
通常では、11月となれば絶好の車中泊旅の季節。家にじっとしては居ないはずなのに、今年は「クマ騒ぎ」のため、全国中が騒然の中、車旅どころではなくなっている。
臆病な我が家は、安全な伊豆の近場での撮影旅に切り替えて、もっぱら日帰り旅を繰り返す始末。
元々、西伊豆に注力して、撮るべき風景を記録しておきたい気持ちがあったので、かえって絶好の機になった。というのも、旅をしながら作品化出来る映像を撮り溜めるのって、今年の何度かの遠征旅でかなりの難度の高いものだというのがわかった。自分には、まだまだ撮影経験の深度が足りてないので、失敗や撮り逃しや計画倒れが多く、満足できる撮り高が稼げていない。
そこで、少しずつ失敗体験を経験しつつ、近場に通うなかでスキルを高めたい、そう思っての西伊豆行きでもあった。

秋の気配の深くなる山野や海辺を巡りながら、思い描くイメージに合った風景を探し探し行きながら伊豆を歩くのも、今までにはないものの見方を発見した感がある。シネマチックな映像を目指してのロケハンは、また普段ののんびり旅とは違う創造性を発揮することとなり、けっこう刺激的なことだった。
なかでも、通常は日が暮れかければ家路に着くという発想だったが、こと夕景を主に撮りたいという衝動からは、そこからが本領発揮の時間帯となる。今まで居たことのない日没時にまだ西伊豆の海辺に立っているというのは珍しいことだった。

そんななかで様々に撮り溜めたなかから、切り取った画像がこのいくつかだ。映像なので、写真とはまた違った撮り方になっている。写真と映像、静止画と動画の違いがよくわかる。
映像は短いシーンのつながりで、何事かの物語が生まれて来る。なので、撮っているときと、それを組み合わせて出現する世界とはまた我ながら驚きの瞬間が待っている。
だいたい使うのはいいとこ5秒のシーンに、かなりの労力をおして取得しに行くのである。写真だって同じで、シャッターを切るその一瞬に賭ける表現法だけれど、映像にはその刹那の時間がある。
シーンのつながりの連続に、環境音や音楽が入り、その世界に没入していられるある時間を作り出すことが出来るというのも、他にない魅力だ。

「詩」のなかにあるような、あるポエジックな何か…、そんなものを沁み入れた映像を創りたいというのが、本来の自分の思いなのかもしれない。
過去に「絵」を描くことを目指した感覚は、この年代になって、現代の映製作技術の発達によって、こんな素人にも、プロを真似たものを生み出せるようななった。きっと「絵」を描く行為そのものを、映像をつくり出す愉しみの中に見出しているのかもしれない。
本来、風景画家的な感性が植えついていたものが、風景をもとにしたシネマティック映像の製作という行為に昇華されたのではと、自分では分析して納得している。
ともあれ、旅することの新たな目的とスタイルが明瞭になって来たようだ。





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