山中湖を空から見ると、私には鯨の形に見える。
その尾っぽのあたり、尾ひれの根本にあたるところに岬がある。
湖に突き出た岬。そう、そこは
“みさきキャンプ場”があるところだ。
この小さな岬には、湖岸沿いに釣り人が跡をつけたような細い小径があり、先端まで行ってぐるっと周遊できる。
対岸の平野地区の家並みが見えるが、そことは湖面を挟んで、大空を望める特別な空間がある。
いくら小さな岬でも、岬のような尖った地形の先端に立つというのは、何か広大な空間のひとつのパワーポイントのように思えて、つい、行ってみたいと思うものだ。
ここで地面が切れるという地に立って、天球のように広がる空を前に両手を広げる。まさに大宇宙との交感のような場所・・・。

キャンプ場を過ぎると、岬の先端までは草叢と低木に覆われている。その草叢は、あまり見たことのない、色とりどりの不思議な草が密生していて、思わず踏み潰すことをはばかれるほど、何か特別な美しさを持っている。
案外ここは、何も手をつけられていないだけに、この湖畔の純粋な野生の植物が繁茂しているのかもしれない。
それに岬を周って広い湖面が広がる北側には、秀麗な富士の姿が見える。その長く伸びる裾野の森の広がりを見るのも好きだ。だから、山中湖をぐるっと巡ったときには、大抵、この岬に寄って行く。意外に知られていないが、けっこうスピリチュアルな場ではある。どこか遥か遠い過去の、どこかの国の風景の記憶が甦って来るようなものが多い。

この日は雲が多く、雨さえ降らなかったが夕が迫る頃はどんよりしていて、気温も下がり、かなり秋の気配を感じさせる天気だった。
それもあって、亡羊と広がる暮れかかる湖は、どこか憂いを秘めたような叙情的な光景に見えた。
ふたりでいるからそんなこともないが、ひとりで訪れたなら、けっこう過去の想いなどに耽るようなしんみりとした情趣のある場所ではある。
蒼い湖岸の影を映す湖を眺めることは、そんな意味深な感情を掻き立てるような要素を持っている。またそういう自分の内部の感情を感じてみることも、ときに必要なことでもあるのかもしれない。
自然は、何も言わずとも、なにものかを知らないうちに与えてくれるものだ。そこで受け取れるものがすなわち、自分への自然からの贈物なのだろう。
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