
大風の吹き荒れる日――。
自作ガーデンハウスの板葺きの屋根を再塗装しようと、前の日に屋根に登って全体を水洗いをしておいたのに、夜半から強風が吹き荒れている。
時折り猛烈な突風が吹いて轟音が聞こえたりするほど、外はかなり荒れている。
それにもめげずに何事か庭作業をやろうとしたけれど、余りに酷い風と、その寒風の厳しさに、今日はオフタイムにするしかないと午前中早々に諦めた。

午後の新部屋からの窓の景色は……、
西の海を見えるのを隠す巨木が大きく揺れている。
そのまわりや、その前景の木々たちもそれぞれ別々の揺れ方向に揺さ振られている。
風の強さがさらに増せば、それが踊らされているような動きにさえなる。
陽は射しているのに、一歩、外へ出ると身を切るような寒風が吹きすさいでいて、急いで室内に逃げ込まざるをえないほどだ。
陽が大分傾いて、西日が強く照って来ている。
こんな日は仕方ないと、新部屋で買ったばかりの画集でも見ようかとするが、打ち付けるような風の轟音に驚かされて集中しない。
ポリカーボネイトのひ弱な屋根や窓が心配になって、ついつい見上げてしまう。
この程度なら問題ない感じはあるのに、もしやという不安がよぎるのだろうか。
屋根の透明な波板の上を、白い雲が早足で移動してくのが見える。空全体はまだ明るく青い。

この温室のような部屋の中に居ると、半分自然の中に顔を出しているようなもので、外と内の狭間に身を置いてるようなものだ。
そうなると、ほぼ時間の流れも自然と同じになって、陽の傾きで時が移り、風の動きで時の動きを感じ、いつしか精神のときと歩みが同調して来るようだ。
普段知らずに縛られる時の呪縛から、このときだけは、ほんの少しそれが揺らぎ、元の自然界の流れに乗れるような感覚を持てる気がする。
もしかすると、やすらぐというのは、こういう時間感覚に回帰する意識の機能なのかもしれないと、ふと思った。

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