意識に微細な反応を示す。湖面に生成される風のつくり出すさざ波の細かな動きのうちにも、光の粒子が踊り、同様な言葉にならない極微な情報をもたらす。
そうやっていつのまにか受け取った「感じ」というものを、時間をかけて意識の中で反芻するうちに、閃くように「こういうことだ」という見解がやって来たりする。それをさらに、短い文面に置き換え形にすることで、一様な受信サイクルが一段落するといったような感じだ。
もちろん、それを裏打ちするようなweb上の良質な情報源もチェックしながら、自分の新たな「認識(awareness)」をつくっていく。
その為にも、出来る限り、天からの光を求めて自然界に奥深く入ろうとする。地図を広げそのポイントを探し、脳裡に地場のエネルギー地図を描き、目指す場所を目的地に据える。
これから秋の紅葉がたけなわとなる。一段と光と色を求めて出掛ける意欲もさらに高まるだろう。もちろん人が行かない、秘された好ポイントへ、日帰りミニトリップは今後もしばらく続きそうだ。
※写真はすべて本栖湖にて撮影。
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