
「ガーデニング」なるものに精を出し勤しんだのは、もうかれこれ10年を過ぎた頃が始まりだった。
何もない造成された土の斜面があるだけだった土地に、庭を作ろうと思ったときからだ。
ちょうど巷でもそういう空気が盛り上がって来たときだった。
このブログの「ガーデニング」のコンテンツには、そのざっとした推移が記されている。
まあ、いろいろと思いつく限りの実験をやったものだ。いったい何種類の苗や球根や種をこの庭の土に費やしたのだろうか。
でも、結果的に繁殖力や生命力の強いものだけが、現在までも残されている。そうでないものは、一時の華やかさを見せただけで消えて行ってしまった。
庭木だって随分伐ったものだ。中でも苗木を10本、生垣の代わりに植えたコニファーのゴールドクレストは、遂に電線の上まで伸びて、あわや巨木化の一途だったのをあえなく伐採した。
虫にやられたり、病気に罹ったりで、急に枯れてしまったものもいくつもある。
毎年、剪定を続けながら、背丈だけは伸び過ぎないようにしているものも、幹だけは驚くほど太くなっている。
元々あったコナラの大木は、もうクレーンがないと伐れない状態にまでになっている。
近頃は、花を愛でるよりは自家栽培の野菜を得る方が得策となっている。なので、キッチンガーデンの面積が増えているが、土のまま残されている耕地面積(ほんのわずかながら)も多い。なぜなら、長期の車中泊旅に出る期間があるので、そう野菜の種類を広げるわけにもいかず、いわば耕作放棄地状態のスペースもある。
手間をかけて作物を増やしても、放置期間が長いと駄目になることもあるため、増やせないでいるのだ。
ちょうど庭いじりや野菜づくりに日々を過ごす年代になっているが、どうも今までのようにはそう熱が入るわけでもない。淡々と必要なところだけ手を掛けるのみだ。
実現したい庭全体のイメージの構想だって、かつてのような熱さはもうない。なんとなく小奇麗に手が入って見えればいいとする。
だから、庭全体を見回すと、過去の残影が今に置き去りにされながら、植物だけは旺盛に繁茂しているようだ。
何にしても、もうこれ以上、興味がわかないまでもやってしまったことは、どうも手放しで淡白になりやすい。
同じことを延々やるのが好きでない、どうちらかといえば飽きやすい性質の主の庭は、どうもこういう放置感が漂う。
それが歳を取ったということなのか、どうか。
若年の頃の、何事も常に新鮮で熱情的な気分はもはや戻って来ないものだろうか。
そう、はたと思う年頃である。
庭も主同様、歳を取るのだろうか。





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