※西伊豆仁科(大浜にて) 2017.1.2
あらためて海の持つ力は偉大だと思う。
こんなある海の一部をランダムに切り取っただけの画像にしても、心静めて落ち着いて眺めてみれば、やはり「心洗われる」と言われるような効果があるような気になって来るものだ。
(かえって現場の強風の中では感じ切れていないものが、持ち帰った画像の中に後から見て取れるよう)
「鮮烈」という語句が思い浮かぶほど、この日の海は物凄くピュアなエネルギーで満ちていた。
それは、静かに凪いでいる穏やかな海以上に、荒々しい動的な海の様態を強風と荒波とが激しく見せていたからだろう。
押し寄せる波が持っている力、深い紺碧の海水の秘めた底力と、湾から灘に広がり大海に拡張していく、巨大な海洋の実体・・・、それはこの水面(みなも)を見ているだけで、自然に意識が拡がっていくのと同じように、地球レベルへと視点が飛躍して行く。
大いなるものに包まれるという、言いようのない深い安堵感と、偉大なるものへの畏敬とが、海の外れの一部からじわじわと自らの存在のすべてを包囲していくようだ。
太古の昔から、こうやって延々と時間を紡いで繰り返されている波の訪れを、今また新たに静謐なまなざしで見つめるとき、遙かな過去からの壮大な時間の積み重なりとその未知なる歴史をも意識する。
長大な時間軸と、様相を変異し続ける空間性との直交点にあるここで、生きて脈動し続ける海の命を感じ、あらたかな尊崇の念が湧き起る・・・。