
今回の「甲斐の国・南部、身延の旅」のテーマとしては、南部氏ゆかりの地を巡ってみることと、その南部(波木井)氏が、佐渡流罪から赦免された日蓮上人をこの地へと招聘し、草庵を結ぶことになったその場所を動画撮影するということでした。
それは、現在の草庵跡の様子を撮りながらも、今から750前当時のこの地の姿を想像しながらの、今も変わらぬ聖地感を写し取ろうとしたものです。
波木井氏が身延山麓のこの辺りを指し示した折、そのどこに住する場所を設定したのか?ということが、大きな見所でした。
と言っても、そんな史料がある訳でもでなく、ただ、自分が現場を散策して感じ取れるものをもとに想像を巡らすだけのことなのですが…。
そこにはきっと天から降りるものを感じ取って決定する何か直感的な要因があったはずだと、それを追うことで理解出来るのではないかと予想していたのです。
まずは、現地周辺の地形的なものを足で歩いて掴み、当時の原初の地形的条件を想像し、いわゆる天からのエネルギーポイントを見極めるということになります。
そこで草庵跡の周囲を流れる身延川に注目し、その蛇行状態を見て、川の水位からの高さや距離、森との関連などからいろいろと詮索していきました。
波木井氏館からはおよそこの地は坂を登り2キロ余り、身延川を渡ったわずかな壇上の丘の上にあります。
この川がおそらく結界になり、その少し高くなったところに庵を置いたということでしょう。
つまり、三方を迫り立った山に囲まれた谷に位置し、その底を流れる谷川のS字の蛇行した膨らみ部分の丘の上に建つというのがこの場所の特徴です。
まさに天からの光を導き取り入れるにふさわしい枡形の地形と言えるかもしれません。
但し、住するには陽当りや寒気、湿気、川の氾濫、獣の害など、数々の問題があったかもしれません。
きっと、それを置いてもここ!という霊威があったのかもしれません。

Google mapより
ということで、映像には霊山橋からの見延川、祖廟拝殿、報恩橋からの見延川、御草庵跡、法界堂などが登場します。
見延川はこの草庵跡より上流は、元々の流れがかなり急だったため、相当な落差の砂防ダムがいくつも設けられ荒らしい姿をしていますが、聖域の中を流れるエリアは見事に美しい流れに変じています。
玉垣に囲まれた霊域の草庵跡の敷地を中心に降り注ぐ天からの光と、風にそよぐ木々などをどうぞ感じ取っていただきたいと思います。
シリーズ:聖なる場所探訪Ⅰ
Explore the Holy Land750年前の草庵跡に降る光 ―身延山西谷御草庵跡―https://www.youtube.com/watch?v=j5mn7bYvCnw
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