▲田原城桜門
今回の渥美半島への旅は、ここ
田原の地を訪れることが大きな目的でした。
それは田原藩士であり、画家でもあった“
渡辺崋山”先生の故郷でもあり、臨終の地でもある場所なので、一度は足を運ぶ必要をずっと感じていたからです。
渡辺崋山なる人物とその作品を知ったのは、もうかれこれ二、三十年前になるでしょうか、その頃からずっと、このゆかりの地を一度訪れたい気持ちは内にあったように思います。
伊豆からはそう遠くない太平洋沿いの東海道の端にあって、日帰りでさえ可能でもある距離にありながら、なぜか未だに行く日を迎えていない、気になる地でした。
車中泊旅を続ける中で、その気になっているこの地へは、少なくとも今年中には行っておきたい気がなぜか起こり、サーフィンが盛んな渥美半島だけに、暑い時期を避け、寒さを感じる頃こそがベストタイミングと密かに12月に時機を期していたのでした。
まずは、渡辺崋山の作品を収蔵する
田原市博物館のある
田原城跡へ。
田原の街並みを移動しながら、ここかぁと目に入ったのは、かなり立派な博物館の建物でした。
これを見ただけでも、田原の歴史のなにものかを感じたものです。
作品を観ようと、記念館の入り口まで来たものの、ちょうど在郷の画家の企画展をやっていたので、入るのに躊躇し、崋山作品だけ観たかったもののそうもいかないようなので、今回はパス。
城跡を巡って、次の崋山先生臨終の地へ向かいました。
それにしても、ここはかつての田原城の場内、二の丸に博物館は建っているのですが、ことに紅葉が実に美しい。
小さな城郭ですが、気品と格式を感じさせる雰囲気が漂っていました。
城郭図を見て、はじめてこの階段下がかつての空堀だったことを知りました。
この上が本丸で、階段下の空堀のスペースは今は駐車場になっています。
そして、歩いて「
池ノ原公園」へ向かいました。
ここは崋山先生が自刃した幽囚の家があります。
崋山先生像を遠くから見たとき、ぐっと胸がわななきました。
聡明で才知溢れ、その画才は天性の至高のものがあります。ですが、運命の重圧には生涯苦しめられた人生だったようです。
そして、案内地図にあった墓地のある
城寶寺を探し当てました。
渡辺家の墓所へ辿り着くと、その前になんと待っていたようにカタツムリが…。
いったいどういう意味だろうか?カタツムリ。
崋山先生の悲哀を込めた何かを象徴しているのだろうか。
(もっとも殻を被ってのんびり移動する我が動く仮の家―タウンエースバンこそ、カタツムリなのかも?つまり車中泊の比喩だったりして…、そんなわけが?)