住まいとなる母屋が既にあるのなら、次は庭の一画に小さくとも夢のあるガーデンハウスを建てたくなるだろう。
まあ、そんなワクワクするような空想に浸るだけで終わるのがしがない現実というものだが、もしも植物の生茂る広い庭があって、その一番奥まったあたりに、自分ひとりが漸く憩えるような狭さのミニハウスがあったら最高だろうと思う。
我が家はもう既に母屋以外に、建物としては小さいながら3棟(ミニログハウス・ログ物置・道具小屋)も建ててしまっている。もう少し前面に奥行きのある広い庭のスペースがあったのなら、その奥まった右端の辺りにここにあるような一人用ガーデンハウスをセルフビルドしたい気もするが、残念ながらもうその余地は物理的にない。
だからせめて、自分の手で設計し、造作できそうな小屋のモデルをネットから探して並べてみて、しばし出来上がった小屋に居る自分を空想して愉しんでみようと思う。
ここに集めてきたガーデンハウスは、道具小屋を自作した自分のノウハウの中では、それほど造作に手が届かない部類のものではない。ツーバイフォーのパネル構造でどうやったら造れるかは容易に想像できる範囲のものだ。なので、主に設計デザインやカラーリング、窓やドアの形などに興味がわいていく。
それにしてもこういう小屋を見るとワクワクして来る感覚とは、どういうものから来るのだろうとよく考える。
もちろん、創意工夫してイメージにあるものを実際に建物として創り上げる愉しみは当然の動機になるが、その小屋の持つ存在感そのものに、夢の世界の要素が含まれているからだろうと思う。
植物の旺盛な生命力と、美しい色や形や香りの世界に、溶け込むように小さな小屋が建っている様子は、まさにそこに精霊が棲むような不思議な夢見る空間になる。
しかも、その小屋の適度に狭いスペースが、独り居の独立空間として自分だけの世界を確保してくれる。人は居住空間に広さばかりを求めるが、逆にほどよい狭さも充分にそれに勝る魅力を秘めているものだ。
何をするでもなく、黙想に耽ったり、窓の外を眺めたり、またはその限られた空間内で可能な創作行為に没頭したりと、案外、日常のタイムラインからやや離れた世界に自分の身と意識を置くことが出来るだけに、かなり集中した創造的行為に没入できることだろう。そういう、隠れ屋的ミニ書斎を求める気持ちは以前からずっと持ち合わせていたものだ。
住む為の小屋、キャビンもいいが、このような一時佇むような小屋、ガーデンハウスもセルフビルドの対象として充分魅力を発揮している。「小屋」という世界は「住」という必要条件を少し離れて、人の創造性、異空間性をかなり刺激する夢のあるものだ。
こういうガーデンハウスを見ていると、自分はこんな風にと思い浮かぶデザインで図面を引いてみたい気になって来る。もはや建てる余地のない儚い夢であるだけに余計に想像力がはたらくものだ。(もっと庭が広ければ叶う夢なのだが・・・)
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