連日30℃を超える気温となり、いよいよ夏本番となったようだ。
こうなると、標高1000mを超える高原が余計に爽快に思える。
そして、清らかに晴れ渡った空が妙に美しく魅力的に見えるようになる。
特に緑の草原と白雲が浮かぶ青い空が、どこか天上の世界の風景のようでことのほか超越的な感慨を生む。
八ヶ岳山麓には、周りを樹木に囲まれた牧草地が点在している。盛夏の空に茂った草の穂が風に揺れる様は、これもまた至福の世界を感じるものだ。
まっすぐに伸びる山麓の道路を、大抵の車は疾走して行く。こんな田舎道の路傍に停めて、草地を眺めているのは自分たちくらいのもので、どこにそんなに見るべきものがあるのかと、訝しげに減速しては走り去って行く。
なんでもない草地だろうが、美しいものは美しい。
風によって草の波が息づいている。雲も次々に形を変え、流れていく。
観光地の名の知れたメジャーな場所に人々は急ぐが、えてしてこんな道路脇の風景にはそれほど目もくれないようだ。
なので、観光シーズンに入れば、人気の場所には近寄らずに、より外れたエリアの地形的に面白いところを探索して行く。
時速30キロでのろのろと、全方向脇見専門に風景をリサーチする。
惹きつけられるところあらば、すぐさま停めてカメラを抱えて外に出る。
絵としてはそれほど面白味を持っていない、なんでもない風景の中にこそ、光、色、風、大気、匂い、風趣・・・を超えた言葉にはできない何かがある。
それは最大の心の安息でもあり、無心の幸福でもあり、揺るがない生の実感かもしれず、まさに天国的世界の片鱗がそこにはあるものだ。
世情のあまりの汚辱とは裏腹に、案外、地上は高次な光ですでに満たされているような気もする。
現実は三次元の仕組みからそれなりの流れを経なければならず、大分後から遅れて形を成して来るのだろう。それまであまりに酷い現実が、露骨に光のもとに露に晒されるはずだ。
その光を受け取れるかどうかが、見える世界を超えた次なる世界を感じられるか否かの道の違いに分岐させる。
気づけばすぐそこに光はあり、現象世界を超えた重なり合う世界はすでに変わっている。