伊豆に住み、八ヶ岳を巡り「空と森と水」の美しい風景を求めて・・・。 自然に包まれて暮らそう!---Martinのフォトエッセイ
by martin310
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カテゴリ:風景探勝( 56 )

私の好きなもの・・・ひとつは樹の姿。 美しい樹木に出遭う喜び。


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自然の風景のもとで、手持ちのカメラで何を撮るかは、長年そうやって被写体を求め歩いていれば、ほとんど何に自分が反応するかはよくわかって来てしまうものだ。
視覚に感応して来るものしか、カメラを向けようとはしない。いくらフイルムとは違って、メモリーしか使うものはないにもかかわらず、無駄なショットを撮ろうとはしない。
後でプレビューしても、興味もなく撮ったものは、自分が一番無反応で使い物にならないと思うのを知っているからだ。

そうすると、撮り貯めたものはほとんどが、自分が好むようなものばかりになる。そんな枠組みからもう少し外へ出ようと試みることはしてみても、いつのまにかまたいつもの自分パターンに戻ってしまう。

そういう自分パターンの被写体のいくつかの中で、案外、樹木のシルエットというのは多いようだ。

特に天気のいい、光が溢れている日には、ことのほか幹や枝のシャドウが黒々として空を背景にして際立つ。なので、樹形がよくあらわれて樹自体の姿の美しさが目を惹くのだ。
夏の日は、そういうコントラストの強烈さがまた、樹の形が好きな自分には魅力的に見えるのだろう。

樹幹や枝葉の線画的な形が実に美しい。
自然にそうなっている樹の形に、構造的で、無駄のない合理性に富む芸術的な形象の素晴らしさを見ているのだろうか。
シャッターを切ったあと、
「・・・いい樹だ。」とひとり呟いたりしている。

惚れぼれするような美しい姿の樹木に遭った日は、それだけで満ち足りた気持ちにさせてくれるものだ。
何をどう操作したのでも、意図的な仕業があったのでもなく、ただ、あるがまま自然のままにそうなっただけで、無垢の美に溢れているのだ。

自然の中を歩くというのは、そういう出会いを与えてくれるもので、他者にはわからない自分と対自然だけのやりとりなのかもしれない。
ものの価値は、価値という概念を抱いたときに既に生の感動を消失させてしまうものだ。自分と自然、自分と大いなるなにかとの呟きこそ、意識と感性の交流のありがたさを受け取れるものだろう。


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by martin310 | 2015-08-18 14:36 | 風景探勝 | Comments(0)

地にあって、天と結び合う風景。 “オクシズ”の山の中に異世界を見る。


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▲風に吹かれてなびく少女の髪のような木。森や山に囲まれてぽつんと立っている・・・。



“オクシズ”の井川湖へ向かう道は、それはもうまさに奥静岡にふさわしく、いくつもの山を越え、くねくねと蛇行し、谷を跨ぎ峠を越えて行く田舎道だ。なので行き交う車もごくわずかで、のんびりゆっくり沿道からの風景を脇見して愉しむことができる。

夏の盛りの灼熱の太陽がぎらぎら照らし、空は青く澄み、雲は巨大に盛り上がり、緑は美しく輝く・・・。
山深く入り込めば込むほどに、垣間見る風景そのものが、どこか物語の世界のような不思議なリアリティで迫って来る。

「草はらに立つ一本の木。」

「分け入った山端に見える水力発電所。」

「草の生い茂った小さな丘。」

「そして、入道雲が大空を占める峠の展望・・・。」


道行くうちにふと目を止めさせ、意識に触れて来る山の風景。
そうやってカメラを向ける気にさせる風景のその向こうには、意識と交感する何ものかのふれあいがある。
この世にあって、この世以上のどこかと結び合う波動。
そういうものがあるからこそ、人里離れた秘境の地を目指したくなるのだろう。
風景は地にありながら、同時に天にあるものと結びついている。そこにこそ、目に見えるもの以上のものを感じとる悦びがあるのだ。



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▲山奥の水力発電所と川に架かる鉄橋。緑の明るい森に囲まれて、そこには物語の挿絵のような世界が広がる。



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▲雲間からの光がそこだけに映えている緑の丘。まるでそこにUFOが降り立って来ても何も不思議ではないような、異次元への扉のような雰囲気を持っている。



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▲限りなく降り注ぐ夏の陽光。峠からの山並の展望は、心晴れやかに開けたように気持ちを解放してくれる。夏ならではの風景の贈物だ。
by martin310 | 2015-08-11 11:58 | 風景探勝 | Comments(0)

夢のような湖上にある駅・・・奥大井湖上駅。夢とうつつが交錯するような不思議な風景。


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「オクシズ」、つまり静岡県の奥地、大井川の上流の井川湖まで行って来た。
そう、あのSLで有名な“大井川鐵道”の走っているエリアだ。
そのうちSLの走る金谷―千頭間の、もっとその先を走るアプト式鉄道の“井川線(南アルプスあぷとライン)”に湖の上にある不思議な駅が存在することをネットで知り、どんなところなのか見てみたいと思ったのだ。

寸又峡は以前行っているが、この路線が通るあたりの“接岨峡(せっそきょう)”はまだ見たことがなかった。井川湖(井川ダム)も別ルートから以前行ったことがあったが、そこへ通ずる接岨峡ルートは今回が初めてだ。

だが、実際行ってみると、道路が整備され、その道路の脇を樹木が囲んでいて、いったいどこがその“接岨峡”だったのか、ほとんど展望がきかない中を通り抜けていたようだ。ふかーい谷底にわずかに青磁色の水の流れを見たところもあったが・・・。
なんだか拍子抜けしたようなうちに、「レインボーブリッジ」などという、小さな看板を目にした。(あの有名な世紀の巨大ブリッジを模した何かと思いきや、後で調べるとこちらが先手のネーミングだったらしい)
まあ、ともかくちょっと脇道に入りその「レインボーブリッジ」なるものを探した。と・・・、眼下のコバルトグリーンの湖水の上に真っ赤な鉄橋が美しく架かっているのを見て驚喜したのだった。
「ああ、これがあの“奥大井湖上駅”か」


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なんだか、とてもふしーぎな雰囲気に包まれた駅だ。
だいたい名称からして“湖上駅”というのが、どこか非現実な世界を醸し出している。湖上に浮かぶ駅・・・、そこにいったい誰が降り立つというのだろう?
まるで宮澤賢治の「銀河ステーション」を思い起こすようなイメージだ。賢治の世界が夜の銀河の宇宙、こちらの湖上駅は、湖水に浮かぶ真昼の駅といったところだろうか。

気温は35℃くらいあるだろう。車から出て、カメラを向けていてもぼーっと熱気で頭がくらくらしてくるようだ。
ツレはエアコンの唸る車中から決して出てこない。
熱気でむんむんする異常な暑さだ。

何カットか撮っているうち、何やら列車の鉄橋を渡る音がかすかに聞こえてきた。
あっ、電車が来るぞ!
何というタイミングだろうか?
1時間に1本程度しか走っていないその電車が、こともあろうに最高のタイミングで湖上駅に姿を現したのだ。電車は静かにゆっくりと駅に音もなく停まった。
しーんと静まり返った緑の中に、赤い列車と赤い鉄橋が見事なコントラストで横に伸びている。

まさに夢の世界にいるようだ。
深夜眠っているときに見る夢の絵巻のワンシーンを見ているようだった。
人が3人降りて、階段を登って上にある展望台に行くようだ。
それを対岸の上方から、まるでジオラマを眺めるように見ている自分・・・。
ミニチュア模型を動画にしたようなミニチュア効果な世界。

おとぎの国や童話の世界をこの目で見ているような、異様に不思議な光景だった。
案外、こういう風景はアストラルな天上界にはあるものだ。
そういう潜在意識の深層に秘された記憶が浮かんでくるような、夢とうつつが交錯するまさに夢のような光景だった。


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by martin310 | 2015-08-09 19:34 | 風景探勝 | Comments(0)

暑い夏は湖畔で涼もう。箱根・芦ノ湖畔でお昼をいただく。


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出掛けついでに、箱根・宮下の「ピコット」でパンを買って、芦ノ湖の湖畔でお昼を食べようと、かなり久しぶりに芦ノ湖西岸のお気に入りの浜に行った。

車の温度計では外気温は優に30℃を超え、34℃を示したりもしている中、徐々に標高を上げ、さすがに箱根の尾根道を走っているときは25℃にもなり、エアコンを切って窓全開で走ることができた。
この分なら、案外芦ノ湖畔でもけっこう涼しいかもしれないと、西岸のゲートに車を停めて、浜まで歩いた。
このあたりは観光客が来る場所とは対岸にあって、まずは知る人ぞ知る場所なので、釣り人かハイカーしか足を踏み入れることはない。なので、ここにある画像が芦ノ湖なんて、なかなか知っている人は少ないだろう。

湖畔に着いたら案の定、木陰がまったくない。仕方なく、砂浜の流木に腰をかけて二人でパンをかじった。
あいにく帽子も忘れて、完全に炎天下に晒されながらのランチタイムだ。だが思った以上に涼しい。直射はきついが、湖畔だけに風が吹いていて心地いいのだ。

いつになく、この日は夏らしくくっきりと晴れ渡っていて、光がとてもクリアで風景のコントラストが際立って美しい。
それはそれは感動的なほど鮮やかな緑とブルーに輝いている。
こんな風景の中で、湖の風に吹かれながら食べるピコットのパンは余計においしく感じられた。

a0282620_20202793.jpgさて、食べ終わるとさぞかし暑いであろうワンコに、芦ノ湖の湖水で行水させてあげようと水際に連れて行った。水はけっこう好きでどんどん入って行くかと思いきや、波が来ると怖気づいて腰が引けている。ツレは無理やり水へ引き込んで体を濡らしてやっていた。
向こうでは大型犬2匹が上手に水に入って遊んでいる。飼い主も水に浸かって、実にうまく訓練をしているようだった。
我が家のワンコはそんな先輩犬の勇姿を遠くから見ていたが、いざ、自分の番になると波が怖くて後ずさりばかりだった。

この光の美しさは、単に空が晴れ、空気が澄み・・・、だけのものではない。それはまさに、真性の光が既にこの地上に降っているという証だろう。
これだけの高次元の光に満ちているのだから、そうでないものは露骨に顕在化するしかない。だからキチガイじみたものが目立って見えるし、まともでないように隠せなくなるのだ。
あまりに輝度の高いステージに、黙っていても狂ったものが勝手に踊る・・・、それが今の時空だろう。



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▲正面の山は、駒ケ岳と神山。この左裏のあたりが大桶谷で、噴煙の映像でニュースによく出る場所だ。


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▲芦ノ湖西岸へはこんな道を行く。ゲートからは徒歩でとなる。湖尻までずっと遊歩道がつながっている。


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▲画面中央のあたりがこの日行った砂浜だ。夢のような場所にある。


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▲車を停めたあたりにある大きな木。けっこう姿が美しい木が並んでいる。
by martin310 | 2015-08-06 20:23 | 風景探勝 | Comments(0)

高原の風に吹かれて、空の美しさに見入る。気づけばすぐそこに光はある。


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連日30℃を超える気温となり、いよいよ夏本番となったようだ。
こうなると、標高1000mを超える高原が余計に爽快に思える。
そして、清らかに晴れ渡った空が妙に美しく魅力的に見えるようになる。
特に緑の草原と白雲が浮かぶ青い空が、どこか天上の世界の風景のようでことのほか超越的な感慨を生む。
八ヶ岳山麓には、周りを樹木に囲まれた牧草地が点在している。盛夏の空に茂った草の穂が風に揺れる様は、これもまた至福の世界を感じるものだ。

まっすぐに伸びる山麓の道路を、大抵の車は疾走して行く。こんな田舎道の路傍に停めて、草地を眺めているのは自分たちくらいのもので、どこにそんなに見るべきものがあるのかと、訝しげに減速しては走り去って行く。
なんでもない草地だろうが、美しいものは美しい。
風によって草の波が息づいている。雲も次々に形を変え、流れていく。

観光地の名の知れたメジャーな場所に人々は急ぐが、えてしてこんな道路脇の風景にはそれほど目もくれないようだ。
なので、観光シーズンに入れば、人気の場所には近寄らずに、より外れたエリアの地形的に面白いところを探索して行く。
時速30キロでのろのろと、全方向脇見専門に風景をリサーチする。
惹きつけられるところあらば、すぐさま停めてカメラを抱えて外に出る。

絵としてはそれほど面白味を持っていない、なんでもない風景の中にこそ、光、色、風、大気、匂い、風趣・・・を超えた言葉にはできない何かがある。
それは最大の心の安息でもあり、無心の幸福でもあり、揺るがない生の実感かもしれず、まさに天国的世界の片鱗がそこにはあるものだ。

世情のあまりの汚辱とは裏腹に、案外、地上は高次な光ですでに満たされているような気もする。
現実は三次元の仕組みからそれなりの流れを経なければならず、大分後から遅れて形を成して来るのだろう。それまであまりに酷い現実が、露骨に光のもとに露に晒されるはずだ。
その光を受け取れるかどうかが、見える世界を超えた次なる世界を感じられるか否かの道の違いに分岐させる。

気づけばすぐそこに光はあり、現象世界を超えた重なり合う世界はすでに変わっている。


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by martin310 | 2015-07-27 14:25 | 風景探勝 | Comments(0)

雨がそぼ降る深山幽谷の地―“奈良田”にて、山霧の中の“早川”を撮る。


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ずうっと居座っている梅雨前線は、わずかな期待をもものともせず、まったく動かず雨の休日が確定していた。
家の外は濡れそぼった緑が茂り、その向こうは霧に煙っている。
予報を見ても、雨が止む間は少しあっても、また午後からは小雨マークが消えることはない。

いっそのことこんな時節には、晴れ間を乞い願っているより、この梅雨空の自然の姿自体を撮りに行くべきと思った。雨に時雨れる山並や、増水しかけた川、山霧にむせぶ深い森など、雨景色そのものを画像におさめようではないかと考えを変えたのだ。

そこで、「深山幽谷・・・」、そんな地へ入り込んでみたいと思った。
深い森、深い谷、緑蒼い川、森林地帯の奥深く雨の景色を追って行こうと、以前紅葉の頃行ったことのある、南アルプスからの山水が流れる早川の上流へと向かうことにした。

ルートはお馴染みの富士川スマートから富士川に沿って北上し身延まで行き、そこから早川を遡り、行き着く先は南アルプスの南側の玄関口、奈良田まで。
早川は急峻な地を貫くだけ急流が多く、山を削るように砂利が川一帯に堆積する荒々しい感じの川景を見せる河川だ。
山域の奥深く入り込むごとに、風景の様相が厳しさを増して来る。霧雨だった雨も滴を飛ばすほどになって来る。
川面に落ちた雨粒は、白々と煙ったように瀬から上空へ立ち昇って行く。
雨の景色を撮るというのはそう生易しくない。次第に驟雨に変わって来る頃には、傘をさしながらなど無理になり、ツレとワンコが待つ車の中へと避難せざるをえなくなる。

空が薄暗くなり、雨脚がまた増すと、もう、帰路に着きたいという衝動にかられるものだ。山深い世界で雨に遭うのは、どう耐えていても自ずとある畏れのような感情と共に、動物の帰巣性とでもいうのだろうか、安心できる家に帰りたくなる不思議な心理状態になるものだ。
なんとかそれでも幽谷を思わせる画像が撮れたと思い、山霧に覆われはじめた暗くなった上流から来た道を下りはじめるのだ。
人里まで下りてくれば、ほっと安心し、雨があがりはじめた公園の東屋でコーヒーを沸かす・・・。

まあこれで、雨の日は出掛けず仕舞いという今までの慣例は少し崩せたかもしれない。雨の日でも撮るべき風景はあるということだ。


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by martin310 | 2015-07-10 20:20 | 風景探勝 | Comments(0)

梅雨空を仰ぎながら、夕焼け空の来る日を待望する。天からの使者はいずこか?


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これは6月27日の夕陽。我が家の2階のデッキから撮ったものだ。
確かこのとき、日中は雨か曇り空で、急に夕方になって空が明るくなり、やがて雲がオレンジ色に輝き出したのだと記憶している。

この頃でさえ、なかなか快晴の日がなかったのに、それから月を跨いで今まで、なんだかまるっきりお天とうさんの姿を見た日がないようなほど、雨ばかりが続いている。

気象ニュースを見ても、これだけ日照時間の短い日が連続しているのは、2006年以来、9年ぶりのようだ。いくら梅雨どきといえども、こんなに長雨が続くのは、10年に一度くらいのことらしい。

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そして今日(7/8)、漸く午前中だけ雨があがった空を見た。雲に覆われてはいるが、雨は落ちていない。
で、同じ場所、同じアングルで富士山の方角を撮ってみた。
右に富士山、その左に愛鷹山(あしたかやま)、その左に続くのは南アルプスの峰々だ。
空を覆う雲の様子は同じようだが、陽の射し方でかなり劇的なものに変わるのがわかるだろう。
a0282620_2194857.jpgそれにしても、ここまでの夕焼け空は、年間そう何日も見ることはないだろう。過去に見た夕陽の中でも最もドラマチックなのではないだろうか。
雲のディテールを見ていると、なんだか空に何人もの子供の天使がいるように見えて来はしないだろうか。
そう、よくルネッサンス期の古典画にあるような子供の天使の群像があるようだ。(特にトップの画像)

a0282620_21101032.jpgほら、こんな風にこの絵をこの雲に重ねても違和感がないくらい、この空の様子は天使的だ。
まあ、天気はそろそろ来週あたりからは回復に向かうようなので、天使たちも天使の梯子をたよりにまた、天から舞い降り来てもらいたいものだ。
あまりに馬鹿げた政治的茶番世界を一掃してほしい願いを込めて、庭の花々と共に待ちこがれているところかもしれない。


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by martin310 | 2015-07-08 21:16 | 風景探勝 | Comments(0)

梅雨空が開けて夕日が射した。光を追って庭先から撮る。


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梅雨寒のどんよりした空が続く中、ひととき西の空が開いて陽が射した。
折りしも日没までの刹那のあいだ、雨に濡れた緑が輝き、空の雲も西日の放射に淡く色を染めはじめた。

夕餉の匂いが漂う庭先から、辺りの手近な風景を撮り始める。
だが、レンズを向けるのはいつも決まったような場所ばかり・・・。
同じアングルの写真に自分で厭きて、もっと違うものをと視点を切り替える。

咄嗟に思ったのは、常にフォーカスの合ったものばかりがいいというのでもないことだ。
それこそ写真的な正確な描写ばかりが表現ではないと・・・。
そしてはじめてマニュアルフォーカスでどう見えるかをモニタしてみた。
意図的にぼかしてみる。

a0282620_1441391.jpg驚くほどムーディーで味わいが深い。
案外、視覚の対象がぼけるというのは、夢幻的な感覚を脳内に呼び起こすものなのかもしれない。
像が明瞭で緻密に図が成立してるのとは裏腹に、ピンボケさとは逆に情景を詩的に暗示する。
おそらく、脳内の像認識の感覚が鈍化し、右脳のイメージ記憶のコードに刺激を与えるからではないかとか想像する。
だから、一瞬ぼーっと思考が止まったように感覚麻痺が起こり、右脳的アンフォルメルな世界が開く感じだ。

これは自分にとって大きな発見だった。
リアルとは多様なものがある。
そういえば、眼鏡を取ったときは、いつもこんなぼやけた光景を見ていた。だが、これが写真となると別ものの世界になる。
不思議なものだ。


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by martin310 | 2015-06-22 14:12 | 風景探勝 | Comments(2)

冬は冬で美しい景観に出遭うとき。モノトーンの冬枯れの世界にも魅力を見出す意味がある。


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写真を撮る目的が半分ほどあって出掛ける動機になるのは、やはりファインダーを覗くそこに鮮やかな色の世界があるからこそとい思い、色彩のトーンが無彩色に染まる冬枯れの世界は、どこか被写体の対象にし難いと思い込んでいたきらいがある。

もっとも雪が降って、あたりが一新されたような風景に変われば、それはそれで十分魅力的な世界となるが、ただ平凡なモノトーンの森や山並に空の青さすらも冴えがないというのは、自ずとカメラ自体手にしないことが続く。なので、保存ファイルを眺めてみると冬場の画像数は極端に少ない。

そこへ来て、今年のはじめ頃からか、俄かに車中泊の可能性や、冬キャンプの実際が現実的なものになりはじめてからというもの、急に今まで、どちらかといえば撮影対象にない冬の光景が、撮影のシーズオフを脱して、より魅力あるものに見えはじめて来たのには驚いた。
最近は、キャンプ熱も高まり、山間の平地を見れば、なぜかテント設営地にいいとかと見ている自分がいて、そこへ宿営した場合に眺めるあたりの光景はどうだとか、勝手な想像を巡らしたりすることが多くなった。
すると、今まで見逃していた平凡な藪のような風景でも、意外にテントやタープ越しに背景にしたら、なかなか乙なものになることを感じるようになった。
しかも冬枯れて、骨のようになった木々の枝も、それぞれの木本来の形象の特徴をそこに表して、なかなか線条的な美しさがあると感じるようになり、強風に折れ下がっているものなどを見れば、もうすでに焚き火用の薪にいいとか思っているのである。

枯れた草地にしても、鮮やかなグリーンではない、枯れ色の美しさや霜に凍える表情の豊かさなどを目にするようにもなった。
寒々しく土を持ち上げる霜柱の様子など、日陰に凍りついた残雪の異形の氷体など、今まで視界から外していたようななんでもない自然の姿に目が行くようにもなった。
これは、設営地に長く滞在し、あたりをじっと見ていることが常態になるキャンプの条件がそうさせている効用でもあり、普段、ほとんど一瞬にしか視線を当てない行為から、ひととこにじっと佇んで外界を見るスタイルが、ものの見方を自然に変えて来ているものだろう。

彩度を失い、くすんだ単調な色調が並ぶ世界にだって、冬独自の魅力ある情趣が宿っているものだ。極寒ゆえに人の寄らぬ真冬の自然界にも、寂幕とした寂寥感の漂う孤高の神聖さがある。
色味のない褪めたモノクロームの世界を、どう画面づくりをして見せていくかが新たな課題となるだろう。

冬のキャンプ体験がもたらす志向というものは、今までの自然を見つめる自分の視野に、あたらなプラスアルファーの要素を加味させる効能があるようだ。走り眺めて次々と光景に移動してしまう視点から、腰を据えて視界に広がる近遠景をじっくり睨む野営の視線へと、自分の対自然観を変えてくれるのが思わぬキャンプという行為だった。


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by martin310 | 2015-02-17 12:32 | 風景探勝

ただ激しい波の姿を見たくなる。海にて、洗われる意識に浮かぶもの。


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人間の世界で起こる事柄のみに注力し過ぎていると、どうも頭の中も、心の中も、薄汚れた煤煙に巻かれたように胸苦しくなる気がする。
たくさんの声があちらにもこちらにも沸き立ち、騒然とした舞台を眺め過ぎているうちに、この実在の世界が人間だけの狭苦しく、猥雑で偏狭な空間にしか思えなくなるものだ。
そんなときは、ひとたびそこから離脱して、自然界の颯爽とした息吹に意識を洗浄したくもなる。

冬の海の青々した波間を見つめていると、その絶えることない波の生成の現場では、自然の生み出す清冽な潮(うしお)と飛沫(しぶき)と白い波頭と海風を全身で受けることで、なにものにも代え難い地球の脈々とした命を感じるものである。
沖を見つめる目の中に、波風に乗る微細な潮の微粒子を見るように、自然の神が臨在したように意識と身体の全体をすり抜けていくようだ。豪壮な砕け散る波音のうちに、吹き溜まった情報の綾のつくり出した煩悶が拭い去られるように貫通していく。

誰もいない海辺を潮風に吹かれて歩んでいけば、今までの狭まっていた自然の領域が、これこそ全体を成していたのを思い出したように遥か拡張していく。主体はこの無限なる世界ではないかと、人間の居座る限られた極小の世界が遠のいて幻のように消失していくようだ。

どのようにしてこの目の前の風景が生み出されて来たのかを考えている。地形が出来上がるその生成の根源には何があるのだろうか?
なぜ生きて動いて変化し続けるのだろうか?
現象には何が働きその像を生み出しているのか?

光や色、匂い、大気、渦、質、群れ、形、組成・・・、やがて意識の目は、あらゆる視覚の対象に向けられていく。
我々人間はそこにどのように存在すればいいのか、おのずとつつましやかな身の在り方を意識しているのに気づくのだ。

畏敬という自然な思いは、崇高な実在を身を持って感受したとき、忘れていた野生を取り戻すように復活を遂げて来るものだ。
まさに原始の遺伝子として眠っているはずのもの・・・。
調和して生きるとは、これを甦らせてこそ在り得ることだ。

人間の世界は、そこからはじめて省みて見えて来るものが本当なのだと、紺碧の海の色が語っているようだ。


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Dan Gibson の曲を聴きながらどうぞ。

Eternal Wave - Dan Gibson

by martin310 | 2015-01-21 23:08 | 風景探勝