※画像クリックで200%に拡大可能です。是非、大きな画像でご覧ください。ここは普段でも、釣り人かハイカー以外は訪れることない、ひとけのないひっそりとした静かな場所。
観光客の集まる側からは反対の岸辺だ。
冬の大気がきーんと冷えて、いっそう遠くの景色までクリアに見える日。
車の入れる湖畔の森のゲート前まで行き、そこから白砂の浜辺に降りた。
めいっぱい冬の日の陽が射しているのに、空気にその熱が伝わるまでもなく、厚着の装備で砂地を行く身体は、耳たぶが痛くなるほどに凍てついて来るようだ。
湖に注ぎ込む沢の水は、沢ごとすでに氷結している。
白い砂地にしても、霜柱に押し上げられて、そのまま凍りついている。
辺りは静かまりかえり、ただ小さなさざ波だけが、生きたように細やかな音をさせている。
まるで音も無く凍結したような風景の底で、その波音は岸辺へ寄せて来る透明な水の膜が息をしているかのようだ。
山の大気も、湖水も、降りしきる陽光も、いっそうこの冬の寒気の清冽さで清められ、この上ない清浄な世界に変貌している。
染み渡るピュアな気圏に、全身全霊を清められたかのように、冷えびえと心身の中を湖上の風が通り過ぎたような気がする。
このまわりを取り巻くあまりに清らかな風景の全体が、よりマクロに巨大な宇宙と相似形だとしたら、宇宙は斯くも浄化の極まれる状態にあるのかと、「清浄」を絵にしたようなこの目の前の風景がそれを物語っているのかもしれない。
水面に映る景色の如く、鏡像を顕す現象をここに見ているのだろうか。
外輪山に囲まれた太古からの湖水に、遥かな宇宙の像を映して、まるで卜占のように占う。
そんな大それた妄想を抱きながら、冬の日の清らかな湖畔にて、密かな確信を得たような心持ちで帰るのだ。
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